愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  自由・愛・公平
原則 人権・平等・平和
私が在る限り貴方は有り
貴方が在る限り私は有る

人間社会の自由と愛を担保するは命の尊厳、平等、平和の立憲主義

2019年10月08日 | トップページ

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since 2018.8.3 2019/10/08更新

ようこそ 人間社会主義のページにお越し頂きました。現在、大幅にブログを統一するために更新工事中です。
 
 私がある限り貴方は在り 貴方がある限り私は在る

 これは数年前、偶然に見出した言葉です。どう理解するかを普及させることが私の懸案だと思っています。愛、生命の絆、アイデンティティー、希望、中今、自由の共通解です。
 過去と現実を肯定的に捉えると誤解されるかも知れません。過去を認知しない限り、今を理解し、明日を創造することは出来ません。夜と霧で有名なヴィクトール・フランクルが挫折、空虚、虚無、絶望の中でも「それでも人生にイエスと言う」「生きる意味を求めて」宗教が香っていますが、限りなく無神論に近い汎神論の私にとって自己を確立し自立する自信を与える言葉です。それは宗教を信じる人が神や宗主と同一化することで自己を確立し自信を得ることと同じであり、リベラルアーツの究極的な言葉と言えます。人類の歴史の延長線上の今を生きる実在と構造の存在証明と言えます。
 世界の紛争の根源である対立、宗教に依存しない、宗教の対立から人々を融和させる無二の方法です。生命、人類の進化の科学的知見は宗教が生まれた時代の無知と恐怖の世界から一変させました。言葉による正当性を確保する上で神は絶対でした、絶対であるモノを神と言葉にしました。私達は言葉によって考えます。生命の進化の歴史、人類の歴史は事実として万人が受け入れるべき言葉です。生命にとっては死が一番の恐怖です、しかし、釈迦は死後の世界について語りませんでした。死後の世界は無数の先人が良くしていると安心すべきであると私は安堵しています。或いは五蘊、色・受・想・行・識の生きている証である感受作用の受が無くなれば、後の想行識はあり得ません。生きている間に残すべきです、言葉、芸術、科学としてあなたの心を。文明、文化は世代交代の中で引き継がれて来ました。
   
 貧富の格差を拡大させ、憲法改正に執着する安倍政権は戦前の天皇制の国家主義を理想としています。教育では国を愛する心に奔走し、日本が大化の改新より国是としてきた仏教とは縁遠い他国と協調よりも対決を前面に押し出しています。 

 憲法記念日の今日思い出す。慰安婦で揺れた大阪。前年の慰安婦発言でサンフランシスコ市の訪問を中止した橋下徹。その尻ぬぐいが出来ない吉村現大阪府知事は姉妹都市を解消。
 今日の若者が日本の兵隊がそんな残酷な事をするとは信じられない。との声があります。正常な感覚と狂気の時代のギャップ、もう少し識るべきです。
 靖国神社、遊就館内の言乃葉「僕は唱歌が下手でした」佐藤源治陸軍憲兵曹長、昭和23年9月BC級戦犯として刑死。彼のジャワ獄中記の中に
 多くの本来純朴であったはずの農村出の若者たちが、外地の民衆、とくに婦女子にたいし、どれほど非人道的行為を加えたか、それは まさに目をおおわんばかりの破廉恥な残虐行動だったといえる
 日本の敗戦は他民族の民心を把握し得なかった点にもあったし、天道への背反による破綻であったともいえる

参照 過去のページhttps://blog.goo.ne.jp/tensyouwao/e/afeb1270262bc443ec491362d50cbfb6

 かつて大阪で、自民党は四分の1政党と言われた時代が長くありました。ところが維新の出現で大阪は一変しました。第二自民、経済至上、財界とアベ自民の負託に応える維新の大勝利です。競争、格差、自己責任の新自由主義、それは餓鬼の社会です。新生児が100万を切った日本、出生率が1,4が2世代続けば5,60年後には日本の出生数は50万以下になる事実、その現状を憂います。維新の教育無償化は格差拡大、自己責任を強制する実体を隠す詐欺です。
 人の財を奪い合うカジノは日本のよき仏教文化、精神風土を崩壊させます。助け合い、勤労精神、そして芽生えたボランティア精神を破壊します。娯楽ですと宣伝するパチンコパチスロ業界に対し、還元率を吹聴するカジノ、勝者がいれば負ける者が多くなる現実が時代のトレンドになります。依存症は敗者だけで無く勝者も依存症です。儲かる!狂乱が餓鬼畜生への道、人間性の崩壊、共生社会の破壊です。


 観念と科学の融合、宗教と科学の融合の時代へ
   私がある限り貴方はあり、貴方がある限り私はある
生命としての人間、知性としての人間のアイデンティティーです。
 
 生きる目的とは ”生きること命をつなぐこと” 人間の生命体として大前提です。最も基本的な原理を基礎とすべきです。ニュートンの林檎は落ちることで万有引力の法則の原理としました。
 人生に何か特別の目的を考え与えようとすることは妄想と迷宮に誘う愚行です。生きるために何をするか?生きるためにどう考えるか?を考えるべきです。人は生命の実相に触れた時、虚無に陥ります。外界を認知し、歴史を受け入れる時に陥る宿命ですが、それを超える生命力と歓喜が人間にはあります。しかし、現実社会ではサルトルの”人間は自由の刑に処せられている”に値いする自由を保証されている人は少なく、障害を乗り越える知者が少ないのが現実です。世界には無知と貧困があふれ、抑圧と差別によって自由と愛が拘束されています。人は日々の生活で抑圧と差別を行い、逆に、抑圧され差別されます。恋人や愛人の選択は多数の中から選別、差別化された結果です。相思相愛のペアであっても日々の共同生活の中で抑圧や差別は存在します。両者の自己確立の上で、意思疎通や相互の尊重、敬意があってこそ言葉は共有されます。それ以上に、心も共感、共有する能力を人間は持っています。

 どう生きるべきか ”たくましく やさしさありて たのもしい
頼もしい人間であれ、頼りにされる人とは 人に愛される人 たくましくなければ生きていけない、やさしさがなければ共同生活ができない。司馬遼太郎の(もののふの誇り)「21世紀に生きる子供たちへ」

人生の共通解として”私がある限り貴方はあり、貴方がある限り私はある
 死は人間には必然でありながら、生きる上で最大の恐怖です。DNAを受け継ぎ、生き方や知識を受け継いだ前世代の人々は私と共にあります。そして、次世代は私を介しても受け継ぐ、生命の絆です。死の恐怖は絆によって克服されます。
 ”私がある限り貴方はあり”は自己のアイデンティティーであり、誇り、自信です。
貴方がある限り私はある”は未来への希望です。
 神道では中空構造の中今を生きることです。
 愛とは当にこれです。愛は他者との一体化のため、残念ながら依存が発生します。両者の人権人格の自立と尊重しなければ破滅します。
 なかなか実感、理解されがたいことですが、NHKクローズアップ現代で「死ぬことは人の中で生きること 樹木希林」とありましたが、後半の”貴方がある限り私はある”を死を意識した表現です。生きるのも日常、死んでいくのも日常、死ぬことは人の記憶の中で生きること、一つの生命の誕生、生きる、死はワンセットでが、老いを迎えた人であればこそで、元気な人には似合いません。ひとりはいつもひとりなりけり(一遍上人)も無常観があふれています。

 心の問題は観念、個人で有れば主観と言われます。一方で有史以前より宗教が心の問題を担ってきたとも言えます。西洋では神と人間の関係の中で、東洋では没我、汎個性の中で世界(人間)について語られてきました。思想、哲学、倫理もそうです。
 現代人は人権を名目上獲得しました。そして宗教の成立期よりもはるかに進んだ科学知識を持っています。心理学の発展は心の在りかも解明しようとしています。
 人間社会は人と人の関係の中で成立します。人と人との関わりの中で個人の幸福があります。自由も愛も同様です。現在の言葉で心の問題を明らかにする必要があります。

最新  宗教指導者、倫理学者に問う、自由と平等、平和に対する罪。安倍政権の新自由主義、復古主義を糾弾するをアップしました

 人間社会学 原論
   偶像から普遍的人権へ -人間再興- 
をアップしました 2018/11/ 1
基本的人権を誤解し曲解して、愛国教育、道徳教育に奔走しているのは誰だ!
 偶像は破壊され普遍的人権が打ち立てられ、自由と愛が矛盾無く確立する。

参照ページ
 生命の賛歌 愛の告白ページ 奇跡のバースデーカード 白居易の長恨歌の向こうを張りました
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