令和2年初春阿蘇地域振興局農地整備課(仮称❔)の職員三人(京大、鹿児島大、熊大卒)が家に遣って来た。其の内の一人鹿児島が、「此処は都市計画法に則った事業計画に関与ないので行政は関係ない」と言っていたが、全く的外れである。
有態に言えば、阿蘇町農業委員会が窓口となって熊本県関係部署や土地改良区とも協力して当該敷地の宅地化を決めてくれたのである。農道の儘では整備路線は出来ないので、接道整備路線の管理は 阿蘇町が必然管理すべきと成った‼
※ 「接道整備道路」幅>4.0mで「土地改良管理域幅は修理も舗装も出来ない」👈と頓智気な回答をする阿蘇市大〇〇は何にも理解出来無い御仁ではある。
突然阿蘇町の川崎町長が整備路線の高盛り土を放置した儘、路線圃場側の幅2.5mを整備路線の一端等を舗装した。然し此の時点では、未だ国有財産普通河川西小園川(似非❔)が存在していたので、宅地側の舗装等改修は出来無かったが、平成17年市町村大合併で西小園川底地は阿蘇市が引き継ぐことに為ったが、折しも、阿蘇市長は新任で接道完成の任務引き継ぎを忘れて❔問題は、此の時、川崎元阿蘇町町長は、大事な引き継ぎを忘れていたものか❔
あろうことか川崎町長とは旧友の仲である故小島良邦は予め不法埋め土していた幅0.9m西小園川を乗り越えて自分の畑地として接道部分も一部埋め戻してしまった、然し、此の部分は幾ら何でも接道として公用地なので市は払下げも時効取得も無い‼👇が、👆の小悪党が接道を無法に改造していたお化け接道の有様である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます