2013年8月訪問時
久保田町、薬師堂西の金毘羅大権現
旧東久保田集会所隣の薬師堂の前を左(南西方向)へ曲がり、約130m地点の塀のへこみ部分に金毘羅大権現の石碑があります。
金毘羅(金比羅)大権現は、「琴平」「金刀比羅」と表記されることもあり、香川県琴平町の金毘羅さんは「海の交通安全祈願」のご利益で有名ですが、私が住む地域は「海なし県」に当たるため、稲作&畑作が盛んなので「雨乞い」のご利益があるそうです。
(一部、2014年1月発売分?の雑誌「一個人」を参考にしました)
地図はこの辺→ https://goo.gl/maps/Si8HnQLaNDt
久保田町、墓地内の念仏供養塔
大正時代の道標石柱前を右折し(北方向)、馬頭観音碑がある道を進んだ先の墓地に念仏供養塔があります。(写真右では、手前の中央)
こちらのは、文字の上に地蔵菩薩でなく、如意輪観音が陽刻されています。
念仏供養塔の右には、左肩側が大きく破損した如意輪観音像もある。
この石碑は、道標石柱から約170m地点で見えます。
2016年5月訪問時
運動がてら再撮影。久保田町、薬師堂西の金毘羅大権現
3年前の訪問時に元号が分からなかったので、後ろに回ってみたら…寛政十二歳(年)とあったので、「庚申年」の金毘羅碑だそうです。
久保田町、墓地内の念仏供養塔
今回の再撮影で特にびっくりしたのは、元禄十五年の銘がある如意輪観音像(念仏供養塔の右)の右手が、単なる頬杖でなくて「あい~ん」になっていた点。
2014年以降、栃木市藤岡町の慈福院の如意輪観音像、埼玉県羽生市の正光寺の如意輪観音石碑(2つともtumblr記事から)で、「あい~ん」しているように見える像容のものを見ているのですが、この記事の如意輪観音像が(私個人の)初撮影だったようです。
元禄十五年…確か、「赤穂浪士討ち入り」があった年だったはず。
3年前に撮影しなかった地蔵尊など。