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財産権の規制の判例及び学説に対する異論(1)

2012-12-06 21:49:24 | 憲法考

引用原文

>>http://www.gyosei-i.jp/page016.html#nara

奈良県ため池条例事件(条例による財産権の制限)


◆判例 S38.06.26 大法廷・判決 昭和36(あ)2623 ため池の保全に関する条例違反(刑集第17巻5号521頁)

【判示事項】
一 奈良県ため池の保全に関する条例(昭和二九年奈良県条例第三八号)第四条第二号、第九条(所定のため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植える等の行為をした者を三万円以下の罰金に処するとしたもの)の合憲性。

三 本条例第四条第二号と憲法第二九条第三項所定の損失補償の要否。

要旨】
一 奈良県ため池の保全に関する条例(昭和二九年奈良県条例第三八号)第四条第二号、第九条は、憲法第二九条第二項、第三項に違反しない。
三 本条例は災害を防止し公共の福祉を保持するためのものであり、その第四条第二号は、ため池の堤とうを使用する財産上の権利の行使を著しく制限するものではあるが、結局それは、災害を防止し公共の福祉を保持する上に社会生活上巳むを得ないものであり、そのような制約は、ため池の堤とうを使用し得る財産権を有する者が当然受忍しなければならない責務というべきものであつて、憲法第二九条第三項の損失補償はこれを必要としないと解するのが相当である。
・・・本条例四条各号は・・・ため池の堤とうの使用に関し制限を加えているから、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者に対しては、その使用を殆んど全面的に禁止することとなり、同条項は、結局右財産上の権利に著しい制限を加えるものてあるといわなければならない。しかし、その制限の内容たるや、立法者が科学的根拠に基づき、ため池の破損、決かいを招く原因となるものと判断した、ため池の堤とうに竹本若しくは農作物を植え、・・・(その他の)行為を禁止することであり、そして、このような禁止規定の設けられた所以のものは、・・・ ため池の破損、決かい等による災害を未然に防止するにあると認められる・・・ とおりであつて、本条例四条二号の禁止規定は、堤とうを使用する財産上の権利を有する者であると否とを問わず、何人に対しても適用される。ただ、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者は、・・・ その財産権の行使を殆んど全面的に禁止されることになるが、それは災害を未然に防止するという社会生活上の已むを得ない必要から来ることであつて、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者は何人も、公共の福祉のため、当然これを受忍しなければならない責務を負うというべきである。すなわち、ため池の破損、決かいの原因となるため池の堤とうの使用行為は、憲法でも、民法でも適法な財産権の行使として保障されていないものであつて、憲法、民法の保障する財産権の行使の埒外にあるものというべく、従つて、これらの行為を条例をもつて禁止、処罰しても憲法および法律に牴触またはこれを逸脱するものとはいえないし、また右条項に規定するような事項を、既に規定していると認むべき法令は存在していないのであるから、これを条例で定めたからといつて、違憲または違法の点は認められない

・・・本条例は、災害を防止し公共の福祉を保持するためのものであり・・・ため池の堤とうを使用する財産上の権利の行使を著しく制限するものではあるが、結局それは、災害を防止し公共の福祉を保持する上に社会生活上巳むを得ないものであり、そのような制約は、ため池の堤とうを使用し得る財産権を有する者が当然受忍しなければならない責務というべきものであつて、憲法二九条三項の損失補償はこれを必要としないと解するのが相当である。

【解説】
県内に多数のため池を有する奈良県は、ため池の破損や決壊による損害を防止するために、ため池の堤などに竹林や農作物を植えたり、建物等の工作物を設置することを禁止する条例を制定した。これに対して、父祖の代からため池の堤で耕作を行ってきたXが、条例施行後も耕作を継続したために条例違反で起訴された事件。

本判決の重要点は次の2点である。
まず、「財産権の内容は法律で定める」(憲法29条第2項)とされているが、条例で財産権の制限を行うことができることを認めた。学説においても
「条例は地方公共団体の議会において民主的な手続きによって制定される法であるから、特に地方的な特殊な事情の下で定められる条例については、それによる財産権の規制を否定することは妥当ではない。」(芦辺「憲法」第3版 215頁)が、多数説である。
第2点は、憲法第29条第3項に定められた損失補償に関して、ため池の堤とうの利用制限は「災害を防止し公共の福祉を保持する上に社会生活上やむを得ないものである」から、堤とう上に財産権を持つものが「当然に受忍しなければならない」ものであり、損失補償を要しないとしたことである。
補償に関しては、「特別犠牲説」が従来からの通説とされる。これは、相隣関係上の制約や、財産権に内在する社会的制約の場合には補償は不要であるが、それ以外に特定の個人に特別の犠牲を加えた場合には補償が必要だという説である。そして、「特別の犠牲」の判断については、(1)侵害行為の対象が広く一般的か、特定の個人や集団かという点と(2)侵害行為が財産権に内在する社会的制約として受忍すべき限度内か、それを超えるものか、によって判断する。(芦辺「憲法」第3版 217頁)
★相隣関係
隣接しあう土地の利用についての調整を行うもの。民法209条以下に定められている。主なものは次のとおり。
(1)隣地の使用に関するもの(隣地使用権・いにょう地通行権)
(2)排水・流水に関するもの(排水権・流水利用権)
(3)境界に関するもの(界標設置権・距離制限・目隠し設置義務) など。

(異論)

 上記判例や学説での問題点となる最大の事実と判断は、次の一点に絞られよう。

「ため池の破損や決壊による損害を防止するために、ため池の堤などに竹林や農作物を植えたり、建物等の工作物を設置することを禁止する条例を制定した。これに対して、父祖の代からため池の堤で耕作を行ってきたXが、条例施行後も耕作を継続した。」と言うことを考慮に入れていない。

 そもそも「財産権」とは、「財産的価値を有する権利」とされる。[財産]とは、個人や団体などの持っている土地・建物・物品・金銭・有価証券などの総称で資産とも言われる。その人にとって貴重な事柄も含む。法的には、一定の目的の下に結合した,現実的利用性あるいは換価性のあるもので,法律により保護または承認されているものの総体され、物権・債権・無体財産権の類のものである。

 日本は外的には経済活動と内的には精神活動によって自尊自立を旨として生計を立て、暮らせる国家である。その自尊と自立を可能とするのは自由闊達な経済活動として自由主義経済を我が国は旨とする。この自由闊達な経済活動によってより良い生活を求めて個々人が頑張ることによって、社会全体も経済が活性化し国民全体の福利向上を達成できるとすることは、国民が自覚するところであるのだ。「財産」の私有は国民の経済活動の活性化には欠くべからざるものである。自由主義経済は社会全体の需給の在り様を人々の欲求によって成り立つ。

 従って、自由主義経済社会にとっては、私的に財産権を持ち維持し続けることは、社会にとっても個人にとっても欠くことが出来ないことである。

 況してや、先祖代々維持継続して所有して、その現実利用権をして来て、万一の場合はその交換価値を保持していた被告が、条例によってある日行き成り「財産権」を制限され、その土地を利用することが出来なくなり、交換価値も殆ど失くされると言うことは、我が国が採っている経済体制を根本から全く覆すものである。

 万が一、このような制約を科すことを赦されるとするならば、元々水害の被害に遭うことを避けられぬ地域に住んでいる住民は、溜池によって被害を避けられることによる利益があるのだから、衡平の観点から制約を受けた者に対して、元々税で徴収された公金でその損失を保障すべきである。「公共の福祉」と言うこの事例については空虚な言葉に踊らされて、社会の仕組みを無視した上記判例及び主力学説は全く当を得ないものである。


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