愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  自由・愛・公平
原則 人権・平等・平和
私が在る限り貴方は有り
貴方が在る限り私は有る

人間社会学原論(4)平和への目覚 The Arts Of Peace

2020年09月27日 | 人間社会学原論(4)平和
平和への目覚 The Arts Of Peace
更新2020/09/27


 日本が急速に劣化しています。日本会議、自民党のナショナリズム、安保と道徳教育によって
人は平和を望みます。しかし人類の歴史は平和のために戦争を繰り返してきました。恐怖であり、欲が平和の名をかりて正義の戦いとしてきました。経験として、戦争の悲劇を体感しない人間は戦争を厭わず、あたかも依存症の人間が様々な理由を上げて依存から脱却できないように、侵略、生存、自由、正義、経済など、平和の為として戦争を肯定し、或いは自国の内政のため外国を利用します。
 人類にとって平和は望んでも叶わない夢でしょうか?武力の均衡によってしか保たれないものでしょうか?平和の思想は今までも多くあります。
平和への目覚 The Arts Of Peace を提案します。
 人類は生まれながら平和を保てない。平和は人間が人間として成長し成熟して初めて平和を達成することができる ーフロムの”愛”と”平和”の置き換えです。

エーリッヒ・フロムは The Art Of Loving 翻訳題名「愛するということ」
人は生まれながら人を愛せない。愛は人間として成長し成熟して初めて愛することができる。愛においては二人が一人になり、しかも二人でありつづけるというパラドックスが起こる としました。
 愛については別稿で取り上げるとして、ここでは人を愛する事と人に愛されることは別問題であり、多くの場合、自らの欲求を満たすことが愛することと誤解しています。その人は、逆に愛されているから欲求の発散を許されることに気づかない事です。つまり、母親から無条件に愛された延長で自我の欲求が満たされる(人から愛され、或いは奪った)事を人を愛している。と言っています。
 人を愛するとは、その人の喜びを自らの喜びとすることです。人間として互いに自立し、経験し、成熟しないと愛することはできない、一方的な愛は自己中であり、依存、支配になると。

 又 人は教育、学びを通じて人格を成熟させます。人は何故学ぶか?
答えとしてリベラルアーツという言葉が古くからあります。私が知ったのは年をとってからですが、
Liberal Arts が人類の多年の学問的 芸術的 知的遺産によって野生児たる人間の無智からの解放、人として生きる術、自由を得るための学習です。
 人間を自由にする技 リベラルアーツ 現在の学校教育が知識偏重と国を愛する道徳教育が子供の人間の教育に言い筈がありません。先人が営々と築いて来た知識を人が学ぶ2つの方法があります。出来上がったシステム、カタチを習慣として繰り返して技を丸ごと覚える方法、言葉、物事の成り立ちを理解して覚える方法がありますが、促成的にカタチを覚える方が早いのが現実ですが、思考力と自制心を養うのは後者です。内省がなければ考える必要がありません。又、人間の尊厳や自由を考えられない。他人の尊厳を踏みにじっても、自由の名のもとに合理化する現代社会があります。

リベラルアーツとは“人間を自由にする技”、つまり人をより豊かにする学問です。豊かさとは何か。あるいは自由とは? 幸福とは?──東京工業大学リベラルアーツ研究教育院長 上田 紀行

 平和への覚醒 The Arts Of Peace は上記の愛と自由 Loving & Liberalの学習によって人類は戦争を回避できる技を身につけることが可能であり、深める必要があります。今や日本国内での戦争やヨーロッパEU内では起きないでしょう。The Arts Of Peace 平和への覚醒を発展させるべきです。
愛と自由の獲得は互いの尊厳を尊重し、平等、平和の3原則を守ることです。
 平和への努力と交渉、軍縮に勇気をもって取り組まない国民、及び指導者は人間として未成熟であり、成熟した国家国民とは言えない。自国の利益に執着し、武力と脅かしで持って自国の利益を獲得する手法は人間として恥ずべき行為です。
 互いに敵国として戦陣を構え、戦争をするつもりでしょうか?現実は相手の攻撃に備えているのが現実です。無論、過去には相手が攻撃したという謀略も戦端の始まりがあるのも現実です。それゆえの軍縮です。相互信頼を一歩一歩と積み重ね、軍縮指向、相互交流を進めなければ人類の幸福である愛と自由は得られません。

アインシュタイン Einstein’s Thoughts about Peace 板垣 良一Itagaki Ryoichi
               東海大学 総合教育センター 教授
 絶対的平和主義として
戦争の参加に一切拒否する。理由の如何を問わず一切の戦争に参加せず,また直接間接のいかなる支持も与えないこの国際運動は,この時代の最も希望に満ちた進歩の一つだと,私は信じます
確信ある平和主義者として
私がいささかも戦争の支持者になったという訳ではありません.反対にヨーロッパの民主的な国々の軍備は,この悪い時代に,平和主義の目的に近づく一方法であると,私は率直に見ています
第一の問題は相互の恐怖や不信を取り除くことである。 大量破壊の手段のみに関係しない暴力の厳粛な否定が必要なことは疑いがない。しかしながら、このような暴力の否定は。同時に、諸国家の安全への直接の関心の問題を決定するために、超国家的な司法体,行政体がつくられ,力をもつ場合にのみ効果的になりうる。
結局のところ、人々の間のあらゆる種類の平和協力は先ず,相互の信頼に基づき,二次的にのみ裁判所や警察のような制度に基づく、このことは個人のみならず諸国家に対しても成立する。そして信頼の基礎は忠誠と平和である.


人間は生まれながら平和を保てない。平和は人間が人間として成長し成熟し
人を愛することを学ぶことで平和を達成することができる

「愛するということ」フロム
未成熟な愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言い、成熟した愛は、「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」
一人の人をほんとうに愛するとは、すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである。

私はあなたを心から愛する あなたを苦しめないし私も苦しまない
 まぶたを閉じればあなたに会える 想えばあなたの記憶が目の前に再現する
 あなたの喜びは私の喜び 私の喜びはあなたの喜び
 二人は鳳凰となりて時空をも旅する
 私が有る限りあなたはあり、あなたが有る限り私はある

この発想は古くから日本人にありました。善の研究の西田幾太郎が子供を亡くした時など、永田和宏 JT生命誌研究館 館長が愛妻を亡くして詠んだ歌
 わたしは 死んではいけないわたしが 死ぬときあなたがほんとうに死ぬ
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