・日々の出来事を簡単にまとめています。
田中がくBLOG



市長選も終わり、ようやく落ち着いて来たと思い始めた頃、田中がく後援会坂口修一郎会長が辞任を申し出てこられ受理をさせて頂きました。
坂口会長は山中候補とは遠い親戚関係にあり、この度の選挙では中立を貫くと一切の活動はされてませんでした。
当然私も一度たりとも、お願いには行っていませんでしたが、今回の結果が僅差と言う事もあり相手陣営よりの抗議もあり仕方なく辞任をする事になりました。
私自身、地縁・血縁のない貝塚で市会議員になれたのも坂口会長のおかげだったので、ご苦労をかけて大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今後は後任も探さないといけませんが私自身の市長選挙における藤原さん対しての応援は決して間違ってなかったと言う事を証明するのが一番のご恩返しだと思いますので、これからも一生懸命頑張って参ります。

コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )




26日(火)午前8:05関西空港発の飛行機に乗り沖縄へ行って来ました。
10時20分到着後レンタカーに乗り嘉手納町に向かいました。
午後2時から米軍基地に隣接している道の駅かでなの3階会議室で嘉手納町役場、基地渉外課の課長さんより現地の状況と、これまでの経過を詳しく教えて頂きました。
驚く事に町総面積15.04平方キロメートルの約83%が米軍基地でした。
基地従業員数2766人内町民70人(人口13.860人)米軍数は家族も含めて21.000人となっています。
この基地での最大の問題は騒音です。
深夜早朝(22:00~6:00)の70dB以上騒音発生回数は平成20年度で4231回1日当たり約12回と大変多くの方々が騒音に悩んでいるそうです。
午後4時までの視察の間でも戦闘機が飛ぶと声が聞き取れないくらいの爆音で市民の皆さんの気持ちを考えると普天間との統合は考えられないと実感しました。
初日の視察を終えて沖縄県民の事を考慮して政府は答えを出して欲しいと心より思いました。


27日(水)この日は午前10時から宜野湾市にある普天間飛行場移設問題で市役所にレクチャーを受けに行きました。
宜野湾市の人口92.463人で面積19.7平方キロメートル(内米軍基地6.43平方キロメートル)宜野湾市の全面積の約25%が米軍基地でなんと人口密度は東京や大阪をはるかに上回る程で基地面積を除く人口密度は69.34人となり日本一危険な市となっています。
ここも嘉手納と同様で騒音問題が多く2008年の騒音発生回数は42.001と夜間だけでもこの数字ですから大変な問題です。
また基地の周りには学校や病院と言った公共施設も沢山あり2004年8月13日には沖縄国際大学へ米軍ヘリが墜落すると言う事態が発生しました。
偶然にも市民の皆様からの死者は出ていませんがいつ大惨事を引き起こすかわからないと住民の皆様は戦々恐々とされています。
少しでも早くこの普天間の問題を解決できればと市役所をあげて運動を行っていました。
実際に現地で見た感想は想像を絶する程でした。
約2時間の視察を終えて午後からは名護市の辺野古に直行しました。
海沿いは米軍のキャンプシュワブがあり海岸に降りる事が出来なかったので大浦湾の対岸から辺野古を視察しました。
大変綺麗な海でした。
埋め立てるのは、もったいないと思いましたが、この辺は人口が少なく住民の危険性を考えれば仕方ないのかと言う気がしました。
無責任な言い方ですが普天間の住民への危険性を考えれば自民党時代の政府が出した案の方が良かったと思いました。



28日(木)前日は名護市に宿泊したので朝から那覇に向かいました。
午前中、ひめゆりの塔に見学へ行き午後1時半から航空自衛隊那覇基地に視察へ行きました。
この3日間の総括として沖縄県内の米軍基地問題についてを午後4時まで話しをさせて頂きました。
ただ一つ国民の皆さんに知っておいて欲しいのは、この2時間半の間にも航空自衛隊は領空侵犯を防ぐためにスクランブルを組み4機が出動したと言う事態です。
我々、戦争の怖さを知らない現代人にはピンとこないかも知れませんが対北朝鮮・対中国等との緊張関係は今もなお続いていると言う事実です。

日本の平和があるのも沖縄米軍基地があり自衛隊がいてると言う事を忘れてはいけないと今日の視察で改めて実感しました。
これからは我々で出来る限り可能性のある事は努力して行きたいですし国民の1人として真剣に考えなければならない問題です。
5月までには結論を出すと総理大臣は言っていますが1日も早く沖縄の人を救ってあげてもらいたいと思います。
戦争のない日本!
これからも、そうあって欲しいですし、またそうあるべきだと心から思います。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )