話は変わりますが

ギターやゴルフを趣味にのんびり暮らしています。ド田舎でのなんてことない日々を綴っています。

No,275『感性』

2014年03月25日 | 思想・雑感
アクセス頂きありがとうございます。

引越してから、テレビの無い生活が続いてます。

意外といける。

僕はテレビが人一倍好きだと自覚していたので、テレビ無しは相当なストレスだろうと予想していたが。

光回線の工事をしてもらったら、またテレビのある生活に戻ります。

テレビって、あるから観るだけなのかなぁ。

前職の同僚が、仕事帰りの電車の中で呟いてたことをふと思い出しました。

『人間は一体どこまで行くつもりなんでしょうね。テレビもパソコンも携帯もぜーんぶ世の中から一回無くしてもーたらええと思いますわぁ…』

その時は、病んでるのかしら?ぐらいに聞いてましたが、今は何となく彼の気持ちも分からんでもない。

情報が多過ぎるのは、便利であり、窮屈でもある。

錯覚が生まれるキッカケが幾千とある。

人は図や、数値や難しい単位を使って物事を語られると、それが真実だと決め付けてしまうらしい。
しかも、縁もゆかりも無い、赤の他人に説明されて。

今のメディアってほぼそれだ。

『一般成人男性の実に5人に1人は○○が不足しているらしい』

と、テレビの向こうから聞こえて来ようが、病院の待合室で隣に座ってたおっさんが喋ってるのが漏れて来ようが、
無条件で『真実』として捉えている気がする。

自分で見て聞いて触って感じるより、他人のレポートを頼りにする。

そんな生活をすると、当然感性は乏しくなる。

昔の人は、どんな感性だったろう。
例えば枕草子では、『雁が連なって飛んで行るのが小さく見える。その様は実に風情がある』と書かれている。

いとをかし。

僕は最近何に趣を感じただろうか。

背筋がゾクゾクっとする様な何か。
それは感動とも言えるのだろうけど、芸術やスポーツの隣にそれらは多くある気がする。

自分も音楽に携わっている以上、聴いて下さってる人や、共演して頂いている人に趣を感じてもらえる演奏がしたいなぁ…

話は変わりますが、


東京に転勤された元上司からこんな粋な贈り物が。

ありがとうございます。

いっぱい曲作ります。

終わり。