魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

日本経済の破綻への私見 第三回

2007-08-12 23:12:30 | 憲法考

所詮、万民を救える経済政策などと言うものは無いのである。これが政府の施策の限界なのだ。経済原理は、冷徹で非常事態が起きた場合に如何な経済政策をもってしても、国民を等しく救済出来るほどお気楽な仕組みを持って無いのだ。

政府が経済政策を行う場合、何処に焦点を当てるかが問題なのだ。妙薬は口苦しで、良く効く抗生剤には必ず副作用があるものだ。経済政策の効き目は土竜叩きにも喩えられよう。

竹中の焦点は、国民にでは無く、国に焦点を当てた。分かりやすく言えば、国家の指導者層とも言える連中の救済に焦点を当てたのだ。政治家や官僚や財界の魑魅魍魎共は、国民を不安のどん底に陥れた自分たちの責任を取るどころか、もし、経済政策が自分らに目を向いたものでなければ、忽ち、竹中を引きずりおろしたろう。

経済政策は、分配を如何決めるしか出来無いものであり、その分配によって万民が公平に利に与ることが出来るものでも無いのだ。魑魅魍魎達には経済政策に限界があることなど十分承知のことだ。

後進国だった国々の経済的躍進が後半世紀も遅れてくれて、日本がアジアで唯一の経済大国であり続けることが出来たならば、拡大経済政策によって、税収を上げ赤字国債も無くすことは可能であったろうが、消費税を上げようが何しようが、落ち目の三度笠状態のわが国では、逆に、経済難民を作りかねなくなって仕舞い、累進的に経済を冷え込ませ、税収を上げるどころか、経済的弱者は完全に見捨てられ、社会は混乱し、理性は無くなり、又もや、全体主義が幅を利かせるような社会にもなり兼ねない。貧すればドンするなのだ。取り越し苦労では済ま無いのだ。歴史は繰り返すのだ。 続 く


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