風来坊の忘備録

晴歩・雨読 日々の雑感 不定期便

正一位 稲荷社

2020-11-23 19:01:52 | 日記

正一位は 位階及び神階のひとつ諸王及び人臣における位階・神社における神階の

最高位に位し、従一位の上にあたる 因みに人物では国家に対し偉勲の著しい者が

叙されている 生前に叙された者は史上でも6人しかおらず 没後追贈位が殆どで

それも織田信長を最後とし以降叙位の例はなく 現、内閣制度下で叙任者はいない

                             uikupedeia より

神社においても正一位が神格の最高位の称号で 全国で20社ほどがこれにあたる

だけだという

それなのにである 国内に三万社あるという 稲荷神社が」『正一位』名乗るのは

不自然 且つ 尊大にすぎないか 稲荷社を訪れるたびに 考えることなのだ 

街中で観る 小さな「やしろ」だけの神社には格式が高すぎないかとは日頃の思い

 

鎌倉時代に 後鳥羽天皇が京都伏見稲荷大社を訪れた際に 分霊先でも正一位を

名乗ることを許可したとされているらしい 以来、全国に約3万ある「分霊先」でも

正一位を名乗っているというのが 真相のようだ

長年、内閣を率いてきた 安倍晋三氏が 正一位を要望したいとしても 叶わない

事なのだが  もしかして法を曲げたり拡大解釈をして。。。。考えたくないナ

 

 

 




第六天神社 さいたま

2020-11-20 19:40:38 | 日記

『6』という数字には どこかまがまがしいものを感じるのは なぜだろうか

古い以前に観た映画(オーメン)のせいか  頭に「666」の痣を持つ悪魔の子

ダミアンを巡る物語の印象が いまだに心に 残っているからだろうか

 

「第六天」にも「魔王」との知識がかすかに頭の中にはあるのだが 思い出せない

この神社との 因縁はないのだろう 素直に因縁を忘れ参拝しようか 

近郷近在に古くから尊崇されてきた当、第六天神社はふるさとの奉斎する謂れある

土地の守護神であります 縁結び、子育神、商売繁盛、厄除け神等民福安栄の象徴

として後世までお祀りされ信仰され 縁起の良い。。。と、標識には書かれている

 

まがまがしさなんて 一点もない  先入観で観てはいけないのかなと 思いつつ

手を合わせるも不敬ながら第六天は悪魔だとの思いも消せず 帰って調べなければ

なるまいと腹で考えての 今日の天気のようにどこかすっきりしない気持ちでの

帰還だ

        だいろくてんじんしゃ さいたま市浦和区岸町


白幡 睦神社

2020-11-19 15:59:09 | 日記

睦神社はもともと 当地にあった富士浅間社に 明治維新後に 合わせて10社の

神社を合祀して成立した神社で  社号の『睦』は合祀で一つになった 諸社及び

その氏子が「睦び和むように」との願いを込めたものである らしい

その際の経過は不明ながら 祭神は もとより 氏子一同も果たして納得しての

事なのだろうか 気になるところ 神様は素通りなのかしら

あるいは 明治の政府の強制的専断かしらとの 邪推も働くのだが

そんな 思いとは無関係に 風もなく汗ばむほどの陽気の中 そんな過ぎた昔のこと

お前が考えるには及ばぬとばかりに 境内は ひっそりと・・・。

       しらはた むつみじんじゃ さいたま市南区白幡

 


月読社 さいたま

2020-11-18 17:13:30 | 日記

地名は「神田」と書いて《じんでん》 神社は「月読」を《つくよみ》と呼ぶ 

生半可の知識を振り回すと 恥をかくことになりそう どこにも仮名を振って

ないから猶更だ

 

神田の名は この辺りは大古の昔 伊勢神宮の神領であった その神領の中に

一反五畝四歩の伊勢田との呼ばれる田があり 農耕の守護神として祀られた。

神田に因み 村号を神田(じんでん)と名付けられた そうである

月読社の由来は長くなるので省略するが 明治時代には氷川社とし神田村の村社 

だった その後、村民の希望で月讀社と改称し祭神も須佐之男を改め月讀命とした 

との履歴を持つようだ

月読社の『月待行事』が当地で 行われているかは辺りに人もおらず聞けなかった

 十五夜 、 十六夜 、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜「講中」と

称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、 経 などを唱えて 月 を拝み  悪霊 を

追い払うという宗教行事である こんなことも伝承されていたら 楽しいんだがと

思いつつ ここを後にした 

 

         つくよみしゃ さいたま市桜区神田

 


七観音菩薩 川口法福寺 

2020-11-17 20:57:22 | 日記

「花も咲いてないし なーんも撮るところ無いっしょ」落ち葉を掃き清めていた

らしい女性に話しかけられる 花の寺でもなく、ましてこの季節当然の問いかけ

何にもないから良いんですと、答えて境内を見回す なるほど何にもない・・・が

あるではないか 文化14年造立 七観世音菩薩の石塔が かたすみにひっそりと

観世音は世の人々の音声を観じて、その苦悩から救済する菩薩 人々の姿に応じて

人々の願いに応じ千変万化の相となるといい、その姿は三十三観音、六観音、とも

評される 天台宗では一つ加えて七観音だが当山は真言宗とあるいつの事か宗旨替え

したのかも知れない  聖、十一面、 千手、 馬頭、如意輪、准胝、不空羂索 を

七観音と称し、六道輪廻の思想に基づき、観音が道に迷う衆生を救うという考えから

生まれたものだとの事だが  一つの石塔に七観音全て 彫り込んだのは初めて拝見

彫も深く 中々の出来だ 観世音菩薩よいまの世の乱れを正しては貰えないものか

街の片隅の あまり人には知られていない小さな寺の 小さな古びた石像に祈りを

ささげ 得体のしれない悪魔のようなウイルス退散を 願った次第。

      ほうふくじ 川口市里