takubonpapa blog

 日常の出来事や感じたこと、Mac、バイク、キャンプ、さだまさし等について書いてます。

こんなバカガキに育てたのは誰の責任か

2010-12-29 23:38:25 | 子育て
 今日は同業者サークルの望年会があってぎっちり飲んできた。帰りの磐越東線の中で座席を無駄に占拠しているバカガキを見て考えさせられた。オレなんかは席が空いていても座る気はないけれど、だからと言って「誰も座らないだろうからいいだろう」と考えるのは醜い日本人なのではないか。誰かが座るかもしれないと慮って空けておくのが美しい日本人なのではないかと。



 そしてその前の座席を見たら、お気に入りのマンガを並べたくらいにして座席を占拠しているバカガキがいてさらにがっかりした。このバカ奴らに説教しても逆切れするだけだからと思って占拠している座席の肘掛けに腰掛けてやったけれど何も感じない様子だった。まぁだからバカガキなのだけれどあきれた。

 駅を出てタクシー乗り場へ行き乗ろうとしたところに女性の2人組が乗ろうとしたのでタクシープールに1台いたこともあって譲ってあげた。(美しい日本人はレディーファーストだよな)そしたらオレの次に並んでいたバカガキがタクシープールにツカツカと歩いて行って乗ろうとした。オレは乗り場で並んでいる人がいるというのにまさか乗せないだろうと思っていたがあっさり乗せてしまってガッカリしちまった。順番を守らないバカガキもバカガキだけれど乗せるタクシーの運転手もどうしようもねえな。これではまじめに乗り場に並んでいるオレがバカみてぇじゃねぇか。醜い日本人ばかりになっちまったけれど、せめて正直者がバカを見ない国であって欲しいと思った。

 これらの現実に直面してこのようなバカガキに育てたのは誰の責任かと考えた。第一義的には美しい日本人としてのルールやマナーを背中で教えなかったバカ親のせいだと思う。しかしそんなバカ親に期待して丸投げしてきた学校の責任でもあるような気がした。学校でそこまで教えなければならないのかと思うと悲しくなるけれど、それが現実なら学校で教えるしかないのだろう。ならば道徳の授業でルール(法律)を守ることはもちろんのこと、美しい日本人としてのマナーを教えることが学校の責任なのではないかと考えた。バカガキ・バカ親になっちまった輩はあきらめるとして、次の世代に美しい日本人を育てて行くことが受験学力をつけること以上に重要な学校の役割なのでないか。(酔っているせいか熱くなっちまった。)
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2 コメント

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Unknown (hiromaru)
2010-12-30 23:06:45
例えば学校であいさつを教えます。ウォーキングなんかしてるとき、子どもたち、高校生だって「おはようございます」「こんにちは」ってあいさつするんです。
でも、大人に声をかけてもあいさつしません。たまたまかなぁと思ったりもしますが、また別の日、今度はあえて大きな声で顔も向けてあいさつしても、やっぱりそっぽを向く‥‥。
こういうのに出くわすと、結局「大人はあいさつしないんだ」
「学校にいるうちはあいさつするけど社会に出たら必要ないんだな」と思うんじゃないかと、常々思っています。
結局、学校で教える常識が社会の常識になってなくて、まじめにやってる方がバカみたいに思えるわけですね。
社会が、つまりひとり一人がしっかりしなきゃどうしようもないです。まずは家庭から、地域から、そうじゃないと「学校ヘンじゃね?」ってなってしまう‥‥。そのうえで学校もいっしょに教えていくのが本来のあり方のような気がします。
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Re: (takubonpapa)
2010-12-31 23:38:21
ありがとうございます。
 バカガキを育てたのはバカ親でバカ親を育てたのはそのまたバカ親なのだろうと思います。

 我慢をして、無理をして子どもたちに美しい日本人としての凛とした粋ってものを見せてこなかったから、面倒だから、非合理的だから、忙しいからという理由をつけて心のタガを緩めてしまったから、子どもたちはそんな大人の上手に立ち回る姿を見て「いいんだ。」と思ってしまったことが子どもの心を壊したのかもしれません。自分も反省すべきところが沢山あります。
 つまるところ大人が悪いのですね。これを立て直すのは容易なことではないけれど、一人一人が変わることでしか変わらないのでしょうね。
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