魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

◆◆【我「老子」の私見を綴る】◆◆ 偃武第三十一

2012-05-11 00:15:32 | 学問

偃武第三十一

夫佳兵者不祥之器、物或惡之。故有道者不處。君子居則貴左、用兵則貴右。兵者不祥之器、非君子之器、不得已而用之、恬惔爲上。勝而不美。而美之者、是樂殺人。夫樂殺人者、則不可以得志於天下矣。吉事尚左、凶事尚右。偏將軍居左、上將軍居右。言以喪禮處之。殺人之衆、以悲哀泣之、戰勝以喪禮處之。

それ佳兵は不祥の器、物これを悪むことあり。故に有道の者は処らず。君子居ればすなわち左を貴び、兵を用うればすなわち右を貴ぶ。兵は不祥の器にして、君子の器にあらず。已むを得ずしてこれを用うれば、恬惔を上となす。勝ちて美とせず。而るにこれを美とする者は、これ人を殺すを楽しむなり。それ人を殺すを楽しむ者は、すなわちもって志を天下に得べからず。吉事には左を尚び、凶事には右を尚ぶ。偏將軍は左に居り、上將軍は右に居る。喪禮をもってこれに処るを言う。人を殺すことの衆しければ、悲哀をもってこれを泣き、戦い勝ちて喪礼をもってこれに処る。

強兵は、忌むべき不吉な凶器となり得る。よって、有道の君子は軽々しく兵を用いず世を治めんとする。君子は正道を護ることにあり、武力を用いれば殺戮の鬼と化す。武力は鬼道であり、有道の君子は軽々に武力を用いない。止むを得ず武力を用いる場合にあっても、落ち着いて冷静に兵を用いることを上とする。勝利を得ることよりも兵を用いて平安を目指すものである。勝つことに専念すれば、殺戮をし尽くすことになる。殺戮に専念するような者が、天下を治める器だとは言えまい。古来より吉事には左側に、凶事には右側にと、決まっている。副将軍が左に坐し、大将軍が右に坐すは喪の禮法を採るものである。戦いで死者が多ければ、敵味方分けずに鎮痛哀悼し、勝利しても喪禮を行なうものである。


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