Truth Diary

白虎隊士の墓参り

  仙台市北山の輪王寺に戊辰戦争で16歳で白虎隊士として出陣、飯盛山で自刃するも偶然救助され、ただ一人蘇生した飯沼貞吉(後に貞雄と改名)の墓参りをしてきた。
 当然私の祖先の墓参りは21日に福島で済ませている。
 貞吉は死ねなかった自責の念に苦悶しながらも生き抜きその後、明治5年に逓信界に入り電気通信技術者として全国の電信電話ネットワークの架設に尽力、半生を社会貢献にささげた、明治30年から7年間仙台に住み、その墓が輪王寺に有り、分骨されたものは会津の飯盛山で白虎隊士達と共に眠っている。今月彼の孫3人で、墓に顕彰のプレートと、貞吉が出陣の時、母が贈った歌歌碑として建立した。歌碑「あずさゆみ むかう矢先はしげくとも ひきなかへしそ 武士(もののふ)の道」は最後まで会津武士の矜持を保てとの母の我が子への壮絶な餞(はなむけ)の歌で会津武士の母の厳しさを貫き通した心情に瞠目する。
 戊辰戦争を扱ったNHKテレビドラマ「八重の桜」の放映もあり墓参者が少なくないようで同県人として嬉しい限りである。

広い墓地の一番奥まった高い処にある

母ふみが餞におくった歌の歌碑はこの9月に建立されたばかり、石は故郷会津の磐梯山のもの。
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