魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【「経済は世の中仕組み次第で如何にでも成る」?☜解析③】

2018-09-02 01:19:47 | マクロ経済の基礎の基礎

 「大抵の大衆の生涯に対する望み」は、日々日々安心して暮らせ「大害無く」一生を終えることである。

 日本の高度成長期の原動力は何だったか?
  一般的サラリーマン?は職場で仕事を一所懸命遣って居れば、余程の失敗が無ければ終身雇用と年功序列が保障されて居た。

 子供は社会が育てるものでは無く、両親が責任を以て養育すべきであるのが人間本来の子育ての責務であり、「子供の成長過程で最も必要なのは母親の愛情である」ことは言う迄も無く、子育ての親としての男女の役割分担は、「父親が働き稼ぎを得て家計を安定させ、母親は子供に愛情を一杯注げる専業主婦として徹する」ことに在る。無論不幸にして両親の一方に何かあった場合の手当ては、国民同士助け合う相互扶助システムは必要だが、子供を産んだ両親が離婚する等もっての外である。

 高度成長期の総ての職場や家庭が、👆に記した様なものであったとは言わんが、先ず一般論として異論を挟めるものでは無いことは確かである。
 社会や組織は人々の協働無くして成り立た無い。発想に基づく社会や組織に役立つアイデアは確かに個人から出るものではあるが、其れを社会や組織に生かせるものとするには、矢張り集団の支援と協働が必要である。高度成長期に言われて居たことは、「日本人は決して個人としての能力は各別なものとは言えんが、組織力は群を抜いて居るので世界で優たる経済大国に成れた」との論調が世間を占めて居た。尤も、此の組織力に対して「『なぁ々主義』を生む」、「若者の遣る気や能力を殺ぐ」等様々な異論もあったが、「人間社会の根源的在り方」は先ず安定安心して日々送れることで在り、親の責務として男女共、「子育てを責任以て果たす」ことに在ることからすれば、経済的効率や企業経営論理を前面に出した所謂「個人主義」を蔓延させて日本社会を崩して来た政治屋やマス塵の罪は赦すべきでは無い。

続 く


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