愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  自由・愛・公平
原則 人権・平等・平和
命をつなぎ、知識を伝へ発展した文化・科学
人々の想いを伝承

偉人5 名言 人間ナザレのイエス 思想2

2014年05月17日 | 偉人5 ナザレのイエス
2014-05-25 13:00:08 投稿


 前回はマルコ伝の 洗礼者ヨハネは天国の最も小さいものでも彼よりは大きい。からヨハネはユダヤ教の原理主義者としました。
 ユダヤ教を従順に学んでいた正義感の強いイエスはヨハネから、
反逆する正当性を学びました。そして、イエスは安息日や食事の律
法を守る事の愚かしさ、それまでの律法を称える王や司祭、律法学
者こそが神に近い存在から、富んでいる者が神の国にはい
るよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい
現世に神の国
を実現するユダヤ教のメシアから貧者、虐げられた人々を天国への
救済、天国と地獄への選別というユダヤ教にはなかった思想が導入
された。現世が神の国になるという思想から、死後の復活と天国と
いう曖昧な認識で、神の国は近づいた。どこまでが、イエス生前の
考えかは不明ですが、マタイ伝、ルカ伝、ヨハネ伝と強くなってい
ます。ユダヤ社会の終末論、メシアの待望と混在しています。マタ
イ伝ではユダヤ教の知識が無いと理解が進まない内容から、他の福
音書がつくられたのでは?
 イエスと洗礼者ヨハネは異母兄弟という説もありますが、少なく
とも、確実なことは母マリアはイエスを婚外子として受胎し、年の
離れた養父ヨセフに嫁いだ。処女受胎が奇跡のしるしとしての伝承
こそ、ユダヤ社会、ナザレ村の共同社会の中でイエスが過酷な偏見
を受けて育った証しではと。ナザレ村では奇跡は為しえなかった。
 生命の自然発生(無生物から生物が生まれること)説は19世紀
パスツールによって完全に否定される迄、多かれ少なかれ信じられ
てきた。今日では男性のY染色体を持つXXY型の変異遺伝子を持つ女
性、しかし、流産か死産となり、マリアは生存していない。
 ユダヤ社会の底辺で苦しむ人々、不正義を正すイエスはユダヤ教
の改革派、異端派としてあった。洗礼者ヨハネの死の衝撃はイエス
に強烈な決断を迫った。死を賭して宣教するか、宣教を止めるか。
救世主(メシア ヘブライ語、キリスト ギリシャ語)を自認する
に至ったイエスはエルサレムの死地に向った。

 18世紀の市民革命、近代ブルジョア社会を樹立したフランス革
命ではキリスト教会(カトリック)の聖職者は特権階級に属してい
たため弾圧された。しかし、イエスの考えは近代市民主義の原理と
なった自由、平等、友愛と相容れない為では無かった。当時イエス
が糾弾したユダヤ教の律法主義そのもの教会であったからである。
 イエスは与えられる愛、奉仕する愛から人間同士が愛し合う愛を
抽出させた。パウロやアウグスティヌスによって世界宗教になった
キリスト教は政教分離を成し遂げたものの、始めに言葉有り、言葉
は神である。によって巨大な偶像化された教団となった。16世紀
マルティン・ルターは宗教改革で、神の前では人はすべて平等とし
て、個人の自由と尊厳を訴えた。しかし
 人権思想の最初として、13世紀イギリスのマグナカルタ、専制
君主の政治から議会の承認で権力の行使する民主主義の原点として、
貴族やカトリック聖職者の反乱によって議会が成立。14世紀のル
ネサンス。神を中心とした中世の教会至上からギリシャやローマの
古典文化から現世の肯定、個性の重視、感性の解放として、自由な
人間中心の文化が、キリスト教の人類愛と融合して、合理主義と人
間尊重の思想となり、18世紀になって「人権宣言」自由・平等・
博愛が発表された。
 イエスの思想の原点はマルコ伝を読んだ感想として、みだりに称
うべきでは無いヤハウェの下、自由・平等・博愛であると信じます。
 それは、残念ながら教会の三位一体の否定になります。

コメント
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