Truth Diary

母百壱歳の誕生日を迎える

 先の大戦末期に生まれた私の同級生の名前は勝利、衛、邦男など厳しい戦局をなんとか跳ね返し勝利をの思いを込めた勇ましい名前が殆どだ、そうしたなかで私の名前だけは浮世離れしており厭だと思っていた。
 命名の由来は母が嫁いですぐに夫(私の実父)が召集され父は私の誕生を見ぬまま命名だけして、中国戦場へ出征し還らぬ人となった。死を覚悟した父は自分が亡き後は妻子とも家に縛られずにすむようとの配慮と、軍国主義で自らは為し得なかった自由をせめて子に委ねたい強い思いから非常時下にそぐわない眞琴と命名し還らぬ人となった、まだ若かった母は婚家に残り復員した親戚筋にあたる人を婿に迎え家と私を守ってくれた。その義父から生まれた4歳下の弟は先祖名を継いで祖父の望みどおり代々の家を継ぎ福島の実家を守ってくれている。昨今は芸名などに使われる綺麗な名をもらい(当人は名前負け感)束縛されない人生を歩み続け今は宮城で人生を謳歌出来ているのは亡き父の深い洞察力からの命名のお蔭と感謝している。今ウクライナの戦禍で父を失った数多くの子等の将来を思う時遺児として周りの暖かい思い遣りで過酷な人生を味わうことなく成長して欲しいと願う。戦禍の試練を乗り越えた母は今月20日で満百壱歳を迎える。ありがとう。

福島県の特養ホームでお世話をうけ元気に笑顔を見せる最近の母_介護施設のブログから拝借加工しました。

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