ウチの学校は色々な場面でボランティアにお世話になっています。しかしボランティアのあり方について思うところがあるのでここに書いておきます。
週2日15分間くらいのボランティアにお世話になる時間があります。普通の感覚なら早くてもいいとこ15分前に来れば充分だと思っています。しかし中には1時間も前に来てお茶を入れてもらって世間話をしている人もいます。大抵の場合は退職教員です。
しかしボランティアってそうではないんじゃないかと思っています。ボランティアとは自己責任でボランティアに行き、そこにいるスタッフに負担をかけず最低限の指示を受け、あとは自分で考えて行動するものだと思っています。そういう意味ではお客様扱いせず、お茶が飲みたければ自由に自分で入れて飲んでもらうべきだと思います。
善意で来て下さってるかたにそんなことを言うつもりはありませんが、1時間も前に来てそれに付き合わされる教員はたまったものではないと思っています。時給2,500円くらい支払われる教員が、どうでもいい世間話に1時間も付き合わされていたのではボランティアに来てもらわない方がいいのではないかと思います。世間話に含蓄があって教育に携わるものにとって有意義であるならまだしも、大抵の場合これといった趣味も持たず学校と家を往復するだけの生活しかしていなかった退職教員に含蓄ある話など期待できず、出てくるのは自分が現職だった時の自慢話くらいだと思います。
つまりもっと成熟したボランティア文化が必要だと思っています。これにはかなり時間がかかると思いますが、オレらが老後を迎える頃には成熟していることを願っています。オレらが作っていかなければならないのだろうけど。
週2日15分間くらいのボランティアにお世話になる時間があります。普通の感覚なら早くてもいいとこ15分前に来れば充分だと思っています。しかし中には1時間も前に来てお茶を入れてもらって世間話をしている人もいます。大抵の場合は退職教員です。
しかしボランティアってそうではないんじゃないかと思っています。ボランティアとは自己責任でボランティアに行き、そこにいるスタッフに負担をかけず最低限の指示を受け、あとは自分で考えて行動するものだと思っています。そういう意味ではお客様扱いせず、お茶が飲みたければ自由に自分で入れて飲んでもらうべきだと思います。
善意で来て下さってるかたにそんなことを言うつもりはありませんが、1時間も前に来てそれに付き合わされる教員はたまったものではないと思っています。時給2,500円くらい支払われる教員が、どうでもいい世間話に1時間も付き合わされていたのではボランティアに来てもらわない方がいいのではないかと思います。世間話に含蓄があって教育に携わるものにとって有意義であるならまだしも、大抵の場合これといった趣味も持たず学校と家を往復するだけの生活しかしていなかった退職教員に含蓄ある話など期待できず、出てくるのは自分が現職だった時の自慢話くらいだと思います。
つまりもっと成熟したボランティア文化が必要だと思っています。これにはかなり時間がかかると思いますが、オレらが老後を迎える頃には成熟していることを願っています。オレらが作っていかなければならないのだろうけど。
つい先日、以前勤務していた学校の教職員の集まりがありました。2年に1回開催されています。約300人のメンバーのうち50人ほどの参加でしたが、閉口したのは退職校長の話の長さ。歴代校長代表、乾杯、万歳と、別々の元校長が登場して、それぞれが起承転結を踏まえたうえにいくつもの話題をあれこれ展開し、うんざりしました。
人に話を聞かせたいという本能が染み付いていると、つくづく感じました。
研究会やサークル等でも他山の石としなければ。
教職員のOB会ですね。ウチの学校も2年に1回あります。懐かしい面々にお会いできるのは良いのですが、現職の時と同様かそれ以上にエラそうにしている元校長(他の学校で退職した人が多いかも)には会いたくありません。
ちなみに本文に登場している退職教員とは元校長です。