愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  自由・愛・公平
原則 人権・平等・平和
私が在る限り貴方は有り
貴方が在る限り私は有る

生命体としての存在論 6、宗教の設立宣言。生命の賛歌・生きる信念 自由と愛

2023年05月13日 | 生命体としての存在論
  As far I'm alive ,you're here. As far you're alive,I'm there. 
 未だに人類が戦争と飢餓、差別偏見に苦しむ中、おのが自由と富、権力支配に躍起になるバカバカらしさ、社会の良心を自負しながら、それを擁護する宗教家に怒りを持って決起します。数千年の経験、知恵の蓄積を持って、死後の世界という因習、迷宮魔界に落ち込むループからの解放を目指します。イエスが虐げられた人々に寄り添い、律法を片手に安住する宗教者に憤死する怒りを抱いた如く、現代に即応した宗教を作ります。宗教が今を生きる人々の救いならば、死後を問いません、現代の知識では単純明快な自明のことです。今を生きる者の賛歌です。
 自然科学、社会科学、人文科学など過去数千年に発達してきた知性、加速的に発展した自然科学の一方で因習に囚われた思想、宗教ギャップの弊害は対立を放置し、人類の滅亡の瀬戸際に向かわせています。さらに近年、科学的論理思考とは逆に、死後の不安と結びついたあの世、魂の不滅という新興宗教が興隆し、それを信仰することで優性意識が増幅し、偏った自信や差別意識を増幅させています。死後の世界という迷宮から脱出しても既存の体制と決別しない限り、今後も様々な虚構が産まれます。よって、現実世界を生きる賛美、信念の宗教の設立を目指します。何を信じるのか、
  私が在る限り貴方は有り、貴方が在る限り私は有る。
 人は人生の師として感銘を受け、感化されます。生まれてから経験し学びその時代の子その地の子として生き方を習い、知識を吸収し成長します。千年前に生まれればその時代に生きます。どうして今を生きている世界を憂えず、死後を憂う必要があるのでしょうか? 親しい人との離別、死別は生命体としての必然です、哀しみの中で死者は影響ある生者の頭の中に人格の移転、生者の頭の中に記憶を固定させると考えることが可能です。愛欲では無く、慈愛の心で縁を授受した分だけ生者の心に死者の人格が移転します。別れの後は話すことも相談することも出来ません。しかし、親しければ親しい程、愛していればいる程、彼は何を感じ想うか、何を言うかを瞬時に理解できます。そして想えば声や表情も脳裏に浮かびます。ある人の熱烈なファンは形態声帯模写だけで無く性格すらも変わる人がいます。貴方が信心しているならば今は無き先人の想いを受け継いでいると言えます。
 お遍路の同行二人はすばらしい発想です。逝った人と二人で行くもよし、新しい伴侶と行くもよし、バリエーションは様々です。愛する人を深く愛し、信じる覚悟があれば想像するだけでも死もまた楽しです。諸行無常、諸法無我を覚悟すれば一切皆楽です。
 それでも自分の死後が不安?安心して下さい、多くの先人が亡くなり良い世界を創っています。生の世界は生きている者が、死の世界は死んだ者同士が近くにいます。
 私達はなにか世の役に立つことで自活しています。貴方の想い行いが若き次世代に伝わります。あるいは集団形成の一人として社会があります。何よりも貴方が信奉している教祖の想いを貴方は受け継いでいるではないですか。冷静に現実を直視して下さい。過去に生きていた人を信じ、今あなたが信じている、次世代の人も同じように信じるかも知れません。文明の歴史です。死後の世界は誰もが証明できない大いなる虚構です。現実から目を反らし覆い隠す虚構です。
 As far as I am, you are here. 先人の心は今を生きる私が引き受ける
 私が在る限り貴方は有り、貴方が在る限り私は有る。 独り寂しいなら我が愛を
 As far as you are, I am there. 永遠の生命と想いを次の世代につなげる命の賛歌。
 苦しみと哀しみの中にあっても、少しでもよくする希望をみいだせば、労苦も幸せに変化します。私は現代の哀しみを受け止める。加持祈祷にすがるべからず。ダジャレ験担ぎの遊びとパフォーマンスは切り捨て御免です。八方ふさがりでも何かがあります。

 恐竜が生きていた中世代2億3000万年前から滅亡の6600万年前にやっと哺乳類が誕生し、人類の祖先が誕生したのは20万年前です。徐々に知能が発達し、言葉の発展と時間や自他の分別によって前頭葉で意識意欲を持つようになり、知能も飛躍的に発達しました。
 人権、平等、平和が人類に担保されることが幸福への前提です。幸福とは自由と愛に生きることです。ちなみに人権という普遍的な権利が誕生したのはたった250年前の18世紀後半のバージニア権利章典、アメリカ独立の時代、自由の女神のときです。
 自由は人の生存欲求であり欲望、エゴです。人を愛することも欲望でありエゴです。しかし、愛は他者の人権、平等、生存を認める知性の働きとして前頭葉で自制して愛することも可能です、慈愛:いつくしみ育てる心です。人権意識が誕生した今日では人は成長の中で失敗を重ね、経験を重ねることで人を愛する節度、接し方を学びます。孤独な一人の人生を共に歩む相手を得ることも生存競争の一つです。結婚形態が ワンオンワンで有る限りは失恋は必然です。

 有性動物として群生生活をする人類にとって、他者と共存し社会生活する中で喜びを感じます。成長の中で集団の中の自己の存在に意義を問います。選択の余地の無い固定された社会では共同体の規範、長に習い従うことが自己存在の意義になります。親に従い、親を大切にすると言う儒教の倫理道徳です。拒否はドロップアウトしかなく、当時の肉体労働はスポーツでのランナーズハイと同じ脳内麻薬による幸福感と過労死を招く過酷な労働でした。
 しかし、社会が多様化し個人の人権意識が芽生えた中では幼児に対しても人格を尊重する必要があります。今や上意下達が組織ガバナンスである時代は過ぎ去りました。ハラスメントに注意、複雑化した社会の中で自己に自信を持てば増上慢となり、逆に自信を失い疲労が重なりうつ病になる現代です。人との接し方を訓練し、学ぶ必要が重視される時代です。人間関係の拒否は昔と同様にドロップアウトですが、ニートするよりも農業や漁業など自然と付き合い、或いは芸術系を職業にする選択肢もあります。
 因習に囚われることない知識、生きるための力を身につけるためのリベラルアーツの考え方はリベラル&ラビィングアーツの学習になります。
 人を愛し愛される、自分の想いのままに生きる世界の実現はなかなか大変です。カースト制度の最下層出身でアウトカーストの父と言われるアーンベードカルはインドにおける仏教復興運動を行いました。彼が仏教に見出したのは 理性、慈悲、平等でした。名言として残されているのは  I like the religion that teaches liberty, equality and fraternity. 私は自由、平等、友愛を教える宗教を好む 日本でも鳩山由紀夫氏が友愛を訴え、友愛とは自分の自由と自分の人格の尊厳を尊重すると同時に、他人の自由と他人の人格を尊重する。
 しかし、私はそこに時代の限界があることを知りました。
 自由と愛は並立するも拮抗する概念であることです。そしてその間に平等を置いています。平等を確立する社会の概念は人権、平等、平和です。そして、自由と多くの愛は自己生存の欲望でエゴとして並立しています、仏教での愛欲です。自由と拮抗する愛とは宗教的に昇華された愛や慈悲です。人間的には愛す人の喜びを自分の喜びとする愛です。動物的には自分の分身として子供を守り育てる母親の行動があります、それは愛欲でありながら命をつなぐ生命としての必須の生存の行動です、オスには同様に群を守る生存の行動があります。しかし、戦いに明け暮れた人類は共存こそが唯一の解決策として、人権、平等、平和の概念を確立しました。自由・平等・友愛では自由だけが勝ってしまい人権、平等、平和がないがしろにされます。
 我に自由と愛を与えたまえ、それを国家が保証する権利として国民主権、基本的人権、平和があります。独りよがりに自由を求めれば、他者の自由と愛を奪い、愛を得ることができません。自由と愛の世界を与えたまえ。 

 戦後の平和憲法下で生まれ育ち、宗教は科学的合理性の中で薫陶を受けた私にとって、安倍政権下での教育改革に違和感を持っています。真理と伝統の多用です。科学を愛し希求するので無ければ、真理はすでにあるあいまいな概念の押し付けでしかありません。科学は日進月歩で進化します。戦後のスポーツでは終わりまで水分補給しないのが真理でした。体を冷やすなど外道の話でした。
私は宗教改革を進めます。人生を信じる宗教、自由と愛、人権・平等・平和、生命賛歌の宗教です。As far you're.
 もっとも親近感を感じるのは親鸞です。彼は男としての性に苦しみ、仏教の戒律を守らなくともよしとする即仏の教えを実践しました。他力本願、自力本願の問題では無く、人間の本性を抑圧から解放する、人間性解放の問題です。
 八代目の蓮如は本願寺中興の祖として教団を大きくすると共に、4人の妻とは死別し5人目の妻とは73才から7人の子、末子の3子は80代になってから合計27人の子供をもうけ85才で亡くなりました。wiki情報
 人間性解放、平等、女性差別の撤廃が今日の課題です、女性の性の解放が男女同権の要諦です。それには男女ともに性欲があることを認めることです。永らく文化的社会的に抑えられてきた女性は子供の成長にだけ夢を託す歪な構造がありました。子作りの性、子育ての性からの解放です。それが少子化の最大の原因である結婚率の低下を防ぐ方策です。夫婦は共同生活を営む最小の単位です。社会的経済的に人工的に流産させられる胎児が10万と言われています。正規出産が80万人を切った日本では明るい未来?政治的に成人年齢が18才になりましたが、経済的には成人する年齢が高学歴化と社会の多様化によって遅くなり、それに伴って結婚年齢が高齢化しています。私の半世紀前の高校大学を振り返っても悲惨でした。成人年齢を18才とする国ならば、成人としての覚悟を促し、少なくとも高校時代から恋愛訓練を重ね、結婚も順次可能になる経済基盤を保証するべきです。それが異次元の少子化対策です。
本論からかなりズレましたが宗教改革は因習に囚われた虚構からの科学的論理思考の普及です。信じる事、信念は宗教になります。
    私が在る限り貴方は有り、貴方が在る限り私は有る
As far I'm alive ,you're here. As far you're alive,I'm there.
 この信念に既存の宗教団体ではかなり近い団体もあれば、全く受け容れられない団体も有るでしょう、私は争いを好みません。宗教2世問題等を抱える存立危機の団体ならば、より研鑽されることを望みます。平和を第一にしながら軍拡を推進する団体は自戒すべきです。宗教団体の設立を模索します。ご指導ご鞭撻、ご協力の程、宜しくお願い致します。

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