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TAKE-LOG 竹ログ

二俣川を歩くと歴史と自然が待っていた

もう年の暮れだと思ったらまだまだ2日あった。

そういえばしばらくの間 お散歩ブログもやってないな、

 

今日はお寺に行ってお墓の掃除をしたが 寒い!

ご先祖さんに供物をあげてお墓の掃除としたら

心も晴れて気持ちに栄養が届いたようだ。

栄林寺の本堂を通り坂の階段を上がると絶景が待っている、

このお寺の基礎の細かい石と砂から出来た硬い砂岩である

 

お寺の前を流れる二俣川は光明断層で出来た凹みを断層が走り

対岸の街は粘土と小石の層の上に出来た街である。

 

歩いていると毘沙門様の所まで来てしまった。

ここは、二俣城攻略戦で武田信玄が陣を張ったところである

振り向くと

駐車場の向こうに流れる二俣川は当時深い堀になっていて

そこで徳川と武田の軍勢が二俣川を挟んで対峙したところである、

こうして見ると数百メートルの距離で対峙していたことがわかる。

笛や太鼓を叩き脅し合い時の声を上げていた当時の戦いが偲ばれる。

二俣城が落ちると武田の軍勢は一気に長篠城へ向かい

武田信玄は何故か浜松城を相手にはしなかった。

 

浜松城攻めに割いている時間の余裕は無い事態が生じたのか、

二俣城攻略のあいだに信玄の身に何かあったのあろうか、

ドラマを見ていると咳き込むシーンや身体を屈めて苦しむシーンが演出されて

肺結核か、肺がん、肺気腫と想像されるが、武田軍は長野県伊那谷を経て

中央構造線沿いの険しい谷から静岡県境のヒヨー越峠か青崩れ峠を経て

遠州に入って来たのでかなりの疲労を蓄積していたであろうと思われる。

 

などなど、空想してしまうのは、映画やドラマの舞台にこの地が描き出され、

子供の頃の映画教室で見た中村錦之介主演の『反逆児』であった。

 

やがて道は嘗ての光明鉄道の線路跡に沿って行くと栄林寺である、

私の祖父が作り供えた馬頭観音にお参りをして過ぎると、

 

当時、運送業を営んでいた祖父はフォードのトラックや

馬車が活躍し、仕事に使った愛馬の霊を祀る馬頭観音の話を聞いたことがある

 

栄林寺の門はすでに正月の準備は整っていて

門松が悲しい私の心を溶かすように笑んでいた。

 

おー!、見事な紅葉ではなか

自然は心を和む

紅葉は緩やかに私の目に入って来た。

まるで、私が紡ぐ羊毛のように

柔らかくしなやかに心に溶け込んできた

冬の寒い風の中で

暖かい焚き火に誘われるように私はシャッターを押す

その傍で初夏に咲く紫陽花も今は栄枯盛衰を私に与えていた。

 

傍で二俣川の河原は暖かい未だ紅葉を見せて年の暮れを飾ってみせていた。

子供の頃に、寺で見せてくれた紙芝居に色に飢えていたわたしの心に残っていた

 

散りゆく紅葉も最後の最後まで色を絶やさず

散った後も色気をもって作品に糸を通して生きていきたい

 

田舎の道の道標となって、子供の安全を守っていた

道祖神も寺の傍に並べられていた。

 

沢山の人が見てくれてありがとう!

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蒲郡市の観光の中心地竹島海岸竣成苑内にある竹島クラフトセンターの主人が投稿するブログです。

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