カミさんがサバが安かったから買ってきたというので久しぶりに包丁を持った。高校時代に魚屋でバイトしていたこともあってかヘタクソだけど解体することはできる。一度だけヒラメの5枚おろしに挑戦したら案外うまくいっておいしい刺身を頂くことができた。
子どもたちを近くに呼んで「これがサバでな」とかいいながらいかにも板前風に包丁を持った。あとはハッタリで適当に包丁を入れていき、見事な3枚おろしができました???。「いのち」をもらってそれを食べて生かされているということを感じてくれただろうか。
いのちを頂くといえばガキの頃の記憶だが庭で飼っていた鶏をつぶして食ったのを覚えている。断片的にしか覚えていないので、よく言われる首を切られた鶏がバタバタ走り回っている絵は記憶にないが羽根をむしってクド(かまど?)にかかった鍋(羽釜?)で茹でていたような記憶がある。それからやたら肉が固くてうまかったという記憶はない。おそらく卵を産まなくなったヨロヨロの鶏を供養しながら頂いたのだろうからうまいはずがないわな。
今の子どもたちにもその目の前で鶏や豚などを解体して食べさせてみたら「いのち」や「生きる」ことについてリアルに感じるのではないかと思う。今度は生きているアジなんかを子どもたちの目の前でおろしてみようと思った。
サバの切り身はカミさんがみそ煮にしてくれておいしく頂いた。
子どもたちを近くに呼んで「これがサバでな」とかいいながらいかにも板前風に包丁を持った。あとはハッタリで適当に包丁を入れていき、見事な3枚おろしができました???。「いのち」をもらってそれを食べて生かされているということを感じてくれただろうか。
いのちを頂くといえばガキの頃の記憶だが庭で飼っていた鶏をつぶして食ったのを覚えている。断片的にしか覚えていないので、よく言われる首を切られた鶏がバタバタ走り回っている絵は記憶にないが羽根をむしってクド(かまど?)にかかった鍋(羽釜?)で茹でていたような記憶がある。それからやたら肉が固くてうまかったという記憶はない。おそらく卵を産まなくなったヨロヨロの鶏を供養しながら頂いたのだろうからうまいはずがないわな。
今の子どもたちにもその目の前で鶏や豚などを解体して食べさせてみたら「いのち」や「生きる」ことについてリアルに感じるのではないかと思う。今度は生きているアジなんかを子どもたちの目の前でおろしてみようと思った。
サバの切り身はカミさんがみそ煮にしてくれておいしく頂いた。
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