2014-05-02 11:03:34 投稿
思想家としての釈迦を考えた時、天上天下唯我独尊は前回、
貴方が今いる場所が総てです。大宇宙の中の地上 生きとし
生けるもの 総ての命は尊い あなたもわたしも尊い存在です。
に進化しました。”サイのように歩め”は”独り我が道を行け”
唯我独尊に通じる修行者の姿です。
宗教への変質が時代背景での宿命であり、残された総ての物
がその伝承であったとしても、宗教的要素を排除し、論理的思
考のエッセンスを培養すれば、失われた思想、現代の釈迦が復
活します。そして、当時の限界でカットすれば人間釈迦の実体
になります。
天上天下唯我独尊 がいつ作成されたかは不明としても、2
千年の歴史の中で、世界中で女性の参政権が20世紀になって
実現した現実は、偏見と差別が如何に根強く世界に充満してい
るかの表れです。言葉の意味が理解され難く、人それぞれに都
合良く理解されるかを物語っています。戦後、神国日本から自
由の国としての憲法が制定されました。しかし、皇国日本の臣
民として育てられた、当時の多くの日本人は個人の尊厳を個人
の自由に矮小化して理解していました。今日、憲法の3原則、
国民主権、基本的人権、平和主義をどれだけ理解しているか?
或いは、原則の元になる原理とは何なのでしょうか?
天上天下唯我独尊 に秘められた仏教の人権思想
天上天下は天の上と下、今あなたがいるのが唯一無二の世界で
あり、我を一人称で理解すれば独立独歩、我が道を行く自由で
す。我を二人称で理解すれば、生きとし生けるもの 総ての命
は尊い あなたもわたしも尊い存在、個人の尊厳、平等です。
天上天下唯我独尊 8文字の中に、個人の自由、命の尊厳、
平等の概念、現代の人権思想の原理があります。そのように見
れば19世紀のフランス革命、自由の女神に値する文字の美し
さです。
釈迦の時代、世界は神話であり、祭儀が決定権を持つバラモン
の社会でした。論理的思考は不用であり、言葉が概念を決定し
ました。そして、出家者の修行、苦行が仙人となり神通力を得
て悟りを得る方法でした。人生は残酷で、無常であり、苦しい
世界として出家しました。贅沢の限りを知り尽くした釈迦の心
情は現代でのニートの心情に似ています。違いはゲームに興じ
無かっただけかも知れません。
此があれば彼があり、此がなければ彼がない、此が生ずれば
彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。縁起は釈迦の思想の根本原
理です。
想えば数学でのゼロの発見を想い浮かべます。空の概念は西
暦2、3世紀の竜樹によって般若心経が完成したようですが、
釈迦は悟りを得た時、内容は深淵で、悟りの内容を説いても人
々は理解できない(説明が難しく言葉にできない)それは説明
する概念、言葉が無いことを意味します。ゼロは場を占めるけ
れど値は無し。少し明かりが見えた気がします。続く・・・