子どもの頃、悪いことをしたら謝りなさいと習いました。
これは最も基本的な道徳の一つではないでしょうか。
では何故、謝らなくてはならないのでしょうか。
私なりの理由を考えてみました。
中学生の音楽の授業の時
内容は忘れましたが、私は怒られました。
そして、「すいません」と言いました。
すると、先生は「すいません、ではなく、
すみませんが正しい日本語。このままでは、心が澄みません。という意味」と教えて頂きました。
子どもながら納得したのを覚えています。
謝罪する理由は心を晴らすためでしょうか。
誰の心を晴らすための謝罪なのか。
例えば、カツオが波平が大切にしている盆栽を割ってしまったとします。
波平は大切な盆栽を失ってしまったので、心が曇ります。
カツオは父の大切な物を壊してしまったので、心が曇ります。
カツオが謝罪することで、
波平はカツオに割った経緯を聴取して、納得したり、防止策を講じて、全部ではないかもしれませんが、心が晴れます。
カツオは波平の怒りが落ち着く事で、心が晴れます。
両者の心を晴らすために謝罪が行われるのだと思います。
私がよく悩むのは
悪いと思うことをやってしまって、相手は怒っていない場合など、
自分の心を晴らす目的で謝罪をする場合です。
相手の為にならない、自分の為の謝罪は、
罪から逃げるための安易な方法を取っているのではないかと考えてしまいます。
謝罪を行わず、愚かな自分を心に刻み、同じ誤ちを繰り返さない方が大切だと思います。
相手の心が曇り、それを晴らすための謝罪は大切ですが、
自己中心的な謝罪は常識だから行うのではなく、成長の為に不用な場合もあると感じています。
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