takubonpapa blog

 日常の出来事や感じたこと、Mac、バイク、キャンプ、さだまさし等について書いてます。

職場をつくるということ

2005-08-11 21:15:23 | 日記
我々の業界では「職場づくり」ということがよく言われる。(でも最近は若い人や組合に入っていない人は使わないか?)働きやすい職場環境と人間関係をつくっていこうとする志から生まれた言葉だと思っている。数年前から「同僚性」という言葉も使われだしているが同義かもしれないな。
昔は職場の中で弱い人を助け合って補いあって、自然に職場を作っていたと思う。しかし最近は忙しいせいか人のことはかまっていられないという状況になっているような気がしてならない。政策的に忙しくさせられ教職員をバラバラにしているのかも知れないな。
 近年多くの都道府県で導入している「教職員評価」だって、人事院がやろうとしている「年功賃金の抑制(本質は単なる賃金カットだが)」だって、若い層にとってみれば自分が中高年になったときに給料が今よりあがっていないかも知れない状況の中で、若いというだけで人一倍働かされ、給料をいっぱいもらっている40代後半以降の人たちは働かないという状況への不満から教職員評価や能力給の導入に賛成する人だって多いような気がする。しかし年功序列が崩壊すると仕事の配分が今までのように行かなくなり若くても年配でも仕事の量と賃金がフラットになることが予想それ、退職まで過酷な労働を強いられると考えた方がいいかもしれない。
 いずれにしても評価制度なんかに良い制度などあるわけがないと思う。結局は人が評価するわけだから感情が入るし、評価するときに子どもを製品とみなすことにも問題がある。つまり正当に評価されない可能性もあるということ。
 不適格教員の問題でも、例えば学級崩壊に近い状況で提出期限は守らない。よく休む。人間関係が築けない。自分に力がないことに気づいていない。いわゆるダメ教員がいたとしても、その人がすぐに不適格の烙印を押されるとは限らない。逆にどんなにいい教師だって政治や行政の流れに抵抗すれば簡単に不適格にされる恐れさえある。
 職場の同僚性が失われ、お互いに授業を見せあって子どものことを語り合って、理論的にも実践的にも高いレベルに到達しようという志を持たず、言いにくいことは言わずお互いに傷つかない程度の表面的な関係しか築けないとしたら、上からの教職員評価や能力給導入、不適格教員対策などの教育改革の波に押し流されてしまうだけだと思う。上からの教育改革は免許更新制や、上からの命令に従順で黙ってこなす教員だけを優遇する制度など子どものことよりも行政の方を向いて働かされ更なる管理と競争による改革へ突き進む恐れがあることも承知しておく必要がある。

 忙しくてみんな自分のことだけで精一杯だけれど、何とかふんばってみんなで良い職場にしていこうという志を持ちたいもんだ。
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