-生命体としての存在論- 阿呆謙助
1、はじめに
生命としての存在は生きること、命をつなぐことです。生物としてそれが総てです。生きることは言葉の意味として、経験の違いもあり人それぞれに微妙に理解は異なります。又、どう生きるべきか?とは別の問題です。
刷り込みと言う言葉があります。鳥の雛が生まれて直ぐに見る動く物を親として受け入れますが、一般に動物が生まれた後、急速に生きるための知識を吸収する学習現象が刷り込みです。人の場合は言葉の学習や生活の習慣や文化形式を急速に学びます。又、人は幼形成塾と言われ、成年後も頭脳は学び学習する能力、記憶と思考の2つを持っています。逆に、科学文明の発達した現代では生物的に成年に達しても学習しなければ社会的な成年に達しない現実もあります。人には知識を丸ごと覚える、分解し組み立てて覚える2つの方法があり、人によって得手不得手があります。手っとり早いのは丸ごと覚えることですが、批判精神と思考の柔軟性が欠ける可能性があります。記憶や知識に頼り、価値判断の基準、スタイルは変化しがたく、時代の変化に対応する能力は若さ溢れる頭脳の特権です。逆に、若者ほど変化に対応する思考と知識を吸収する頭脳の柔軟持っています。但し、新しい言葉に慣れなくて普通の文章のように読み難しいでしょう、言葉の意味を理解しながら辛抱して進んで下さい。
本編は人生とは?を考え始める中高校生や人生を問う若者を初めとして悩める人々に、現代では当たり前の知識を組み立てただけですが、半世紀に渡る思考の結実です。世界を一変させる思想の自負があります。混迷の世界は変革する必要があります。補助になればの一心でできるだけ判りやすく、無知、無恥を承知で私が得た知恵を真剣に書きます。私は哲学を学問として修得していません。無学誤謬を指摘して頂ければ幸いです。質問も歓迎します。
人は言葉を情報の伝達と思考の手段として刷り込まれます。言葉には様々な種類が有りますが、私は真理という言葉は嫌いで使いません、以下では✕✕で表記します。✕✕は論理的には正解のブラックボックスです、数学でのXと同じです。世の中の予め決まった事を総称し、或いは事実で無い事まで総称される言葉です。アルキメデスの原理は✕✕、同様にこれも✕✕。の論法をあなたは受け入れますか?人は言葉を字義と情緒の2種類で理解する側面があります。未知、不確定なxをそれは正しいと受け入れますか?水は高き処より低きに流るにつきます。しかしながら、歴史的遺産として、✕✕と正義を希求し…の様に学校でも使われます。これは哲学での観念論になります。日本ではイデアリスムは Idealism 発音はaɪdɪ́əlɪ̀z(ə)mアイデアリスムですが、存在論においては唯心論、認識論では観念論、倫理学では理想主義となります。✕✕を正とするならば○○の定理、○○の法則で十分置き換えが可能です。
刷り込まれた✕✕のような言葉に私は小中高生の頃より反論できませんでした。理屈、論理として反論のしようがありません。おべんちゃらで使うか、押し黙るの2つの選択肢です。抑圧され表現の乏しい人は繊細な熱情が内に秘めていることを私は知っています。
宗教での善悪2元論の刷り込みは強烈です。マジックワード、幼児がお化けがでるよと親に脅かされ、言いつけを守る比ではありません。生物にとっては食物連鎖が有るのみです。群社会では序列と支配被支配の権力構造、マウンティング
私は本編で愛を説き、平和を説きます。そして理(ことわり)を説きます。愛は人が生きること命をつなぐ上での人生最大の案件です。人を成長させる原動力です。愛は湧き上がる性の欲求が成熟して初めて生まれます。少子化、ジェンダー平等が叫ばれる今日、性は隠蔽されるモノでは無く、オープンに理解が進まなければ文化は発展しません。日本も昔はおおらかな性文化の時もありました、対等でなければ成立しません。
平和を想います。生存の第一条件です。科学と技術が飛躍的に進み、世界のグローバル化んだ今日、時代の子である思想はどこまで現実を反映しているでしょうか?過去の賢人が現代の知識を持ってすれば大いなる知見を明らかにするでしょう。ロシアによるウクライナ侵攻を止められない混迷の世界にあって、改憲が論議を呼ぶ時代になりました。70年の年月を現憲法下で育ち生活してきた私にとって反戦平和は親父母世代の遺言です。余りにも悲惨な昭和の戦争を経験した怨念、平和憲法は日本の誇りです。平和は生きること、命をつなぐことの最低限の前提です。戦争に明け暮れた20世紀、世界は何を誤ったのか?正すべきです。
銃による殺人事件が頻発する米国で公共の場での銃の携行を制限したニューヨーク州法を連邦最高裁は違憲としました。常在戦場の日常、日本人にはありえない生活感覚です。武力で権勢を張り合う愚は止めましょう。
旧態の思想や倫理、宗教が現実に対応していないと断言します。改めるべきです。生命に関する科学は歴史と伴に飛躍的に発展し、人間と他の生命との境界は限りなく無くなりました。現代人は合理的な科学的知識は求めれば得る事が可能です。
断言します。フランス革命以後の-自由、平等、友愛-は時代遅れです。自由は抑圧と支配に苦しみ続けてきた人類にとって希望の概念でした。しかし、自由の密を知った人々は暴走します。自由には自己のエゴを含み正当化します。統一ロシア党のプーチン、トランプのアメリカファーストと自国第一を押し通すエゴの対立がまかり通っています。自由は愛と公平フェアネスによって統合されて初めて社会性を保ちます。
国連の目的は何より平和です。世界が確立すべき原則は
-平和、人権、平等- です。
その前提として人類が持つべき生存の原理は
-愛、自由、フェア(公平)-です。
愛と自由、フェアに生きる。これが古今東西から学ぶ人類の叡智です。その為に平和、人権、平等の原則が前提です。残念ながら人を愛し、自由を楽しむフェアな生き方は生まれながら備わってはいません。人は社会の中で失敗しながら愛することを学び成長します。自由を楽しむ心は自制心と知識が必要です。そして幼児期に愛情を受けて育まれる協調性も重要です。
私達の時代は四当五落の受験勉強、水分補給は競技が総て終わってから時代でした。社会人になってからも長時間労働が常識?人を愛し、自然と芸術を楽しむ余裕が無い心貧しい生活でした。
それは初めのボタンの掛け違いが大きく影響しています。私は学校の先生が嫌いでした。何故、あなたの指示に従わなければならない?親は子供に義務教育を受けさせなければならない。この一点で子供は学校に行かねばなりません。運動会のマスゲームが大嫌いでした。団体行動の一部品の自分を押し付けられる存在。子供で有っても一人の人間として尊重されるべき存在です。この人の指示に従う値打ちが有るか?相手の人間性判断と功利判断のせめぎ合いです。先生に人格を求めるのが間違っていました。一般の社会の人間模様と変わりありません。
近年になってリベラルアーツという言葉を知りました。大学での基礎教養ですが、人は何故学ぶのか?古代ギリシャローマを源流とした、既成の概念、慣習の束縛から自己を解放するための知識や変化に対応し、自由に生きるための力を身につけるためです。考えるより記憶の方が早いに決まっていますが、興味や関心が長期記憶に影響します。又、論理的に思考することも経験や訓練が必要です。そしてラビング・アーツも確立する必要があります。
好きこそものの上手なれ、必死に覚える必要性が有れば覚え込んでしまいます。努力は苦しむモノではありません。楽しむモノです。今を辛抱して勉強すれば、将来楽しい生活になる。ウソ、欺しです。両者では効率が全く違い勝負になりません。未来永劫いつになっても今を辛抱して生活する習慣と刹那の楽しみに甘んじる事になります。
政界で収入格差が教育格差を再生産すると宣伝する人気政党がありますが、ウソ、欺しです。教育格差が有っても収入格差の少ない社会を目指すべきです。収入格差を黙認して受験競争をあおり、負ければ収入格差に甘んじよ!人生で最も輝く青春時代を愚弄する考えです。成績が悪いのは勉強しなかっただけの話です。やる気が無ければ塾であれ予備校であれ時間の無駄使いです。現代は肩書き万能の時代ですがメッキは直ぐに剥がれ、実力が露見します。
ちなみに丸覚えは女性の方が相対的に得意です。男性が負けない為にはテスト以外の強い目標、動機付けが重要です。? ちなみに数学のテストは思考力のテストではありません。クロスワードように問題な叶った解き方を覚え方程式を当て填め計算する訓練です。
話を戻します。
結論を予め書きます。生命体としての存在論としてこれから明らかにしたい事は次のことです。
生命存在の
第一の定理は、生きること、命をつなぐこと Living and passing life on to the next.
第二の定理は、私が在る限り貴方は有り、貴方が在る限り私は有る
As far as I am,you are here. As far as you are,I am there.
略して AS FAR YOU`RE
生命体として加速度的に発達してきた文明文化、科学は先人からの遺産です。その蓄積の上に私達はいます。言葉で知識を紡ぎ伝え、思考の道具としてきました。その遺産を受け継ぎ、発展させ、次世代に引き継いでいる現在です。私が在る限り貴方は有る。過去の先人に対しても、未来の人々に対しても自己存在の証明です。貴方が在る限り、As far as you are.私は有ります。
第三の定理は たくましく、やさしさありて、たのもしい
愛と自由を求め誇りを持ってフェアに生きる
これの説明は長く未だ曖昧で後述します。司馬遼太郎の 21世紀に生きる君たちへ 参照して下さい。
ちなみに私の若い頃の愛読書は高校時代の荘子から初まり、伊藤整の鳴海仙吉、そして司馬遼太郎です。上記は下の娘が小5の時の国語の教科書に寄稿されました。
最近では三木清の老い、親鸞の性欲の苦悩
宗教的には釈迦の直弟子、汎神論的無神論者です。
1、はじめに
生命としての存在は生きること、命をつなぐことです。生物としてそれが総てです。生きることは言葉の意味として、経験の違いもあり人それぞれに微妙に理解は異なります。又、どう生きるべきか?とは別の問題です。
刷り込みと言う言葉があります。鳥の雛が生まれて直ぐに見る動く物を親として受け入れますが、一般に動物が生まれた後、急速に生きるための知識を吸収する学習現象が刷り込みです。人の場合は言葉の学習や生活の習慣や文化形式を急速に学びます。又、人は幼形成塾と言われ、成年後も頭脳は学び学習する能力、記憶と思考の2つを持っています。逆に、科学文明の発達した現代では生物的に成年に達しても学習しなければ社会的な成年に達しない現実もあります。人には知識を丸ごと覚える、分解し組み立てて覚える2つの方法があり、人によって得手不得手があります。手っとり早いのは丸ごと覚えることですが、批判精神と思考の柔軟性が欠ける可能性があります。記憶や知識に頼り、価値判断の基準、スタイルは変化しがたく、時代の変化に対応する能力は若さ溢れる頭脳の特権です。逆に、若者ほど変化に対応する思考と知識を吸収する頭脳の柔軟持っています。但し、新しい言葉に慣れなくて普通の文章のように読み難しいでしょう、言葉の意味を理解しながら辛抱して進んで下さい。
本編は人生とは?を考え始める中高校生や人生を問う若者を初めとして悩める人々に、現代では当たり前の知識を組み立てただけですが、半世紀に渡る思考の結実です。世界を一変させる思想の自負があります。混迷の世界は変革する必要があります。補助になればの一心でできるだけ判りやすく、無知、無恥を承知で私が得た知恵を真剣に書きます。私は哲学を学問として修得していません。無学誤謬を指摘して頂ければ幸いです。質問も歓迎します。
人は言葉を情報の伝達と思考の手段として刷り込まれます。言葉には様々な種類が有りますが、私は真理という言葉は嫌いで使いません、以下では✕✕で表記します。✕✕は論理的には正解のブラックボックスです、数学でのXと同じです。世の中の予め決まった事を総称し、或いは事実で無い事まで総称される言葉です。アルキメデスの原理は✕✕、同様にこれも✕✕。の論法をあなたは受け入れますか?人は言葉を字義と情緒の2種類で理解する側面があります。未知、不確定なxをそれは正しいと受け入れますか?水は高き処より低きに流るにつきます。しかしながら、歴史的遺産として、✕✕と正義を希求し…の様に学校でも使われます。これは哲学での観念論になります。日本ではイデアリスムは Idealism 発音はaɪdɪ́əlɪ̀z(ə)mアイデアリスムですが、存在論においては唯心論、認識論では観念論、倫理学では理想主義となります。✕✕を正とするならば○○の定理、○○の法則で十分置き換えが可能です。
刷り込まれた✕✕のような言葉に私は小中高生の頃より反論できませんでした。理屈、論理として反論のしようがありません。おべんちゃらで使うか、押し黙るの2つの選択肢です。抑圧され表現の乏しい人は繊細な熱情が内に秘めていることを私は知っています。
宗教での善悪2元論の刷り込みは強烈です。マジックワード、幼児がお化けがでるよと親に脅かされ、言いつけを守る比ではありません。生物にとっては食物連鎖が有るのみです。群社会では序列と支配被支配の権力構造、マウンティング
私は本編で愛を説き、平和を説きます。そして理(ことわり)を説きます。愛は人が生きること命をつなぐ上での人生最大の案件です。人を成長させる原動力です。愛は湧き上がる性の欲求が成熟して初めて生まれます。少子化、ジェンダー平等が叫ばれる今日、性は隠蔽されるモノでは無く、オープンに理解が進まなければ文化は発展しません。日本も昔はおおらかな性文化の時もありました、対等でなければ成立しません。
平和を想います。生存の第一条件です。科学と技術が飛躍的に進み、世界のグローバル化んだ今日、時代の子である思想はどこまで現実を反映しているでしょうか?過去の賢人が現代の知識を持ってすれば大いなる知見を明らかにするでしょう。ロシアによるウクライナ侵攻を止められない混迷の世界にあって、改憲が論議を呼ぶ時代になりました。70年の年月を現憲法下で育ち生活してきた私にとって反戦平和は親父母世代の遺言です。余りにも悲惨な昭和の戦争を経験した怨念、平和憲法は日本の誇りです。平和は生きること、命をつなぐことの最低限の前提です。戦争に明け暮れた20世紀、世界は何を誤ったのか?正すべきです。
銃による殺人事件が頻発する米国で公共の場での銃の携行を制限したニューヨーク州法を連邦最高裁は違憲としました。常在戦場の日常、日本人にはありえない生活感覚です。武力で権勢を張り合う愚は止めましょう。
旧態の思想や倫理、宗教が現実に対応していないと断言します。改めるべきです。生命に関する科学は歴史と伴に飛躍的に発展し、人間と他の生命との境界は限りなく無くなりました。現代人は合理的な科学的知識は求めれば得る事が可能です。
断言します。フランス革命以後の-自由、平等、友愛-は時代遅れです。自由は抑圧と支配に苦しみ続けてきた人類にとって希望の概念でした。しかし、自由の密を知った人々は暴走します。自由には自己のエゴを含み正当化します。統一ロシア党のプーチン、トランプのアメリカファーストと自国第一を押し通すエゴの対立がまかり通っています。自由は愛と公平フェアネスによって統合されて初めて社会性を保ちます。
国連の目的は何より平和です。世界が確立すべき原則は
-平和、人権、平等- です。
その前提として人類が持つべき生存の原理は
-愛、自由、フェア(公平)-です。
愛と自由、フェアに生きる。これが古今東西から学ぶ人類の叡智です。その為に平和、人権、平等の原則が前提です。残念ながら人を愛し、自由を楽しむフェアな生き方は生まれながら備わってはいません。人は社会の中で失敗しながら愛することを学び成長します。自由を楽しむ心は自制心と知識が必要です。そして幼児期に愛情を受けて育まれる協調性も重要です。
私達の時代は四当五落の受験勉強、水分補給は競技が総て終わってから時代でした。社会人になってからも長時間労働が常識?人を愛し、自然と芸術を楽しむ余裕が無い心貧しい生活でした。
それは初めのボタンの掛け違いが大きく影響しています。私は学校の先生が嫌いでした。何故、あなたの指示に従わなければならない?親は子供に義務教育を受けさせなければならない。この一点で子供は学校に行かねばなりません。運動会のマスゲームが大嫌いでした。団体行動の一部品の自分を押し付けられる存在。子供で有っても一人の人間として尊重されるべき存在です。この人の指示に従う値打ちが有るか?相手の人間性判断と功利判断のせめぎ合いです。先生に人格を求めるのが間違っていました。一般の社会の人間模様と変わりありません。
近年になってリベラルアーツという言葉を知りました。大学での基礎教養ですが、人は何故学ぶのか?古代ギリシャローマを源流とした、既成の概念、慣習の束縛から自己を解放するための知識や変化に対応し、自由に生きるための力を身につけるためです。考えるより記憶の方が早いに決まっていますが、興味や関心が長期記憶に影響します。又、論理的に思考することも経験や訓練が必要です。そしてラビング・アーツも確立する必要があります。
好きこそものの上手なれ、必死に覚える必要性が有れば覚え込んでしまいます。努力は苦しむモノではありません。楽しむモノです。今を辛抱して勉強すれば、将来楽しい生活になる。ウソ、欺しです。両者では効率が全く違い勝負になりません。未来永劫いつになっても今を辛抱して生活する習慣と刹那の楽しみに甘んじる事になります。
政界で収入格差が教育格差を再生産すると宣伝する人気政党がありますが、ウソ、欺しです。教育格差が有っても収入格差の少ない社会を目指すべきです。収入格差を黙認して受験競争をあおり、負ければ収入格差に甘んじよ!人生で最も輝く青春時代を愚弄する考えです。成績が悪いのは勉強しなかっただけの話です。やる気が無ければ塾であれ予備校であれ時間の無駄使いです。現代は肩書き万能の時代ですがメッキは直ぐに剥がれ、実力が露見します。
ちなみに丸覚えは女性の方が相対的に得意です。男性が負けない為にはテスト以外の強い目標、動機付けが重要です。? ちなみに数学のテストは思考力のテストではありません。クロスワードように問題な叶った解き方を覚え方程式を当て填め計算する訓練です。
話を戻します。
結論を予め書きます。生命体としての存在論としてこれから明らかにしたい事は次のことです。
生命存在の
第一の定理は、生きること、命をつなぐこと Living and passing life on to the next.
第二の定理は、私が在る限り貴方は有り、貴方が在る限り私は有る
As far as I am,you are here. As far as you are,I am there.
略して AS FAR YOU`RE
生命体として加速度的に発達してきた文明文化、科学は先人からの遺産です。その蓄積の上に私達はいます。言葉で知識を紡ぎ伝え、思考の道具としてきました。その遺産を受け継ぎ、発展させ、次世代に引き継いでいる現在です。私が在る限り貴方は有る。過去の先人に対しても、未来の人々に対しても自己存在の証明です。貴方が在る限り、As far as you are.私は有ります。
第三の定理は たくましく、やさしさありて、たのもしい
愛と自由を求め誇りを持ってフェアに生きる
これの説明は長く未だ曖昧で後述します。司馬遼太郎の 21世紀に生きる君たちへ 参照して下さい。
ちなみに私の若い頃の愛読書は高校時代の荘子から初まり、伊藤整の鳴海仙吉、そして司馬遼太郎です。上記は下の娘が小5の時の国語の教科書に寄稿されました。
最近では三木清の老い、親鸞の性欲の苦悩
宗教的には釈迦の直弟子、汎神論的無神論者です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます