宮城県図書館に出かけ外の木々の見えるテラスで大岡昌平の終戦間際の実体験を綴った捕虜記を読んだ。もともとクリスチャンで会社勤めしていた彼は終戦の前年35歳で予備兵として応召され輸送船でフィリピンに送られた。
ルソン島に近いミンドロ島の警備にあたるうちにアメリカ軍が上陸してきて敗残兵となりマラリアに罹りながらジャングルを逃げ回るうちに順次仲間を亡くし、たった一人彷徨するうちアメリカ軍に捉えられ捕虜となり収容所に入れられ、収容所を転々と変えながら捕虜の恥辱に耐え、帰国を夢見ながら苦しい捕虜生活を生きるとは、宗教とは、日本国の戦争へ道筋への疑問や憤り、敵国アメリカの文化、豊かさ、敵米国の捕虜に対する人間味あふれる対応などから国の豊かさや寛容さを知らされ日本という狭い国から世界の趨勢を知り、敗れそして捕虜となったからこそ知りえた事柄は筆者を大きく変容させ如何に生きるべきか内省と葛藤を繰り返た。
捕虜になる前に無防備な若い米兵と対峙したときに十分に相手を撃てたのに自分は何故発砲しないで命を助けたのか。その理由を自問自答しながら深く自分を探く見つめ問うてみたが明確な答えは見いだせなかった。
収容所での元上官の卑屈とも思える権威に対する阿諛など人弱さ醜さ権威捨てきれずの人それを失くした素の人間の哀れな姿を垣間見、そうした体験を実録として世に発表した作品だ。
私の父は32歳と遅く応召されその点でも大岡と共通点があり興味をひかれ、つい読み込んでしまった。父は戦地に赴くのに心の整理として仏教に救いを求めていたことが残していった本で判明した。終戦間際に戦地に赴くことはすなわち死を意味する。
こうした状況に自分の死後を考え得ずにはいられない。そして宗教にすがることは十分に理解できる。昨年暮れに父と叔父の兄弟慰霊像を福島の墓地に建立したが、奇しくも終戦記念日にこうした本に巡り合えたことは亡き父との縁というべきか。田舎に生まれ育ったが書の道を能くし文学を愛した父だった。私の名前眞琴は、出征前付けてくれた父からの唯一の贈り物である 合掌。
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