7月7日午後、世界遺産ホイアンへ。 実は、午前中は、男性軍でミーソン遺跡に行く予定だったのですが
二人とも早朝から下痢気味でミーソンは中止。
体調も回復した午後2時過ぎ、タクシーでホイアンに。 ダナンから30分ほどで着きます。
もやのかかるホイアンの街・・・実は、雨上がりの湿気と、タクシー内でカメラが冷えていて、急に蒸し暑い外に出たため
レンズがすぐに曇ったのでした。 写っているのが、来遠橋(通称日本橋)。 普通、反対側から撮られます。
反対側からです。 江戸時代、朱印船貿易が栄えて、ホイアンにも日本人が数百人いたそうです。
で、日本人外街と中国人街を結ぶ橋だったのですが、当時のものは残っていないらしい。
橋の出口から、昔、日本人街があった通り。
橋のすぐ横の中国人街の家屋の壁。この街並みが約300年前から続く、古い街並みとして世界遺産に指定されています。
実は、今日、立川市の図書館でたまたま写真家:大石芳野の写真集「ベトナム 凛と」(講談社.2000年10月30日刊行)を見ました。
ベトナムの人々が、長く続いた戦争で苦しく困難な生活をしいられるなか、凛として逞しく生きる姿を捉えた、素晴らしい写真集でした。
その中に、ホイアンの写真もあり、上の日本橋横の民家の壁も写っていましたが、黒カビと汚れにまみれた壁でした。
大石芳野が撮ったのは2000年以前だと思いますが、現在のきれいな黄壁が嘘のようです。
ホイアンはトゥボン川の河口に位置する古い港町。
漁師の舟や漁網も見られますが、夜はネオンではなくボンボリが等できらびやかな世界に変身します。
トゥポン川の少し川下側になると、観光船がたくさん繋留されています。
目抜き通りは、銀座のように人通りが多いのですが、夜になると更に倍ほど人であふれます。
ある店のなか。 漢字の世界です。
こちらは洋服店。 奥の方まで通路になっています。 よく洪水があるそうなのでその関係もあるのかな。
途中、家屋の間が狭い通路になっているところが。
道路を隔てて反対側にも、狭い通路。
通りを歩く西洋人。 観光客の割合は、昼間は西洋人5割、中国人3割、韓国、日本人2割くらいか
夜になると、西洋人が6~7割に増える感じです。
ブルーに塗られた家屋が一軒。
カフェかな。 シクロ(人力車タクシー)が通りを走っているのが下に写っています。 カフェの床面と道路には階段3段分の段差があります。
これも洪水対策でしょう。
奥の三角屋根は、市場です。
ここにも屋台式の軽食コーナーがありました。 午後3時半過ぎ。
市場に続く道路は地元の人々が多い。
暑さで疲れて、寺院と展示館を兼ねたようなところで休憩。
ここの塀の上部には、染付の皿が埋め込まれていました。 ここで、一旦ホテルに戻り、夕食をとってから夜にもう一度、ホイアンに行くことにしました。