takubonpapa blog

 日常の出来事や感じたこと、Mac、バイク、キャンプ、さだまさし等について書いてます。

きれい事では済まされないのだけれど

2009-02-27 23:18:32 | 学校事務
 先日、来年度入学予定の子どもの母親が就学援助申請書を持ってきました。両親と子ども3人の家庭で妻は無職で夫の平成19年の年収は180万円で、いったいどうやって生活しているのだろうと思ってしまいました。書類を見れば明らかに生活保護のレベルでしたがその日は書類だけ受け取りました。

 偶然事務室にいた職員が受け取ったのですが持ってきた母親を見て「まだ若いのに、どうして働かないのだろう」ともらしていました。オレは一瞬そう思うなら直接聞いてみれば良かったのにと思いましたが、「一番下の子どもはまだ1歳だし、奥さんが働いて年収が200万円あったとしても就学援助に認定されるレベルですね。」と答えたのですが納得しない様子でした。

 そう言えばこの人は就学援助費を受け取りに来た母親がブランドのバッグを持っているのを見て、就学援助費受給者がブランドのバッグを持つなんて許せないというような事を言ってたっけ。それって生活保護の申請に来て「まだ若いのだから働きなさい。」と言って排除する窓口職員と感覚は同じだろうと思いました。そして今の世の中ではそう考える人の方が多数派なのでしょう。

 どうしてそんなふうに考えるのか考えてみたのですが、やはり自己責任主義なのかもしれません。大学入試も教員採用試験も自分1人の努力で勝ち抜いて教員になって、教員の女性と結婚して今は夫婦で年収1500万円以上あって、自分は勝ち組だと信じているからでしょうか。オレは公務員は勝ち組になってはいけないし、なれないと思っているからそういう認識を持たないのだけれど、自分1人の力で努力して教員になったと思っている人たちの多くはそう考えているのかもしれません。だから弱みを見せまいとして誰かに頼ったりお願いをするということをさけ、自己責任主義の延長で「お互い様」という助け合おうという雰囲気がなくなっているような気がします。オレは絶対に買ってこないけれど休みを取った人が次の日みんなにお菓子を配るのも根っこは同じなのかもしれません。職場に「溜め」が失われているなぁと思いながら今日も貰ったお菓子を頂いています。

 ケイタイを持っているとか、ブランドのバッグを持っている、犬を飼っているなどの条件だけから家庭の状況は判断できません。派遣社員であればケイタイがなければ次の仕事の連絡が来ないだろうし、ブランドのバッグは質に出せない思い出の品かもしれません。犬だって貧しくなったからという理由で捨てられたら保健所が悲鳴を上げることになるでしょう。保護者の一面だけで決めつけず、給食だけが頼りかもしれない子どもに給食を食べさせることを第一に考え、ウソかもしれないと思っても保護者の言葉を信じて対応しなければ何もはじまらないと思います。事務室はお金を取り立てるところでなく、保護者とお金の相談をするところなのだと思います。

 そして学校は教員夫婦の家庭のような裕福な家庭ばかりではないということを認識した上で、就学援助費では支給されない卒業旅行や卒業アルバムが本当に必要なのかも考える必要があるのかもしれません。もし経済的な理由で修学旅行や卒業旅行を欠席した児童がいたとしたら、、、。

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