光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

ベトナム ダナンにて #5 世界遺産ホイアンの街並み

2015年08月05日 | 海外旅行

7月7日午後、世界遺産ホイアンへ。 実は、午前中は、男性軍でミーソン遺跡に行く予定だったのですが

二人とも早朝から下痢気味でミーソンは中止。 

体調も回復した午後2時過ぎ、タクシーでホイアンに。  ダナンから30分ほどで着きます。

 

 

 

もやのかかるホイアンの街・・・実は、雨上がりの湿気と、タクシー内でカメラが冷えていて、急に蒸し暑い外に出たため

レンズがすぐに曇ったのでした。  写っているのが、来遠橋(通称日本橋)。 普通、反対側から撮られます。

 

 

反対側からです。 江戸時代、朱印船貿易が栄えて、ホイアンにも日本人が数百人いたそうです。 

で、日本人外街と中国人街を結ぶ橋だったのですが、当時のものは残っていないらしい。

 

 

橋の出口から、昔、日本人街があった通り。

 

 

橋のすぐ横の中国人街の家屋の壁。この街並みが約300年前から続く、古い街並みとして世界遺産に指定されています。

 

実は、今日、立川市の図書館でたまたま写真家:大石芳野の写真集「ベトナム 凛と」(講談社.2000年10月30日刊行)を見ました。

ベトナムの人々が、長く続いた戦争で苦しく困難な生活をしいられるなか、凛として逞しく生きる姿を捉えた、素晴らしい写真集でした。

その中に、ホイアンの写真もあり、上の日本橋横の民家の壁も写っていましたが、黒カビと汚れにまみれた壁でした。

大石芳野が撮ったのは2000年以前だと思いますが、現在のきれいな黄壁が嘘のようです。

 

 

ホイアンはトゥボン川の河口に位置する古い港町。

 

 

漁師の舟や漁網も見られますが、夜はネオンではなくボンボリが等できらびやかな世界に変身します。

 

トゥポン川の少し川下側になると、観光船がたくさん繋留されています。

 

 

目抜き通りは、銀座のように人通りが多いのですが、夜になると更に倍ほど人であふれます。

 

 

ある店のなか。  漢字の世界です。

 

 

こちらは洋服店。  奥の方まで通路になっています。  よく洪水があるそうなのでその関係もあるのかな。

 

 

途中、家屋の間が狭い通路になっているところが。

 

 

道路を隔てて反対側にも、狭い通路。

 

 

 

通りを歩く西洋人。 観光客の割合は、昼間は西洋人5割、中国人3割、韓国、日本人2割くらいか

夜になると、西洋人が6~7割に増える感じです。

 

 

ブルーに塗られた家屋が一軒。

 

 

カフェかな。  シクロ(人力車タクシー)が通りを走っているのが下に写っています。 カフェの床面と道路には階段3段分の段差があります。

これも洪水対策でしょう。

 

 

奥の三角屋根は、市場です。

 

 

 

ここにも屋台式の軽食コーナーがありました。  午後3時半過ぎ。

 

 

市場に続く道路は地元の人々が多い。

 

 

暑さで疲れて、寺院と展示館を兼ねたようなところで休憩。

 

 

ここの塀の上部には、染付の皿が埋め込まれていました。 ここで、一旦ホテルに戻り、夕食をとってから夜にもう一度、ホイアンに行くことにしました。

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ベトナム ダナンにて  #4 ダナンから古都フエへ

2015年08月02日 | 海外旅行

7月6日は、タクシーで世界遺産フエへ。

タクシーの窓から、ダナン市街とハン河

 

 

ダナンからフエまでは、ハイヴァン峠越えで約4時間、ハイヴァントンネルを利用すると2時間強の道のりです。

 

 

ダナンの湾べりに走っていると、お寺のような船を見ました。

 

 

海外旅行をすると、現地の生活風俗も楽しみのひとつ。 世間話でもしているのでしょうか。

 

 

 

こちらは、ご婦人方が、屋台で食事の提供。  朝8時半頃

 

 

 男性のダべリングでしょうか。 男性だけでこうした茶飲みをしているところは、ここ以外にも多く見ました。 
トルコでもそうでしたが、男はあまり働かず、女性が働き者の生活風習のようです。

 

 

 

 ハイヴァン峠の途中、景色のよい場所から。 トンネルを通れば近いのですが、景色優先で。

なお、帰りはトンネルを通ったのですが、日本のODAでつくられたもので、日本の高速道路のトンネルと同じ構造でした。

 

 

 峠の頂から、少し下っていったところで、山羊が道路端のガード上に!

 

 

結構、います。

 

 

 フーロクの内海の漁村

 

 

 道路端の露店はあちこちに見られます。

 

 

 着きました。  

1802年から1945年まで続いたベトナム最後の統一王朝である阮朝(グエン朝)の王宮です。 写真は午門

 

 

 午門を抜けると、また濠があり、正面に大和殿が見えます。

 

 

 大和殿の前で。  三角帽をかぶった若い女性4人のグループ。 二人は民族服(仏教系の衣服?)

 

 

 象をかたどった植木と、屋根の端の龍の飾に注目。  また、窓は中国の様式ですね。

王宮全体が北京の紫禁城を模したといわれています。

 

 

 

禁裏に入って、左側の廊。 黄色の壁が、翌日のホイアンでも見られます。 

 

 

衣装がかかっていますが、観光客用の王朝衣装。

 

 

 

 

 

 屋根部分の装飾。

 

 

 

 

 その衣装を着た観光客の記念撮影。

 

 

 暑いのに大変です。

 

 

回廊部分。  復元したものでしょう、まだ新しい。

 

 

 回廊を回っていくと、草叢や基壇部のみの跡かたなど。 インドシナ戦争やベトナム戦争で大半が破壊された王宮なのです。

 

 

 先ほどの若い女性4人グループ。

 

 

 建物名は太平楼。

 

  

前には、 濠と岩石の庭 

 

 

 

太平楼の内部。 

 

 

 

 

資料展示室です。 

 

 

阮朝の皇帝でしょうか

 

 

 王朝の女性達。

 

 

 古都の雰囲気が感じられるフエ、人気なのもわかります。

 

 

 東門(顕仁門) 。 中国様式とフランス様式が混じっているような感じがします。

 

 

 外堀あたりの空き地に、ベトナム戦争時の米軍戦車などが並べられていました。  フエもダナンも激戦地だったのです。

 

 

 

 

 

 ランチで近くのレストランに

 

 

 

中国料理の影響か、人参を彫刻している。

 

 

 

 

 

 肉入りフォー?

 

 

 凝った料理で、おいしかったのですが、揚げ物や炒め物が多く、寿司が食べたい気分。

 

 

 公園での屋台。  屋台は本当に多い。

 

 

この後、カイゼン帝廟へ行ったのですが、着いたらスコールでダナンへ帰ることに。

 

ダナンの奥様方のショッピングの間に、周辺撮影。  またもや、雨が降りだして。
でも、こちらの方は慣れっこで、バイクもポンチョを着て運転。 

 

 

 

レンズに水滴が付きましたが、防滴なので大丈夫。

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ベトナム ダナンにて  #3 ビーチと食事

2015年07月30日 | 海外旅行

泊まったホテルは、ビーチ沿いに建つリゾートホテル。 赤丸印のところ。

その左下5mmのところの緑が、五行山です。

 

 

ビーチ沿いのホテルのレストランから。  提灯が似合います。

 

 

午後3時40分頃、泳いでいる人はわずかです。

また、監視員台もなく、沖合の小船が監視員の役目なのかな?

 

 

 

ダナン市街が遠くに見えます。

 

 

奥様方は帽子をかぶって完全武装。  この後、寄せ波に足を入れて、足湯ならぬ足浴。

 

 

部屋に引き揚げる途中、ホテルの部屋越しに五行山が見えました。

 

 

ちっちゃなカニがいました。

 

 

ランチです。  午後3時15分頃

 

 

私は、グリーンカレーを注文したのですが、想像を超えた辛さに大苦戦。

 

 

夜の食事のレストラン。

 

 

 

ベトナム料理は揚げたり、炒めたりした料理が多いのと、独特の香草を使用していて、私はとてもおいしいとは感じませんでした。

 

 

 

 

 

このデザートは美味しかった。

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ベトナム ダナンにて  #2 ダナン博物館

2015年07月29日 | 海外旅行

7月5日 11時20分 ダナン博物館にきました。

玄関前、右手にチケットを売る女性、左手にチケットをチェックする係官の人が暇そうにしていました。 

 

3階に展示が分かれていて、まず、3階の少数民族の展示から

彫像  村の入口ひ置かれた魔除け?

 

 

ダナン近郊に住む少数民族カトゥー族の生活です。 

華やかな民族衣装、また、女性が大変働き者であることがわかります。 

文明が進むほど、女性は働くなる・・・なんて法則はなかったっけ。

 

 

2階には、人々の生活として薬局の例。  漢字で名前が書かれているのは、漢方系の薬局の意味?

 

 

そして2階のメインはベトナム戦争のコーナーでした。

武器の展示。 ソ連製のものが多い。

 

 

爆弾と、壁に貼られた写真パネル。  この写真が凄かった。

 

 

米軍が撮ったものが多い。   右上は、韓国軍の兵士がベトナム農民を手荒に扱っているところ。

戦争の悲惨さ伝わります。  言葉になりません。

 

 

これは、当時の解放戦線側が撮ったものでしょうか。  母親は子供を連れて必死です。

 

 

母親が殺されたのでしょう、子供達の顔・・・・

 

 

戦争の狂気が映っている。

 

 

悪名高い、枯葉剤の散布とその被害。  動物の死骸が浮いた池。  奇形児の後遺症も残した。

 

 

爆弾の展示。  奥の赤い傘にぶら下がっているのは気化爆弾。

通常の爆弾と異なり、爆風は音速で広範囲に広がる衝撃波となり、多くの人々を息絶えらせた。

米軍はベトナムと、イラクで使用した。 戦争は魔の所産なのだ。

 

 

1階へ  ダナンの歴史と文化が展示されています。 これは展示内容はわからないのですが、ダナンの地形がわかるもの。

 

 

昔は漁港として栄えたのでしょう。

 

 

館内の見学者は私以外に4人ほどを見かけただけで、11時50分に最後に退出すると、館内の電気が消されました。

存続が心配になりますね。

その後、女房達の手芸品ショップへの買い物に同行し、近辺の街並みを撮ったもの。

結婚式場ですね。

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ベトナム ダナンにて  #1 五行山、ハン市場

2015年07月26日 | 海外旅行

7月4日から9日まで、ベトナム中部の都市、ダナンを旅行しました。

先に、今回の旅行のハイライトから

7月5日 大理石の山、五行山

 

 

7月5日 ダナン博物館のベトナム戦争のコーナから

 

 

7月5日 ホテルのビーチサイドレストランから

 

 

7月5日 ビーチから遠くダナン市街を望む

 

 

7月6日 世界遺産 古都フエ

 

 

7月7日 世界遺産 ホイアンの日本橋夜景

 

7月7日 世界遺産 ホイアンの夜の街並み #1

 

7月8日 ダナンのチャム彫刻博物館

 

 

7月8日 スコールのドラゴン橋

 

それでは7月4日のダナン到着から

空路5時間半、夜7時のダナン空港に降り立つと、37度の暑さがお出迎え。  

ホテルに向かうバスから街並みを撮影。 夜7時半頃。

 

 

外食の方が多いようです。

 

 

結婚式場が連なった通りで。 中年男性のガイドさんが、鬼嫁製造工場だといっていました。 どこの国も似ている・・・

 

 

ホテルの部屋。  抽象絵画がかかっています。

 

 

 

 

ヴェトナムのバッチャン焼きの飾皿

 

 

この日の食事はホテルのイタリアンレストランで。 女房と女房の姉夫婦の4人で旅行。 義兄は都合で明日合流。

 

ゴマ入り果物のドラゴンフルーツは淡白ですがおいしい。

 

 

部屋から見た夜のビーチの光景。

 

 

朝、6時10分頃。 ホテルの従業員の方がビーチの掃除をしています。

 

 

10時頃になるとまぶしい砂浜に。  手前の芝生も従業員が時間をかけて手入れをしていました。

 

 

7月5日の観光は、ホテルからタクシーで5分ほどの「五行山」へ。  別名、マーブルマウンテンと呼ばれる大理石でできた山です。

山麓の洞窟入口から振り返った光景。

 

 

小橋から見た水たまりの中に、手の石像。 ちょっと気味悪い。

 

洞窟内。  自分撮りしている方は無関係の方です。

 

 

仏像があちこちに置かれています。 洞窟は天井が空いているところもあり、それほど暗くはない。

 

 

頂上付近から見た浜辺。 左側はリゾートホテルのようです。

 

 

北側を撮影。  五行山の由来である、他の山が見えます。  10時半。

 

 

山の中腹にある仏教寺院。

 

 

ダナン市内に行き、ダナン最大の市場であるハン市場を撮影。 異様な臭気がありましたが、生鮮食品も多く扱っているためでしょうか。

 

 

魚屋。 日本と違って、女性の方が扱っています。 そういえば男性従業員はほとんど見なかった。

 

11時10分頃ですが、食事中の売場の方。

 

野菜売り場。

 

 

奥では、売場の方たちの昼食の準備をしているようです。

 

 

三角笠をかぶっっているのは、おばあさんが多いようです。 後ろでは米とぎでしょうか。 活気がある市場でした。

 

 

 このあと、ダナン博物館に行きますが、その記事は次回に。

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ソウルにて 新羅ホテルのランチ、東大門

2015年06月12日 | 海外旅行

国立民俗博物館をでて、世宗ホテルに戻り、タクシーで新羅ホテルのランチビュッフェに。

 

 

新羅ホテルは南山山麓にある高級ホテルで、そのランチビュッフェがおいしいと女房達のお言葉に従い、やってきました。

レストランの窓から見えるテラスガーデンと、遠くにNソウルタワー

 

 

前菜を取ってきました。  飲み物は、シャンパンがセットになっています。

 

 

右上のデザートもシャンパンと同じようにセットになっていて、チーズケーキとマロンクリームをミックスしたような味。

ビュッフェメニューは多く、和食から中華、フランス料理、もちろん韓国料理も

 

 

 

来ているお客の多くはは、競ってカニ(足)を食べていましたが、私は面倒くさいのでパス。  カニって、韓国では希少食材なのかな。

 

 

レストランの端っこで、ピアノが弾かれていました。  一人、1万円ほどのお値段、当然、韓国でも裕福な人しか食べに来れません。

女房達は、こういうところに来て羽根を伸ばしていたのだ。  私のすねが細くなってきた原因はこれだった。   

 

 

それでも、懐柔されてタクシーに乗り、東大門へ。 女房達は、近くの市場でショッピング。

私は、東大門近辺の散策。

 

 

 

 

 

東大門近くの、路地を巡ってみました。

最初に眼についたのがこれ、電柱に無数のケーブルが絡み合って、異様です。

 

 

拡大。  電線や電話、CATVのケーブルが絡み合って、これではカササギも巣をつくれない。

 

 

 路地の商店街、どこの国でも同じような光景が見られます。

 

 

 時刻は午後2時ちょっと前。

 

 

 街角のあちこちに屋台があります。

 

 

 すれ違うのがやっとの通り。  雑貨店が多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魚屋。 魚貝類は新鮮な感じです。

 

 

ワタリガニかな

 

 

 東大門に戻りました。  道路を走る3輪のトラック、日本でも昔、見ました。

 

 

 東大門から延びる城壁沿いに丘を登ります。

 

 

 

 

 

 結構、眺めはいい。

 

 

 ソウル城郭道というのですね。 日本の植民地時代に多くが取り壊されたと書かれている・・・残念なことです。  

 

 

 少し下ったところで。

 

 

 

 城郭を見ると、ヨーロッパのような雰囲気。

 

 

 この写真を見て気づいたのですが、東大門の屋根に動物が並べられています。 9体あるように見えますので、十二支とは違いますね。

拡大してみると、最前列は帽子をかぶった兵士、そのあとは犬や猫、猿などのように見え、最後尾は鯱です。

 

 

 

 

 

 ホテルに戻り、部屋から南山方向を撮ったもの。 午後6時47分

 

 

 夕食はホテル近くの韓国料理店。

 

 

 午後7時半頃ですが、客は少ない。

 

 

 飲み物は、マッコリに果物を混ぜたものを注文しました。 おいしかった。

 

 

 プルコギや野菜チジミ、ビビンバなど。  海外では、料理も楽しみ。

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ソウルにて 明洞で夕食

2015年05月29日 | 海外旅行

4月26日夕食のため明洞の繁華街へ。  ホテルからすぐのところです。 時刻は19時ちょっと前

 

 

東京だと、新宿東口の繁華街と似た雰囲気。 路上商店の多いこと。

 

 

ハングル、日本語、中国語のメニュー

 

 

カレーとケバブ。  若い二人が買ったのはケバブかな。 女性はしっかり女房タイプに見えます。

 

 

通りには、いろんな人の生活が見えます。

 

 

たこ焼きですが、日本とは違い、串焼きにしています。

 

 

ファッション店の前の屋台料理。 気取ってはやってられないのだ。

 

 

路地に入っていきます。  なにせ、先導は食べなれた店なのでスイスイ進んでいきます。

 

 

焼き肉と前菜。

 

 

海鮮料理の店なので、海産物の鍋。  店の名がオモニチブだったと思いますが、オモニというのは母のことで、いわば家庭海鮮料理。 おふくろの味が売り

ですが、その通りで、プロの料理人の味を求めるのは酷でした。

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台湾旅行 その1 2014.12.19(金)

2015年01月03日 | 海外旅行

12月19日(金)~22日(火)に3泊4日で台湾旅行。
女房と女房の姉夫婦の4人連れで、主目的は女性陣の買物と食。
男性陣はお供の感じでした。

9時30分発で約4時間のフライトです。 機内食を食べた後は寝てました。

 

 

到着後、ツァーのため免税店に立ち寄りで、買う気もない私は免税店まわりをスナップ撮影。
免税店の入っているビルの後ろ側です。  高級マンションでしょうね。 台湾も貧富の差が激しくなった
とツァーガイドが言ってました。

 

 

マンションビルの向かいのビルにミスタードーナッツの店。 広告も日本語だ。
しかし、興味があったのは店の前の屋台。  台北ではいたるところで屋台がでており、結構買っていく人が多い。
屋台のメニューに胡椒餅とありますが、このときは見もしなかったのですが、翌日、夜市で買って食べるとイケる味!
また、駐車しているバイクや走っているバイク、これもいたる所で見る光景です。

 

 

バスの中から。 奥様方はこの後の買物プランで頭の中は一杯か?

 

 

バスの車窓から撮ったもの。 いやーバイク(ほとんどがスクーター)の多いこと! 国民1.7人に1台というから、実質的には1人1台
持っているのに等しい。(日本は9.7人に1台)  そして、後で分ったのですが、停止線にバイクが並んでいるのは、バイク優先車線なので
4輪車の前に停止できるんだって。

 

 

ホテルのロビー。  荷物を部屋に置いて、奥様方の出陣

 

 

永楽市場という衣類や手芸用品などの店に到着。  台湾はタクシーが安いのでタクシーで来ました。
入り口前で、買物組とお供組は分かれて行動することに。
なお、怪しげな3人に見えますが、サングラスとマスクは修正して加えたものです。

 

 

泊まったホテルからは歩けば30分ぐらいでしょうか

 

 

永楽市場の前から、あたりを一周してスナップ撮影をしました。  左端にも屋台。

 

 

1階の左側はアクセサリー屋さん、右は郵便局です。

 

 

郵便局の前から。  スマホに夢中の若者達、郵便袋も無造作に置かれています。

 

 

永楽市場ビルの通りに面した店舗。

 

 

このお店は、宗教行事用の品々を扱っているのかな。

 

 

大衆食堂というのでしょうか。 店の前には屋台が置かれています。 日本人の眼から見ると衛生的にどうかな?と思うのですが
国と文化の違いです。

 

 

永楽市場ビルの端に道教の廟があり、拝む人が絶えない。  台湾では道教、キリスト教、仏教の順で信者が多く、なかでも道教の施設が一番多い。

 

 

永楽市場ビルの通り向かいの小路で。  香港でもそうでしたが、窓の外のエアコン室外機が目立つ。

 

 

小路なのに両側駐車で車1台が通るのがやっと。

 

 

表通りに面した屋台。 なんの料理かわからないのですが、精力がつきそう・・・でもあたりそう

 

 

金曜日の17時20分。  屋台食堂にもお客さんが増え始めました。

 

 

OLふうの若い女性も注文しています。  看板の〇〇便当85元・・・日本円で340円ぐらいか。

 

 

台湾の方は土日は外食が多い、とツアーガイドが言っていた。 しかし、今日は金曜日、普段からこうした屋台で食べる外食文化が根づいているようです。 

 

 

右の屋台の臭豆腐が気になったのですが、今回の旅行では食べることはなかった。

 

 

 

さて、我々の晩御飯です。  小籠包の店。 台湾料理は家庭料理的なものが多いと感じました。 右は空芯菜の炒め物、貝はシジミのもろみ漬け
ビールの肴にいいのですが、肝心の台湾ビールの歯切れが今一つ。  

 

 

牛肉麺などの麺類はさっぱり系の味でした。  中央のイカフライは美味しかった。

 

 

ホテルに帰ると地階ラウンジでJAZZヴォーカルの生演奏。  

 

 

部屋はこんな感じ。

 

 

部屋の窓からの夜景。 黄色の車はタクシーです。  今日は早朝、4時過ぎ起床だったので、眠たい!

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トルコ旅行 その30 ボスポラス海峡クルーズ #2

2012年02月11日 | 海外旅行

小さな漁船とすれ違い。  漁師は木枠をもっていますが何に使うのだろう。



 


ルメリ・ヒサールが見えてきました。  1452年、オスマン帝国がコンスタンティノーブル攻略の拠点としてわずか4ヶ月で築き上げた城塞。 
対岸のアナドル・ヒサールとの間に鎖を張り、黒海からの東ローマ帝国の船を封鎖した。



 


ルメリ・ヒサールから、黒海側に少し寄ったところに、第二ボスポラス大橋が通っています。



 


ルメリ・ヒサールを正面から。



 


第二ボスポラス大橋は、日本の政府開発援助により、1988年に完成した。
現在、日本の大成建設グループが海底トンネルを建設中だとか。



 


 橋の手前でUターンし、アジア側の岸辺近くを戻っていきます。  中央右の城塞がアナドルヒサール。



  


 



 


先ほどの漁船を通り過ぎたところ。  



 


 ここらはヤルと呼ばれる別荘地帯。  トルコの大金持ちの艇庫つき別荘が建ち並んでいる。



 


この別荘、木造ほど価値が高く、中央の赤茶の別荘は何十億円だとか。 



 


 二つの塔が見えてきました。  軍の学校で現在も使われている。



 


第一ボスポラス大橋に戻ってきました。 



 


 遠くにトプカピ宮殿や、アヤソフィア、ブルーモスクの上部が見えます。



 


 昨日、紹介した乙女の塔(クズ塔)も左に見えます。  刑務所や灯台の用途に使われたとしましたが、もっと昔は海峡を通る船から通行税を徴収する施設だった。



 


 さて、クルーズも終わり、バスで昼食レストランに移動途中。 金角湾にかかるガラタ橋では釣り人で一杯です。



 


 ガラタ橋の南詰めあたり。  白い船の左側に鯖サンドをつくっている金色の舟が見えます。



 


 空港への途中にある海辺のレストラン。  海はマルマラ海になります。  最後の食事はキョフテ(香辛料の効いた肉団子)でした。



 


 食後、外に出ると小さな入り江で舟溜りになっていました。 ベンチでくつろぐオジサンと猫のお通り。
写真では見えませんが、右側の海には船影で一杯でした。 海峡の通行待ちのようです。



 


 海峡を監視するレーダ塔。 シルエットにしました。



トルコ旅行の記事もこれで終了です。
30回、ながながとお付き合いいただき有難うございました。

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トルコ旅行 その29 ボスポラス海峡クルーズ #1

2012年02月10日 | 海外旅行

ボスポラス海峡クルーズの埠頭にきました。  
遠くに、第一ボスポラス海峡大橋が見えます。



反対のマルマラ海側。



 


埠頭にはクルーズ船が並んでいますが、我々の船が戻るまで暫く待機。


 


海峡の衛星写真です。(ウィキペディアより引用) 左下がイスタンブールの新旧市街。



出発前、猫君の見送りです。



 


出航。




ツアー客14人で船を借り切っており、写真を撮る4,5名だけがデッキで撮影、他の人は寒いので1階の船室でお茶。




 


ボスポラス海峡は、ヨーロッパとアジアを分ける海峡で、南北31kmあります。 幅は狭いところで800m、広いところで3700mです。



 


朝日を浴びたイスタンブール新市街



 


マルマラ海側です。  船尾のランプの左横に小さな塔のシルエットが海に見えますが、乙女の塔(クズ塔)といわれ、かって刑務所や灯台として使用されていました。



 


第一ボスポラス大橋が少し近づいてきました。



 


この位置で撮影していると、操舵手の視界を妨げるとのことで怒られました。



 


ドルマバフチェ宮殿。  オスマン帝国最後の宮殿。



 


行き交うクルーズ船。  橋はもうすぐです。



 


橋を通過。  



 


 



 


崖に張り付くように住居が建ち、ところどころに城壁が見えます。



 


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トルコ旅行 その28 下町のモスク、リュステム・パシャ・ジャーミィ 

2012年02月08日 | 海外旅行

旅行最後の日の朝、リュステム・パシャ・ジャーミィを見学し、ボスポラス海峡クルーズです。
このモスク見学は当初の予定になかったのですが、クルーズまでの時間つぶしと、このモスクの前にあるスカーフ屋に連れて行くため、セッティングしたようです。   トルコ人ガイドの知り合いの店で、昨日の昼食後の陶器店、グランバザールのキャビア店、空港の洋服店もそうで、店とガイドさんで結託しているようですが、店自体はちゃんとしているので、まーいいかという感じです。

モスクは左手にあります。  一階は商店街の一部、モスクは狭い階段を上がって2階にあります。
 



モスクの建築設計は、ミマール・シナン (1588年没)。 トルコ最高の建築家でガイドさんいわくトルコのミケランジェロだと。 シナンは中部アナトリアのキリスト教徒として生まれ、奴隷として軍に徴用され、イスラム教に改宗し、工兵隊で橋梁などの建設に従事するなかで才能が見出され、帝室造営局長として数々の名建築を残した。
この、リュステム・パシャ・ジャーミィは、イズニックタイルをふんだんに使ったモスクとして名高いものだった。



 回廊は、朝の掃除中でした。  絨毯が敷かれているのは、中に入れない人のための礼拝場所だと思います。  というのは、近辺の市場の人達が礼拝するので、人が多いのと、簡単にしたいのではと推測しました。  壁の方向がメッカ方向にもなっています。



 外壁にもイズニックタイルが多くはめられています。



 イズニックの特徴的な柄と色。 素晴らしいできです。



 内部。  階段は僧侶が説法場所にあがるためのもの。



 青いイズニックタイルがふんだんに使われている。



 採光窓や小ドームのデザインがしっとりとした調和をもたらしています。



 壁のタイルと柱時計。 



 


 サイドにちょっとした広間がありました。 



 外の風景。  窓に鳩がいましたが、日本の寺院のように群れてはいないので、糞害は心配ないようです。



 



 2階から見た、商店街。  香辛料などのバザールで有名なエジプシャンバザールの出口近くです。 



緑ものの鉢が多く置かれていました。 


 


外壁鉄格子から見える光景。 



 こちらの方向からは、絵のような光景が見えました。



 別の方向では路地裏の光景。 生活が垣間見えます。 



モスク一階のファストフード店。 ドネルケバブ(削ぎ落とし焼肉)の調理器が見えます。 こういう店の賃料もモスクに入るので、1階を店舗にするのはなるほどです。  でもこの店の基礎などをみると簡易な継ぎ足し建築ですね。



 ストーブ屋さんでしょうか。



エジプシャンバザールの裏手の通り。  何でもそろう感じです。  お土産屋中心のグランバザールより、実用的で地元の買い物客も多いようです。 


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トルコ旅行 その27 ファストフードとシーフードレストランなど

2012年02月05日 | 海外旅行

アヤソフィア博物館の見学を終えホテルに帰る途中。  
ファストフードのドネルケバブ(垂直の串にスライスした肉を上から刺していって積層し、水平に回転させながらそれを囲んだ電熱器の熱で外側から焼き、焼けた部分から順次肉を削ぎ落としたもの)を買う若者。 ドネルケバブと野菜をパンにはさんで食べるスタイルだ。
マクドナルドは見かけませんが、ドネルケバブの店はよく見かけました。



 


道路端には靴磨き。  モスクは必ずどこかに見えます。  もうすぐ日暮れ。



 


夜は海岸沿いのシーフードレストラン街へ。 どの店も道にはみだしてテーブルを並べています。



 


ふと2階を見ると、片隅に漁師?と魚の人形が。  また、トルコの国旗はいたるところで掲げられています。 風で線に巻きついてしまっていますが。



 


シーフードレストランでの夕食は鯖のトマトソース煮。  ツアー客の皆さん、サバの3連発でがっかり。  日本のような新鮮な魚料理を期待したのが間違いでした。  しかし、添乗員さんは落ち着いて、「トルコでは魚は高価なんですよ」と一蹴。



 


通りにアイスクリーム屋があり、人だかり。  トルコの粘るアイスクリームでパフォーマンスです。  受け取ろうとすると直前でひっくり返して素直に渡しません。  これを2,3回繰り返すので周りのお客も大笑いです。



 


左側にアイスクリーム屋があります。  通りは人で賑やかになっていました。


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トルコ旅行 その26 アヤソフィア博物館 その3

2012年02月04日 | 海外旅行

アヤソフィア博物館は、キリスト教美術とイスラム教の美術が整然と同居調和していること、それに建築の美しさ、1500年の歴史を経てきた重みが加わって、凄いと唸らざるを得ません。
説明は一切聞いていないので、感覚で印象に残るものを撮りました。  その中で特に素晴らしいなと思ったのが2階大理石のアーケードの柱と柱頭の装飾。  
Webで調べるとこの部分は5世紀の創建時のものだとか。



 


 南側の窓からはたっぷりと陽光が差し込んでいました。 5世紀頃でもガラス技術は確立していた。



 


 ビザンチンの聖堂は西側が入口で東側が至聖所にあたる。  至聖所となる中央一番奥の半ドームには聖母マリアがキリストを抱く天井画がありました。(後で紹介します)   また、ミブラーム(イスラムの礼拝方向であるメッカ方向のくぼみ)
も少し南よりに設置されています。



 


 少しずつアーケードを北側から南側に進んでいき、1階を撮ったものです。



 


 南側の2階アーケード上の天井です。



 


ほぼ同位置で、露出を変えてみました。 



 


北側の壁面と回廊



 


モザイク画「デイシス」です。



 


1260年頃の制作。  ビザンティン美術の最高傑作とされているようです。



 


南東側の回廊のモザイク画


 


上の写真左側の:「キリストと皇帝コンスタンティノス9世、皇后ゾエ」(1042年~1055年頃)
皇后ゾエの最初の夫はロマノス3世、次にミカエル4世、3番目にコンスタンティノス9世と2度再婚している! この図像は最初の夫ロマノス3世によって寄進されたらしいが、ゾエの再婚のたびに夫である皇帝の顔や銘文は作り直された。 皇后ゾエの再婚の話は皇位継承をめぐってどろどろした経緯が、「女帝ゾエとテオドラ」(座乱読後乱駄夢人名事典)に載っていますので紹介します。



 


右側「聖母子と皇帝ヨハネス2世コムネノス、皇后エイレネー」(1122年~1134年頃)
柱の側面に描かれているのは彼の長男アレクシオス。



 


東側奥の半ドームの天井モザイク画「聖母子」(870年?)



 


聖母マリアとキリストの部分を拡大しました。



 


熾天使(してんし)のモザイク像
3対6枚の翼を持ち、神への愛と情熱で体が燃えているとされる。 北東側の柱上部にあり、最近、顔が修復されたらしい。 しかし、天使のイメージがしなくて怖い感じです。 
他の3対の天使の顔の部分は皺の入った紙のようで、顔というイメージはない。



 


最後に回廊の柱とその柱頭部の写真でアヤソフィアを終わります。



 


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トルコ旅行 その25 アヤソフィア博物館 その2

2012年02月01日 | 海外旅行

アヤソフィアの内部に入って、おー凄いと感動しました。  その感動を先に紹介したかったため、昨日は内部の写真を1枚だけアップしました。
今日は、入り口から順に紹介します。
もともとはキリスト教の大聖堂で西暦360年に創建された。  その後、焼失し415年に東ローマ皇帝により、再建された。



この遺構が415年に再建された遺構で、羊のレリーフが浮かぶ梁などが置かれている。  しかし、この聖堂も532年に再び焼失し、設計など大規模な見直しを行って、537年に再建されたのが、現在の建物の骨格となっている。



その後も地震などで一部崩落しては修復したりしていたが、1453年にオスマントルコ帝国に征服されてモスクに転用された。
天井画は漆喰で塗りつぶされたが改修は最小限にとどめられた。  1934年にアタチュルクによって、世俗化し、翌1935年には、博物館に改められ、現在に至っている。  漆喰を取り除いた姿が現在のアヤソフィア博物館である。
写真は入り口を過ぎてドームに入る前の廊下のようなところ。



そして内部の大空間が見えてきました。



右手前にあった大理石でできたジャーポット?



そして昨日紹介した内部です。  北側を撮っています。



南側の小ドーム



円柱上部の装飾や天井画がなんとも美しい。 アラビア語の額はモハメッドや歴代カリフの名前を記したもの



何で猫が?



照明で暖をとっているようでした。



南側



2階から。  メッカ方向を示すミフラーブ(窪み)が1階中央奥に見えます。



大理石円柱の上部模様が美しい。


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トルコ旅行 その24 アヤソフィア博物館

2012年01月31日 | 海外旅行

既に建物の外観は紹介しているアヤソフィア博物館(寺院)の内部の紹介です。


最初に内部を1枚だけ見てください。



 

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