ウチの職場では郵便物を出すとき、切手を貼るだけの状態にして事務室へ持ってくればオレが切手を貼って出すことになっている。今日もいつもの調子で定形外の角2封筒が届いた。秤に乗せて25グラムくらいだったので120円切手を貼った。しかし封筒をよくよく触ったらA4の紙が1枚か2枚入っているだけで薄いことに気づいた。
これは折って長3封筒に入れれば充分定型の80円で送れるのにと思いながら、そう言えばこの人には以前にもそのことを話して定型で送るようにお願いしたことをすぐに思い出した。
たかが40円くらいにガタガタ言うのは小せえなとも思ったけれど、オレの言っていることを理解されていないことが悔しいからまた話をしてみた。そしたら「証明書だから折ってはいけないと思って。」だって。オレが「折ってはいけない決まりなんてどこにもないでしょ。」(どこかの条例とか規則に書いてあるのとまでは聞かなかったけど)と言ったら、「そうなんですが、同じ物が送られてくるときには折られていないので。」って他の学校がどうやって送ってくるかなんて関係ないと思うんだけど、、、。だいたい送られてきたときに折られていたら何か不都合があるのかねぇ。オレの中では折って不都合があるのはOCR入力用紙とか厚紙に印刷された要録とか履歴書とか辞令くらいだと思うんだけどな。
結局その人は「次からは気をつけます。」とか言ってたけど納得はしていない様子だった。おそらくまた同じ事を繰り返すんだろうな。その時は疲れるから何も言わないことにしよう。付き合い切れねぇ。
そう言えば別の人だけどこんなこともあった。職員会議に資料を付けるときオレは要項とは別綴りで配布するのが多いんだけど、その日は何となく要項に綴じ込んでもらおうかと思って印刷した物を渡した。A4裏表で6ページくらいだったろうか。
しかし職員会議で配られた資料はオレが印刷した物ではなくて印刷し直したヤツだった。会議中に言うのは大人げないと思って終わってから「オレが印刷したヤツはどうしたんですか?。」と聞いたら「ページ番号が入ってなかったから印刷し直した。」だって。「ええ?そんなことで?だったら別綴じにしてもらって良かったのに。」とオレ。「、、、すみません。」だって。そんなことのために手間と時間とお金をかけるなんてよっぽどヒマなのかと思っちまった。
世の中には融通の利かない人がいるとつくづく思った。本質を考えず慣例や見てくれにばかりこだわると言うことだろうか。オレが仕事をする上でベースにあるのはシンプル・イズ・ベストだから、事務局に書類を持参するときに新しい封筒に入れて持って行くなんてナンセンスだし、ムダとは言わないけれど余計な手間や資源はかけるべきではないと思っている。過剰包装・過剰なお辞儀・過剰な言葉遣い・過剰なあいさつどれも過ぎたるは及ばざるがごとしというか、逆に嫌らしくもあると思うんだなぁ。ついでにもう一つベースにあるのは責任を取れることの喜びだな。実際にはオレのようなヒラ(ヒラであってもヒラメではない。)に責任など取れないんだけど、失敗を恐れないというか、どうせ失敗するなら自分で決めた方へ行って失敗した方がいいじゃないかということ。誰かに聞いて、それに従って行動し、失敗したときに、その誰かのせいにできると考える人って結構いるけど、そういう人には「そんなこと自分の頭を使って自分で判断したら」と言ってあげようと思う。
融通が利かないと言えばAからCに行こうとするときに、必ず遠回りしてBを通らないと行けない人がいるんだけど、もっと要領よくAからまっすぐCに行けば早いのになあと思うときがある。例えが悪くて分かりにくいかな。
オレ自身ただのヒラ(ヒラメではない)でエラそうなことを言える立場ではないけれど、何事も慣例や前例にとらわれず常に自分の頭で考えて見直して改善していくことは大事なことだと思っている。
これは折って長3封筒に入れれば充分定型の80円で送れるのにと思いながら、そう言えばこの人には以前にもそのことを話して定型で送るようにお願いしたことをすぐに思い出した。
たかが40円くらいにガタガタ言うのは小せえなとも思ったけれど、オレの言っていることを理解されていないことが悔しいからまた話をしてみた。そしたら「証明書だから折ってはいけないと思って。」だって。オレが「折ってはいけない決まりなんてどこにもないでしょ。」(どこかの条例とか規則に書いてあるのとまでは聞かなかったけど)と言ったら、「そうなんですが、同じ物が送られてくるときには折られていないので。」って他の学校がどうやって送ってくるかなんて関係ないと思うんだけど、、、。だいたい送られてきたときに折られていたら何か不都合があるのかねぇ。オレの中では折って不都合があるのはOCR入力用紙とか厚紙に印刷された要録とか履歴書とか辞令くらいだと思うんだけどな。
結局その人は「次からは気をつけます。」とか言ってたけど納得はしていない様子だった。おそらくまた同じ事を繰り返すんだろうな。その時は疲れるから何も言わないことにしよう。付き合い切れねぇ。
そう言えば別の人だけどこんなこともあった。職員会議に資料を付けるときオレは要項とは別綴りで配布するのが多いんだけど、その日は何となく要項に綴じ込んでもらおうかと思って印刷した物を渡した。A4裏表で6ページくらいだったろうか。
しかし職員会議で配られた資料はオレが印刷した物ではなくて印刷し直したヤツだった。会議中に言うのは大人げないと思って終わってから「オレが印刷したヤツはどうしたんですか?。」と聞いたら「ページ番号が入ってなかったから印刷し直した。」だって。「ええ?そんなことで?だったら別綴じにしてもらって良かったのに。」とオレ。「、、、すみません。」だって。そんなことのために手間と時間とお金をかけるなんてよっぽどヒマなのかと思っちまった。
世の中には融通の利かない人がいるとつくづく思った。本質を考えず慣例や見てくれにばかりこだわると言うことだろうか。オレが仕事をする上でベースにあるのはシンプル・イズ・ベストだから、事務局に書類を持参するときに新しい封筒に入れて持って行くなんてナンセンスだし、ムダとは言わないけれど余計な手間や資源はかけるべきではないと思っている。過剰包装・過剰なお辞儀・過剰な言葉遣い・過剰なあいさつどれも過ぎたるは及ばざるがごとしというか、逆に嫌らしくもあると思うんだなぁ。ついでにもう一つベースにあるのは責任を取れることの喜びだな。実際にはオレのようなヒラ(ヒラであってもヒラメではない。)に責任など取れないんだけど、失敗を恐れないというか、どうせ失敗するなら自分で決めた方へ行って失敗した方がいいじゃないかということ。誰かに聞いて、それに従って行動し、失敗したときに、その誰かのせいにできると考える人って結構いるけど、そういう人には「そんなこと自分の頭を使って自分で判断したら」と言ってあげようと思う。
融通が利かないと言えばAからCに行こうとするときに、必ず遠回りしてBを通らないと行けない人がいるんだけど、もっと要領よくAからまっすぐCに行けば早いのになあと思うときがある。例えが悪くて分かりにくいかな。
オレ自身ただのヒラ(ヒラメではない)でエラそうなことを言える立場ではないけれど、何事も慣例や前例にとらわれず常に自分の頭で考えて見直して改善していくことは大事なことだと思っている。
うちの職場は80円を超えそうなもの(定形外重量)で、急ぎでなく、かつ「親書?」でなければメール便。けっしてクロネコのまわし者ではないけれど。無事に届けばOK。それよりも40円の方が貴重です。それよりも80円をわざわざ120円にするなんてナンせんす。40円の税金をなんだと思っているのでしょうか。
うちのところの某教頭も教育委員会への提出物はA4が1枚でも新しい角2の封筒に入れていました。ところが、先日教育委員会から「古封筒を使うように」と言われ、紙を張って使用しています。私はひたすら古封筒。それも、たまに裏返しにして使っています。私の気分転換に、この作業は最適です。
120円と80円の違いは大きい!! 差額2回分で1通出せるのにね。