たまさかの出会い

定年後、福岡に移住し、福岡の食と自然と歴史散歩を楽しんでいます。

久留米史散策ウォーキング

2021-04-04 12:34:18 | JR九州ウォーキング

4 月 3 日(土)JR九州主催のウォーキングに参加してきました。

コース  JR 久留米駅 → 水天宮  → 青木繁旧居  → 小頭町公園 → 久留米城址 → JR 久留米駅

距離 約 7 Km

時間 約 2 時間

9時20分 JR久留米駅に到着後、受付をし、本日のコースマップを貰い、歩き始めました。

 

とても良い天気です。暑くなりそうです!

    

まずは、全国水天宮の総本宮である「水天宮」を目指して歩きます。

    

10分程で「水天宮」に着きました。

    

[ 水天宮 ]

社伝によれば、寿永4年(1185年)、高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使局伊勢が千歳川(現 筑後川)のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのに始まる。伊勢は剃髪して名を千代と改め、里々に請われて加持祈祷を行ったことから、当初は尼御前大明神、尼御前神社、尼御前宮などと呼ばれた。そのころ、中納言平知盛の次男平知時の子右忠が肥後国から千代を訪れ、その後嗣とした。これが現在まで続く社家・真木家の祖先である。幕末の志士・真木保臣は第22代宮司であり、境内社・真木神社に祀られている。

慶長年間に久留米市新町に遷り、慶安3年(1650年)、久留米藩第2代藩主有馬忠頼によって現在地に社殿が整えられ遷座したのが現在総本宮である久留米水天宮である。 その後も歴代藩主により崇敬されたが、特に第9代藩主頼徳は、文政元年(1818年)に久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請し、その後明治5年に現在の東京水天宮にご遷座された[1]。 明治元年(1868年)には元神明宮に分霊され相殿に祀られる。(wikipediaより)

境内の「水神社」前に、可愛らしい「肥前狛犬」が置かれていました。

    

「水天宮」の横には「筑後川」の流れています。

    

「水天宮」を後に、次は「青木繁」旧居を目指し歩きました。

    

途中「MOONSTAR」の大きな工場が有りました。

    

「青木繁 旧居」  絶筆となった「朝日」の複製画が飾られていました。

    

[ 青木繁 ]

1882年(明治15年)7月13日 - 1911年(明治44年)3月25日)は日本の洋画家。号は香葩。

明治期の日本絵画のロマン主義的傾向を代表する画家であり、代表作『海の幸』はその記念碑的作品と評されている。若くして日本美術史上に残る作品を次々と生み出したが、名声を得ることなく放浪の末に胸を患い、28歳で早世した。(wikipediaより)

久留米市内を歩くのは、初めてでしたが、道路も広く、緑化もされて綺麗な都市空間を作っていました。

    

ハナミズキが満開でした。

    

    

「久留米城址」に着きました。

    

石垣が残されていました。

    

本丸の跡は、藩祖「有馬豊氏」をご祭神とする「篠山神社」になっていました。

    

参拝後、ゴールのJR久留米駅を目指し、歩きました。

途中、「ブリジストン 久留米工場」の前を通りました。

    

前回の東京オリンピックの聖火ランナーが履いた靴を作った「アサヒシューズ」の前も通りました。

    

11時15分ゴールのJR久留米駅に到着です。

    

駅前には、久留米を代表する3つのモニュメントが有りました。

ブリジストンの直径 4 mのタイヤ

    

久留米ラーメンの素となった「屋台」

    

久留米出身の「からくり儀衛門」こと「田中久重」の業績を記念する「からくり時計」

    

11時20分 ゴール

    

気温は26℃越えの夏日! 

汗をかきながらのウォーキングで、当初、豚骨ラーメン発祥の久留米でラーメンを食べて帰る予定でしたが、暑さに負けて、南福岡駅まで戻ることにしました。


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