第一代天皇とされ、現天皇家の祖先とされている神武天皇については、いわゆる「神武東征」説話が古事記・日本書紀にかなり詳しく語られています。現在ではこの「神武東征」説話が全て作り話とされ、従って過去の歴史事実を何一つ反映したものではないとされており、それを証明するための研究が盛んに行われて、それ相応の成果を収めているやに見えます。すなわち、「神武架空説」は現在の常識であり、定説となっています。
作り話だという前提で古事記・日本書紀の語る「神武東征」説話を一読すると、誰もが感じるのではないかと思いますが...、何故?と首を傾(かし)げたくなる二つの不思議に出会います。しかも定説では二つの不思議に対する明確な答えが示されていないように思われるのです。
一つは、何故、こんな話をわざわざ造作するのか、造作しなければならないのか、というような話がいくつも出てくるのです。神武を初代天皇として相応しい尊貴な徳の高い人物として造作すればよいものを、何故か、騙し討ちや残虐な殺戮場面を何度も描いて、むしろ残忍非道な人物に仕立て上げているようにさえ思えるのです。神武の後を嗣いだとされる綏靖天皇は、異母兄を殺して二代目に収まっていますが、何故、こんな話をわざわざ造作する必要があるのか理解に苦しみます。古事記にいたっては、神武天皇の死後、その子(多藝至美美命 たぎしみみのみこと)が神武の正妃だった継母(伊須気余理比売 いすけよりひめ)を自分の妃にした話まで載せています。綏靖(すいぜい)は、この異母兄であり、母(伊須気余理比売)の夫(義理の父)である多藝至美美命を殺して二代目の天皇になったとしているのです。こんな話までどうしてわざわざ造作したのだろうと不思議でなりません。
二つは、「神武東征」説話には古事記・日本書紀が編纂された奈良時代にはなかった地形や、その地形にまつわる地名が出てくるのです。奈良県と大阪府の境をなす生駒山の西麓(大阪府側)のクサカ・タテツなど現在でも残っている地名です。これらは瀬戸内海を東へ航行してきた神武が、船を停泊して上陸し、長髄彦と戦い、敗退したところにまつわる地名として出てきます。地名の残存率はかなり高いとされていますから現在まで残っていても何の不思議もありませんが、問題は、神武が停泊・上陸した地点が、奈良県と大阪府の境にそそり立つ生駒山の西麓だとされていることであり、クサカ・タテツなどもこのあたりの地名だということです。つまり神武は生駒山の西麓まで船で行き、クサカ・タテツの地名の残るところに停泊・上陸して長髄彦と戦い、再び船で大阪湾に逃れたことになります。生駒山西麓の地域から大阪市の上町台地にかけて広がる平地を河内平野と言いますが、神武は大阪湾から生駒山の麓までこの河内平野を船で往復したことになるのです。現在の地形からそんなことが想像できるでしょうか。同じことは奈良時代にも言えることであって、古事記・日本書紀が編纂されていたころも河内平野は既に陸地であって、大阪湾から生駒山の麓まで船で行けるはずもなかったのです。船で航行することなどおよそ不可能な河内平野を大阪湾から生駒山麓まで船で往復したなどというような話をわざわざ造作する必要がどこにあるのでしょうか。
以上、二つの不思議が、「神武東征」説話が造作されたとする歴史学の常識・定説に納得できない理由です。
プロフィール
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伊藤義彰
塾大学医学部神経内科 脳血管障害予防医学講座の特別研究講師に就任 平成20年9月 慶應義塾大学医学部内科学教室(神経内科) 専任講師に就任 指導医 専門医資格日本神経学会専門医,日本内科学会認定内科医,日本内科学会総合内科専門医,日本脳卒中学会専門医,日...
引用元: 慶應義塾大学医学部神経内科≫教室紹介≫スタッフ紹介:伊藤義彰
伊藤 義彰 教授
![伊藤 義彰 教授](http://www.med.osaka-cu.ac.jp/Neurology/images/staff01.jpg)
略歴
平成2年3月 | 慶應義塾大学医学部卒業 |
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平成6年3月 | 慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程(内科学専攻)修了、 (同11月)医学博士号取得 |
平成6年4月 | 慶應義塾大学医学部内科学教室(神経内科)助手 |
平成10年5月 | アメリカ合衆国National Institutes of Healthに留学、 Dr.Louis Sokoloffに師事 |
平成13年8月 | 慶應義塾大学医学部内科学教室(神経内科)助手に復職 |
平成17年7月 | 永寿総合病院に神経内科部長として出向 |
平成19年12月 | 慶應義塾大学医学部神経内科・脳血管障害予防医学講座の特別研究講師に就任 |
平成20年9月 | 慶應義塾大学医学部内科学教室(神経内科)・専任講師に就任 |
平成26年4月 | 大阪市立大学大学院医学研究科老年科・神経内科教授に就任 |
平成27年4月 | 大阪市立大学大学院医学研究科神経内科教授 |
指導医・専門医資格
日本神経学会専門医・指導医、日本内科学会認定内科医、日本内科学会総合内科専門医、日本脳卒中学会専門医、日本頭痛学会専門医、日本医師会認定産業医、日本認知症学会専門医・指導医
所属学会
日本内科学会(評議員)、日本神経学会(代議員)、日本脳卒中学会(幹事)、日本脳循環代謝学会(幹事)、日本微小循環学会(評議員)、日本頭痛学会、日本神経治療学会(評議員)、日本認知症学会、日本ニューロリハビリテーション学会(理事)、日本老年医学会(代議員)、International Society for Cerebral Blood Flow and Metabolism (Director)、World Stroke Organization、Complex Medical Engineering(評議員)
研究テーマ
虚血性脳血管障害の再発予防(抗血小板薬、降圧剤)、脳血管内皮機能障害とその修復、脳循環・代謝とNeurovascular Unit (ニューロンのエネルギー代謝におけるアストログリアの役割)
![]() こいけ あきら
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![]() |
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生年月日 | 1960年6月9日(57歳) |
出生地 | ![]() |
出身校 | 東北大学医学部 |
前職 | 医師 全日本民主医療機関連合会(全日本民医連 )理事 |
所属政党 | 日本共産党 |
称号 | 医学士 |
公式サイト | 小池晃 Koike Akira |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1998年7月26日 - 2010年7月25日 2013年7月29日 - 現職 |
2009年10月10日 古田史学会報94号 よみがえる倭京 -- 観世音寺の考古学」 古賀達也 観世音寺出土の川原寺式軒丸瓦 >>http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou94/kai09402.html … 生駒市 伊藤義彰
一体真実は?
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