光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

写真展を三つ

2014年01月21日 | アート 写真

1月11日(土)東京都写真美術館で

日本の新進作家Vol.12 「路上から世界を変えていく」

「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ・・・写真であそぶ」

を観てきました。  いずれも今週末の1月26日(日)で展示終了です。

個人的には、「路上から・・・」が面白い作品もあったのですが、ぶるっとするような作品はなかった。

植田正治は、最近、食傷気味でラルティーグを含め、印象に残った写真は1~2枚あったかなという感じ。

 

1月17日(金)FUJIFILM SQUARE 企画展『フジフイルム・フォトコレクション』展 日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」・・・・に行ってきました。
(2014年1月17日(金)~ 2014年2月5日(水)10:00~19:00 期間中無休)

実績のある写真家の「私のこの1枚」なので、それぞれに味わい深い。

なかでも、荒木経惟(のぶよし)の「センチメンタルな旅」の1枚は、実作品を初めて見て、ぐっときました。 ただ見つめるしかない。

 

もう1枚は、富山治夫の現代語感から「過密」  1964年(昭和39年)の作品です。

 

両作品とも、写真の持つ力をまざまざと感じさせてくれます。

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ジョセフ・クーデルカ展(国立近代美術館)

2014年01月06日 | アート 写真

東京国立近代美術館(2013.11.16)の企画展・ジョセフ・クーデルカ展の紹介です。 会期はあと一週間となりました。

撮影禁止なので、リーフレットからの紹介です。

 

 

リーフレット表紙の写真は<ジプシーズ>から

 

東京近代美術館のWebサイトから、<ジプシーズ>の解説を抜粋

クーデルカはチェコスロヴァキア各地に暮らすジプシーを訪ね、撮影にとりくみます。舞台写真の仕事と並行して撮影されたジプシー
のシリーズは、現実の世界を「劇場」としてとらえる独特のヴィジョンをつくりあげるとともに、1975年に刊行された写真集により
クーデルカの評価を確立しました。 

 

 リーフレット裏面です。

 

 

亡命期間中の作品。

FRANCE. Hauts-de-Seine. Parc de Sceaux. 1987.  「エグザイルズ」より オー=ド=セーヌ、フランス(1987年) 
FRANCE. Hauts-de-Seine. Parc de Sceaux. 1987.
「エグザイルズ」より オー=ド=セーヌ、フランス(1987年)

 

写真展後半は<カオス>の無機的なパノラマ写真が多く、食傷気味でした。 強さはあるのですが。
FRANCE. Nord-Pas-de-Calais region. Pas-de-Calais department. 1986.   / GB. Wales. Cardiff. Parking entrance. 1997.   / GB. Wales. Cardiff Bay. 1997. Inner harbour. Graving dock.  「カオス」より ノール= パ= ド= カレー、フランス(1986 年)/ウェールズ、イギリス(1997 年)/ウェールズ、イギリス(1997 年)  © Josef Koudelka / Magnum Photos
FRANCE. Nord-Pas-de-Calais region. Pas-de-Calais department. 1986.
/ GB. Wales. Cardiff. Parking entrance. 1997.
/ GB. Wales. Cardiff Bay. 1997. Inner harbour. Graving dock.
「カオス」より ノール= パ= ド= カレー、フランス(1986 年)/ウェールズ、イギリス(1997 年)/ウェールズ、イギリス(1997 年)

 
 
 
ただ、数枚は、無機的な造形の中に、叙情的な写真がありました。
この写真もその一つです。

 FRANCE. Region of Nord-Pas-de-Calais. City of Calais. The new harbour. Dyke. 1989.  「カオス」より ノール=パ=ド=カレー、フランス(1989年) 
FRANCE. Region of Nord-Pas-de-Calais. City of Calais. The new harbour. Dyke. 1989.
「カオス」より ノール=パ=ド=カレー、フランス(1989年)
 
 
 
 
同時期の日本の写真家に森山大道がいて、クーデルカと似たようなベクトルで写真を発表しています。
 
しかし、荒れ、ブレといった流行の表現手法を追ったその作品には、写真の大切な要素が薄まってしまったように

感じます。  もちろん、その手法がふさわしいシーンもあるでしょうが。
クーデルカのカメラを2台ぶら下げた写真がありましたが、梅佳代の24時間シャッターチャンスという言葉が、浮かんできました。
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写真展 岩合光昭「ネコライオン」

2013年09月08日 | アート 写真

東京都写真美術館の入口では、二つの写真展のポスターが並んでいます。

 

 

このポスターを見ても、両作者のベクトルの違いが明確です・・・・東京都写真美術館が180度違う写真展を並べたのは、意図的だったかも。

ところで、ネコライオンのポスター、私は一見で猫の写真をアップにしているなと、深くは見ずに流したのですが、

よく見ると、ネコとライオンの写真を合成している!

よくまー、ぴったりの位置で合成できたものだと感嘆。 

内容は、下のポップの写真のように、ネコとライオンの相似した行動を並べていく構成になっています。 

 

芸術性だとか、そんな言葉はどうでもよくて、楽しめるか否かで勝負する写真展でした。 

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写真展 米田知子「暗なきところで逢えれば」

2013年09月06日 | アート 写真

8月24日(土)に行った東京都写真美術館の写真展二つを紹介します。

 

最初に米田知子「暗なきところで逢えれば」

新聞の紹介記事で知り、行ったのですが、米田知子は初めて聞く名前でした。

この展覧会の紹介記事を書くのに、時間がかかりました。

展覧会を見終えたときの印象は、アート作品を見た高揚感は少なく、もったいぶった見せ方に反発すら感じました。

それが、時間が経ち、写真の印象を反芻するなかで発酵してきたのでしょうか、平静になってきましたので、素直に感想を書きたいと思います。

最初に「Scene]と名付けられた作品集から

 

写真には題名表示がなく、番号だけが付けられています。この写真は 2

次の出品作品リストの2が題名となります。

続いて 8

 

いかがでしょうか。  どちらの写真も最初に見た印象は、普通の風景、特に野球場などは面白くもなんともない。

それが’特攻出撃基地、知覧の後’と題名がわかると、複雑な感情が湧いてきます。

2例目の’サイパン島の在留邦人玉砕があった崖に続く道’も、同じです。

作者、米田知子は、私達に、写真を見て、そして一拍おいて題名を見るように仕向け、写真のイメージを網膜上

のものから、脳の深層の記憶と連動させるように企てています。

 

続いて「Japanese House」の作品集から

Noは10。 蒋介石政権時代の参謀総長であった王叔銘将軍の家(齊東街・台北)I」2010年

この作品は、インテリアのもつデザイン性と、ほこりが積もった歴史が醸し出すアートを感じました。

蒋介石政権時代の参謀総長であった王叔銘将軍の家(齊東街・台北)I」2010年

 

この作品Noは17.   作品リストは写真の下に掲げました。  この作品もアートを感じました。

 

 

次のKimusa    作者が森美術館で展示を行った時のアーティストトークを引用します。

2010年5月31日 (月) 

主観が入らないように、一歩下がって撮る ~米田知子アーティストトーク(後編)

タイトルの《Kimusa》は、シンプルにその場所の名前で、韓国国軍機務司令部だった所です。
1910年代、そこには李氏朝鮮の官庁がありました。写っている建物は1930年代、日本の植民地時代に
官立病院として建てられたもので、韓国にはもうあまり残っていないといわれるモダニズム建築の1つです。
これが戦後は韓国の軍事病院として使われ、1970年代には国軍機務司令部になりました。今から2年後の
2012年には、国立の現代美術館になるそうです

Kimusa9   作品リストNo29
窓の外が壁なのか、壁を窓のように装飾しているのかよくわかりませんが、薄い宵闇のようなブルーと境界線
に輝く光がなんとも暗示的で面白い

 

 

次の「パラレル・ライフ:ゾルゲを中心とする国際諜報団密会場所」は、ハガキ大の大きさの写真で、あえてぼかした現像仕上げ。

下の東京宝図歌劇場(作品リストNoは32)は雰囲気がいいと思いましたが、それ以外は興味をひきませんでした。

 

 

次のサハリン島

この写真の題は「帝政ロシア時代、囚人の掘ったトンネルの入り口”3人兄弟の岩”をながめて、アレクサンドロフスク・サハリンスキー」

長い題名が今一つピンとこないのですが、写真はムードがあって好きです。

 

 

次の積雲

作品No55  平和記念日・広島 2011

 建物や風景が多かった写真から、珍しく人物の表情を中心にした写真です。

レオ・ルビンファイン「傷ついた街」と同じ水脈。  現代写真家の潮流なのでしょうか。

 

同作品集から、作品No63 菊

離れてみれば、冷たくクールで面白いと思ったのですが、近づくと、それほどのインパクトはない・・・写真鑑賞の不思議。

 

 

このあたりの会場内では、不思議な音響が響いていて、映像作品「暗なきところで逢えれば」の音楽だと知ったのは

会場を出た後でした。  

写真タイトルを見る煩わしさや、訳の分からない音響などで気分的に、マイナスの感じで鑑賞を終えたので、最初に書いた

反発すら覚えるという印象になった次第です。   私は短気なのかもしれない。

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梅佳代展

2013年05月20日 | アート 写真

神田祭の帰りに、新宿のオペラシティアートギャラリーで開催されている「梅佳代」展に行ってきました。

 

2013.4.13~6.23  開館時間11時~19時(金・土は20時まで)、休館日 月曜日
 入場料 一般1000円


上の写真が展覧会のパンフなどの表紙になっています。

頬が緩む可愛い写真です。

2007年に写真集『うめめ』で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞したことは、当時アサヒカメラ誌を読んで知りました。  当時も、彼女の写真に驚きました。

写真家として気負ったところは一切なくて、日常のなかのちょっと変わった一瞬を切り取った写真なのです。  そのときの審査員だった篠山紀信がコ

メントで、撮れそうで撮れない写真と評したのを、今でも覚えています。

展覧会場は撮影禁止でしたので、写真はWebサイトから引用させていただきます。

梅佳代がまだ写真学校の学生だった頃、知り合った近所の女子中学生を下宿に招いて撮ったもの。

性への好奇心に満ちた女子中学生の写真が並んでいます。   写った中学生から、言葉が聞こえてきそうな親近感があります。

 

このくらい男の子はこうしたパフォーマンスをしても不思議ではないのですが、やらせではなく自然にポーズをとっています。

梅佳代さんは、彼らにどうコミュニケーションして、撮ったのか? おそらく、自然に話しかけて、このポーズになったのでしょう。  そこが撮れそうで撮れない所以。

 

でんぐり返りをする男の子と無表情で通り過ぎるサラリーマン・・・冷めた世相・・・なんて大仰にいわなくても、見事なシャッターチャンスで十分。

 

同系統の作品です。  よく撮りましたね。  私がカメラを持っていたとしても、撮る勇気がない。  電車での光景は、よく撮りたい!と思う一瞬がありますが、肖像権などを考えると、とても撮る勇気がでてこない。

   

 

困っている猫ちゃんを、少し笑いながら撮ったと思います。  悪魔的な目と、慈愛の目の両方を感じます。

 

人間の振舞に目を向けると、いろいろ可笑しいことが一杯あるもの。

 

花火大会を見る観客の嬉しそうな表情。  梅佳代は花火よりも、それを見る観客の表情に面白さを見ています。

それは、私も同感なのです。  数年前に両国の花火大会を撮影しましたが、花火は1枚も撮らず、観客や街の光景を撮って帰りました。  

 

梅佳代さんのおじいちゃんと妹。  実にいい感じで家族の写真を撮っています。   私達が撮る家族写真と同じ視線で撮っています。  ただ、

違うのは撮影量と、好奇心ではないでしょうか。

この飼い犬、ソフトバンクのお父さんと似ていますが、この可愛い一瞬は心に響きます。

 

会場内の写真展示も、巨大なパネルや、天井への展示、Lサイズの家族写真など、彼女らしいセンスでまとめています。

梅佳代って本名なんだ。  写真を志したのはイチローと結婚したくて、野球雑誌のカメラマンになろうと考えたから・・・・などの対談もWebで読みました。

カメラもずっと同じ機種で、P(プログラム)モードしか撮らないし、ほかの機能はよくわからないなどと述べています。  いわゆるプロの写真家とは、ちょっと違いますが

本能的に写真を撮る感覚は、超一流です。

最後に梅佳代さんの写真。   カメラストラップを頭にかけている姿、カメラに女の子らしいシールを貼っている・・・いいですね。

 

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二川幸夫・建築写真の原点 日本の民家 1955年 

2013年03月13日 | アート 写真

2月26日に行った「二川幸夫・建築写真の原点 日本の民家 1955年」を紹介します。

昨日、その二川氏が3月5日に亡くなったとの報道記事をみて、素晴らしい展示の紹介を

是非しなくてはと思いました。

写真が撮れなかったので、下に他のサイトから引用させていただいたものを2点掲載しま

すが、全体概要は公式サイトの「見どころ」や「動画」でつかめると思います。 特に動画

はおすすめです。

公式サイト http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/13/130112/index.html       

 

私は、この展示会を、かなりの時間をかけて鑑賞しました。  それだけの内容があった

からです。

展示会場の出口では、二川氏へのインタビューなどを紹介している映像コーナがあり

当時、二川氏が撮影するのに、民家の所有者が撮影をなかなか許可してくれなかった

と述べていました。  民家に住んでいる人の感覚では、民家をキタナイと思っており

写真に撮られることを拒否したようです。

私の住む立川市にも古民家があり見学用に開放されていて、美しさを感じます。

しかし、市の図書館で昔の民家の写真を見たとき、雑然としておかれた家具や生活用具

衣類など、現実の生活の場としての民家は、古い、キタナイ、暗いといった面が強く感じ

られました。  所有者の気持ちはよくわかります。  立川市の古民家の元所有者も

地元の情報誌に、昔の民家は寒さが厳しかったと述べていました。 

地方の文化を凝縮した民家も、利便性や快適性の点で、立ち行かなくなり、1970年代

にはほとんど消失してしまった。    それだけに、二川氏の写真記録は貴重で、かつ

アート感覚のある写真が見る者の心を打ちます。

会期は3月24日までです。  おすすめの展示会です。 

蔵王村民家の妻破風とニグラハフ

二川幸夫《蔵王村民家の妻破風とニグラハフ》1950年代   
©Photo:Yukio Futagawa

 

愛知県南宇和の外泊の瓦屋根

二川幸夫《愛知県南宇和の外泊の瓦屋根》1952‐1959年

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東京国立近代美術館(2012.11.23) 写真 植田正治、石元泰博、森山大道

2012年12月04日 | アート 写真

東京国立近代美術館の写真コレクションから。

植田正治の鳥取砂丘での家族写真は有名で、雑誌などで見るのですが実物は初めてでした。

子供のポーズなどは演出ですが、自然な表情もあり、全体として家族の温かみが感じられます。 植田正治本人とその家族です。 自転車の子は違うでしょうね。

 

奥さんの我慢している感じが伝わってきます。

 

この写真は有名で、演出した配置・ポーズですが、すべてが絶妙に響き合って、面白い空気感を醸し出しています。

そういえば東京都写真美術館の外壁のデザインにもこの写真が使われています。

 

続いて石元泰博の桂離宮の写真から。

美の感覚が鋭くて、和の美を洋風の手法で見事に描き出している。

 

森山大道は、私の若い頃、アサヒカメラなどの写真雑誌によく載っていました。

当時、流行したアレ・ブレの教祖のような存在でした。  なにか得体の知れない雰囲気をだしたかったのでしょうが、ぶるっとするような写真はほとんどなかった。

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東京国立近代美術館(2012.6.3) 写真

2012年07月16日 | アート 写真

東京国立近代美術館(2012年6月3日)の作品紹介もラスト。
最後は写真です。  
今年2月に亡くなられた石元康博の「シカゴ、シカゴ」
石元は米国サンフランシスコの生まれで、日本と何度か行き来しており、戦時中は、米国の日本人収容所にいた。
そして、シカゴのニューバウハウスで写真を学んだ。

思い出の地であるシカゴに再び戻って、撮ったのがこの写真。
凄く冷めた眼で、光景を切り取っている。

 

 

労働争議のプロパガンダをバックに、白人と黒人がすれ違う。 ・・・深く考える必要はない。

 

アメリカらしい商業広告と摩天楼、時刻は早朝の5時2分だろうか 街はもう動き出している。

 

この写真を見ると、昨年9月に見たレオ・ルビンファインの「傷ついた街」を思い起こしました。
写真に迫力があります。

 

 

面白い写真(といっても、ゆっくり動く動画ですが)がありました。
60秒の動画を15分に引き伸ばして、演技者5人のアクション・表情が超スローモーションで再生、その動きを3枚の写真に収めました。

 

最初に見たときの印象は、チベットかビルマの高地で赤い僧服の僧侶が、遊牧民に向かっていく・・・と全然、あっていない状況理解で、タイトルからすると、エクアドルで、赤い服の女性が、ロバや飼い主などのいる場所に歩いていく光景でした。  俯瞰撮影と緑が印象的でした。

 

もう一つ、企画展示で「写真の現在4 そのときの光、そのさきの風」が、2階で展示されていました。

中堅、若手の写真の今を伝えるものです。  撮影禁止だったので、Webサイトの案内から抜粋。


新井卓《2011年7月26日、飯舘村、放射性のヤマユリ》 2011年


有元伸也《ariphoto2006 vol.4 #05》
2006年
 

 


本山周平《静岡 興津 2003年8 月19 日[写真集『SM TABLOID BOX』
より]》2003年

 

 

村越としや《大きな石とオオカミ》 2011年

 

 

中村綾緒《pray》2011 年

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国立近代美術館 北井 一夫 「村へ」より

2011年09月15日 | アート 写真

近代美術館は写真の展示もそこそこあり、気に入っています。
今回は、北井一夫の「村へ」。  1974年のアサヒカメラ誌に連載されたシリーズで、日本の農村の日常生活が撮影されている。
この連載中、第一回木村伊兵衛写真賞を受賞。
撮られる人と撮る人のコミュニケーションが感じられて、いいムードになっています。
昨日紹介したレオ・ルビンファインの「傷ついた街」にはコミュニケーションは感じられませんが、それはそれで必要な要素だと思います。



この写真も女性の表情にコミュニケーションが感じられます。


木地師は、ろくろを使って木製のお盆やお椀などを作った木工職人で、木地師は「日本全国の山に勝手に入ってもよい」という免状を持っていた。
江戸時代には山の8合目以上の木を自由に伐ってよかったとか。
しかし明治になると、地租改正事業により所有者の許可がなければ一木も伐ることができなくなり、生業が成り立たなくなった。
しかし、この写真が撮られた1975年当時、わずかでも木地師はいたわけだ。


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国立近代美術館 本館企画展 レオ・ルビンファイン「傷ついた街」

2011年09月14日 | アート 写真

企画展のレオ・ルビンファイン「傷ついた街」を紹介します。
迫力ある写真展です。 各写真は1.5m×1.8mで宙吊りされており、写真の回廊を通って見ていく仕掛けです。
9.11テロの後、世界各地で行きかう人々の表情を切り取ったスナップ写真に、強いインプレッションを受けます。  印象を言葉で語るのは野暮ったいので、パンフレットの写真や、展示趣旨などを御覧頂きましょう。


 



2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件は、新しい世紀を迎えた世界に深い影を投げかけるものでした。その数日前に、世界貿易センタービルからわずか2ブロックしか離れていない新居に引っ越したばかりだった写真家レオ・ルビンファイン(1953年生まれ)は、この未曾有の事件を間近で体験しました。








渦中へとまきこまれたニューヨークでの一連の事態そのものにはカメラを向けることのなかった彼が、写真家として、この出来事と向かい合いながらとりくんだのは、世界各地の都市で、街を行きかう人びとの顔を撮ることでした。この事件がもたらした本質的なもの、つまり、物理的な破壊行為を通じて、社会に心理的打撃を与えることを目的とするテロリズムが、人びとの内面に残した「心理的な傷」を見つめるためです。

 








2002年から6年にわたって、ニューヨークをはじめ、ロンドン、マドリッド、モスクワ、イスタンブール、東京など、近年テロ事件の起きた世界各地の都市を訪ね、ストリートスナップの手法で撮影された写真は、2008年、写真家自身による長文の内省的なテキストとともに、『傷ついた街』(Wounded Cities, Steidl刊)と題される写真集へとまとめられました。

 







今回の展覧会は、アメリカ各地や中国などで、かたちを変えながら開催されてきた「傷ついた街」展を日本では初めて、未発表の作品を含む35点による新しい構成で開催するものです。同時多発テロからちょうど10年という節目の年に、世界は新たな事態を経験してもいます。世界各地の街角で撮影された人びとの表情に浮かび上がる心理的な陰影に、同時代を生きる私たちへのメッセージを探ります。

 


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国立近代美術館 奈良原一高、石元泰博、畠山直哉

2011年06月29日 | アート 写真

写真作品を。
石元泰博の桂離宮を端正に撮った写真のなかの一枚。



畠山直哉の面白い視点の作品。



そして奈良原一高の「砂漠を走る車の影」
見た瞬間、かっこいい、現代的なスピード感・・・など表面的な印象が浮かびましたが、ずっと見ていると、時間間隔を麻痺させるような巨大な力の空間へ突き進む人間・・・など、いろいろな連想が浮かんできました。
写真技術もさることながら、この瞬間をこのように表現しきった力量に感嘆します。

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国立近代美術館 奈良原 一高 「王国」より壁の中

2011年06月18日 | アート 写真

「王国」より壁の中。   和歌山の女子刑務所での撮影です。  奈良原一高の父は司法関係の方だったので、撮影が許可されたのかなと思ったりもしたのですが、やはり、奈良原の情熱が撮らせたのでしょう。 
男子修道院と女子刑務所、当時の奈良原の意識がうかがえます。
扉に貼られている1956年のカレンダが、時の意味を知らしめていて、この写真のリアリティを深めている。







 血のような撒かれた液体、ドアからでているひしゃくのようなもの、どういう情景なのかよくわからないのですが、おぞましいものを隔離し捨て去ろうとする意思を感じます。


なにか書いている受刑者の方を、格子越しに捉えているのですが、不思議な落着き、静かな安堵感を感じます。



奈良原のマスタープリントから、紡ぎだされる彼の意識が風のようになって感じられる展示でした。
彼の作品は、別の企画展示「路上」にも、ニューヨークのブロードウェイの写真がありましたが、私にはイマイチ興味がわきませんでした。
ニコンさんの寄贈で今回の作品が展示されたとのこと、こういうのはいいですね。 都立写真美術館もありますが、絵画など芸術一般の作品と一緒に所蔵、展示していただけるのは嬉しい。

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国立近代美術館 奈良原 一高 「王国」より沈黙の園

2011年06月17日 | アート 写真

写真家 奈良原 一高氏の作品が展示されていました。
私が20代のはじめ、写真を撮り始めた頃にアサヒカメラ誌に載った奈良原 一高の写真を見て、感動した記憶があります。  今日ここで彼の作品が見れるとは
予期してなく、昔の感動した思い出などを思い返しながら、堪能させていただきました。



調べてみると、奈良原一高は成り行きで写真家になった方ですが、独特の鋭い感覚や美的センスは超一流。 海外でも高い評価を得ている。
この作品は彼の初期の作品で、社会から一種隔絶された”王国”を撮ったもの。













昭和30年代前半のトラピスト修道院の生活を撮ったもの。  俗世間から隔絶した生活のなかに、精神的安堵を求めた修道士と海の見える風景が妙にマッチしています。

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「風景ノ境界」 中里和人展

2010年09月23日 | アート 写真

9月23日写真展 「風景ノ境界 1983-2010  中里和人展」 に行って来ました。 
(市川市芳澤ガーデンギャラリー  千葉県市川市真間5-1-18)

中里和人(なかざとかつひと)氏の略歴
1956年三重県生まれ
1978年法政大学文学部地理学科卒業
写真家・東京造形大学教授 
 中里氏は
このリーフレットの写真からもわかるとおり、個性的な切り口で撮っています。



唸ったのは、闇をテーマとした写真集「ULTRA」からの写真でした。
下の写真は展示会場で販売されていたカタログからスキャニングしたものです。
実物は新聞紙大で、フィルム粒子がまざまざと見え、迫力がありました。 
闇景・・・カメラで捉えるには困難極まりない・・・それをギリギリのところで絵にしています。

        (中央部のカタログの綴じ込み部分が反射等で見づらくてすみません。)



下の写真は、海辺の陽の出前の闇景だと思いますが何か惹きつけられるものがあります。





写真集 東京 TOKEI  より
東京 向島を題材にしたもの。  
下の写真は夜の路地の光景ですが、シンプルに街の姿が浮かび上がっている。



写真集 「キリコの街」から
キリコは画家キリコから取ったタイトル。 小さい頃からの夢の世界のイメージと、現実とが遭遇した瞬間とのこと。
確かに、幻想的な匂い。



 写真集「小屋の肖像」から
小屋を一つの人格としてみた、小屋の肖像画。  現実に使われている小屋の主張が感じられます。



このほか、「湾岸原野」などの写真集からの作品も展示されていました。

私も以前から夜の光景に興味は持っていましたが、ほとんど撮ることはありませんでした。
今回の展示会で、夜や暗闇の魅力を再認識。 今度、挑戦です。

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「ミュージアムの微笑み」を観て・・・植田正治と土門拳

2008年11月09日 | アート 写真

昨日の23:00からNHK教育TV「ミュージアムの微笑み」で植田正治写真美術館が紹介されていた。 鳥取の大山を借景にしたモダンな美術館だ。
植田正治の写真は「植田調」として世界でも有名。
下の写真が植田正治の写真で、右端の家族は彼の家族で、子供を肩車しているのが本人である。
演出して撮った写真だが、独特の空気感と味がある。

さて、TVでも紹介されたが、植田と正反対のリアリズムで写真を撮ったのが土門拳だ。
下の左端の写真の半ズボンの写真家が土門拳で、植田正治が撮った写真。



下の写真も植田正治の作品



対する土門拳の写真




対象を捉えてそのままズバッと写すので、強く、鋭い印象を受ける。
昨日のTVでも、二人の作品の質の違いを述べ、一時期、植田正治が土門拳の影響を受けたこと
を述べていた。
調べると、土門拳の写真美術館も、郷里の山形県酒田市にあり、鳥海山を望むいい場所にある。

鳥取の大山と鳥海山、両巨匠の対比のようで面白い。 二つの写真美術館、必ずや訪れよう。


植田正治写真美術館 http://www.japro.com/ueda/

土門拳記念館 http://www.domonken-kinenkan.jp/



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