突然ですが、部活って教員が見るべきではないと私は思うんです。
あ、これはあくまで私個人の意見ですが、そう思うんです。
なぜか?
それは、
「専門分野でないスポーツを指導するのは、教員にとっても生徒にとっても不幸だからだ」
と思うからです。
それが1つ。
もう1つは、
「部活動は事実上の強制的ボランティア。このグレーゾーンをこのままにしておくのはおかしい」
と思うからです。
まず1つ目についてですが・・・
教員は採用される時に(あくまで公立の話ですが)スポーツの専門性は考慮されません。
もちろん志願書には指導可能なスポーツを書きますし、面接でも聞かれます。
しかし、自分が経験してきた部活動を持てる可能性は、低いのです。
ちなみに私はテニス部を見ておりますが、まったくの素人です。
しかし、なんとかなってしまうんです、中学生が相手だと・・・。
でもそれは、「なんとかしている」「なんとかなっている」だけであって、
本当に良い指導ができているとは・・・思えません。
なんせ、ラケットも持ったことがない人間が教えているのですから。
私は思うのですが、これは不幸です、教員も生徒も。
生徒にとっては、「なんだよ、こいつ素人かよ」となるでしょう。
教員にとっては、「参ったな、何をどうすればいいんだ・・・」
となります。
不幸ですよね、共に。
しかし、年配の先生からは、このような意見もあります。
「熱心にやればいいんだ。その気持ちは伝わる。
子ども達にとっては、先生が一生懸命やってくれればそれで幸せなんだ」と。
これは違うと思います。
教員なんだから、子供に対して熱心なのは当たり前。一生懸命は当たり前。
その気持ちの上に、プロフェッショナルな技術があってこそ、指導だと思うのです。
少なくとも教員は、教科に関しては採用試験でそれなりの能力を問われます。
論述能力や答弁の能力も、面接などを通して問われます、当たり前ですが。
ですから、教科指導に関しては「プロフェッショナルか否か」を問われた後、
採用されているわけです。
だから教員はプロの教科指導ができなければなりません。
しかし、部活動は別です。
何も問われずに、有無を言わさず「やれ」なのですから。特に若手は。
想像してみて下さい。
突然、何の縁もゆかりもなかったスポーツを指導しなさいと言われたら・・・。
部活動の難しいところは、それでいて子ども達の学校生活にとって
とても思い比重を占めているということです。
部活のために学校に来ている、という生徒も少なくありません。
しかし、実は先生は素人である・・・。
まずいですよ、これは。と思います。
しかし、こういう意見もあります。
「部活動で子どもを見てるから、普段の指導の際にもその子のことが
よくわかっており、役に立つ」
これは一理あります。
しかし、私はちょっと違うとも思います。
部活で見ていなくたって、十分子どもの指導はできる。
いや、できなくてはならない、と思うのです。部活の力を頼らなくても。
そのくらいの力量がなくては、教員として務まらないでしょう。
長くなってしまいましたが、
結局はプロフェッショナルが指導をしなければ、
本当に良いものは子ども達に与えられないと思うのです。
本当は2つ目の内容まで触れたかったのですが、
長くなってしまったので2つ目は次回に・・・。
すべては子ども達のために
ふじもん
あ、これはあくまで私個人の意見ですが、そう思うんです。
なぜか?
それは、
「専門分野でないスポーツを指導するのは、教員にとっても生徒にとっても不幸だからだ」
と思うからです。
それが1つ。
もう1つは、
「部活動は事実上の強制的ボランティア。このグレーゾーンをこのままにしておくのはおかしい」
と思うからです。
まず1つ目についてですが・・・
教員は採用される時に(あくまで公立の話ですが)スポーツの専門性は考慮されません。
もちろん志願書には指導可能なスポーツを書きますし、面接でも聞かれます。
しかし、自分が経験してきた部活動を持てる可能性は、低いのです。
ちなみに私はテニス部を見ておりますが、まったくの素人です。
しかし、なんとかなってしまうんです、中学生が相手だと・・・。
でもそれは、「なんとかしている」「なんとかなっている」だけであって、
本当に良い指導ができているとは・・・思えません。
なんせ、ラケットも持ったことがない人間が教えているのですから。
私は思うのですが、これは不幸です、教員も生徒も。
生徒にとっては、「なんだよ、こいつ素人かよ」となるでしょう。
教員にとっては、「参ったな、何をどうすればいいんだ・・・」
となります。
不幸ですよね、共に。
しかし、年配の先生からは、このような意見もあります。
「熱心にやればいいんだ。その気持ちは伝わる。
子ども達にとっては、先生が一生懸命やってくれればそれで幸せなんだ」と。
これは違うと思います。
教員なんだから、子供に対して熱心なのは当たり前。一生懸命は当たり前。
その気持ちの上に、プロフェッショナルな技術があってこそ、指導だと思うのです。
少なくとも教員は、教科に関しては採用試験でそれなりの能力を問われます。
論述能力や答弁の能力も、面接などを通して問われます、当たり前ですが。
ですから、教科指導に関しては「プロフェッショナルか否か」を問われた後、
採用されているわけです。
だから教員はプロの教科指導ができなければなりません。
しかし、部活動は別です。
何も問われずに、有無を言わさず「やれ」なのですから。特に若手は。
想像してみて下さい。
突然、何の縁もゆかりもなかったスポーツを指導しなさいと言われたら・・・。
部活動の難しいところは、それでいて子ども達の学校生活にとって
とても思い比重を占めているということです。
部活のために学校に来ている、という生徒も少なくありません。
しかし、実は先生は素人である・・・。
まずいですよ、これは。と思います。
しかし、こういう意見もあります。
「部活動で子どもを見てるから、普段の指導の際にもその子のことが
よくわかっており、役に立つ」
これは一理あります。
しかし、私はちょっと違うとも思います。
部活で見ていなくたって、十分子どもの指導はできる。
いや、できなくてはならない、と思うのです。部活の力を頼らなくても。
そのくらいの力量がなくては、教員として務まらないでしょう。
長くなってしまいましたが、
結局はプロフェッショナルが指導をしなければ、
本当に良いものは子ども達に与えられないと思うのです。
本当は2つ目の内容まで触れたかったのですが、
長くなってしまったので2つ目は次回に・・・。
すべては子ども達のために
ふじもん