コピーライターから始まった私の仕事歴は、番組の台本書きからコピーライターとしてのテレビCMの一本コピー、いろんな台本から新聞の広告原稿。やがて新聞社の文化部。報道部で記者として契約勤務。旅行雑誌の記事、食の記事、環境、住宅など、本当にゆりかごから墓場までの原稿を書いてまいりました。稼いだ時期もあり、収入0の月もありました。えびのに来たのは、自分の中で「もう、書いた!」。商業ライターとして、自分の中で書きつくし感があったからと、コピー いわゆる 宣伝の世界にちょっと嫌気がさしたからです。そこで私の商業ライターとしての限界が近かったのかもしれません。
業界は男性ばかりだし(いい事もあるけれど)、私は女一人一本のペンで新聞社とかテレビ局の中に入り、そこで仕事をするわけでして、何もないところから物を造るにあたっては相当根性と意地がないと男達の間では生きてゆけない。大きな会社の中にいるエリート達と、音楽畑から湧いてきたようなライターが差しで向い合うのは、非常に厳しい事態が何十回もありました。ピアノを弾かなかった30年間が、それにあたります。セクハラ、パワハラという言葉が今でこそ存在していますが、私がえびのに移住したのも大きなポイントはパワハラでしょう。
でも、いいんです。コピーライターとして女のペン一本で到達するところまでは辿りついた感があります。
今は、いろんな芸術家からのお仕事を頂き、ペンをうごかしています。
芸術家 アーティストの方達は、私がピアノを演奏する際にある、その個人の感性と個性。好き嫌いがはっきりしています。
限りなく少ない文字数 シンプルで作家の感性になじむ言葉。それを読む一般の人たちに理解される言葉というものは、なかなか簡単には書けません。
また作家と私との相性もあるでしょうし。
詩的な感覚も必要ですし、いろんなエッセンスを含んだ豊富なボキャブラリーをいつも持っていないといけません。
そろそろ、新しい類語辞典を買おうかなあ。
というわけで、今日 今年最後の原稿を出稿。一年を振り返り、反省しつつ、反省の重さより来年の前進に重きを置く 27日です!
*写真は、ハウステンボスの光の王宮。バロック音楽に合わせて光と水が幻想的な世界を創りだしていました。とても素敵でした。
そうでしたか。何かに属さないで仕事をするということは、ことに女性にとっては大変なことですよね。
いまさらですが、えびのを選ばれたのは何かきっかけがあったのですか。いや、根掘り葉掘り聞きたいわけではありませんが。私も一時小林に住んだことがあり、飯野とか上江とか近かったので。
上江 飯野 あるある!
えびのは 何のゆかりもないですよ。
終の棲家探しをしていて 宮崎市 高岡 小林 高原 ・・・ など ネットで探しました。
本当は 北川町に住みたかったんですよ。でも あまりに大好きすぎて 別格にとっておきたい ふるさとにしたんです。
この話は また今度!
あ 今朝 えびのは氷点下3度でした!