どこでも仙台は見飽きない町だ。
一人暮らしをエンジョイしていたが・・・・。
孤独のままでいたらよかったものをなまじっか、家族の明るさをあじわった為に
2倍、3倍の孤独が押し寄せてきている。どうしょうもなく後悔する。
最近、家族と生活の貧しさを感じさせられたむなしい事件。
事件1 息子と母
ボストンバッグから成人女性の遺体 横浜・港南の団地
まだこういう事件が起きるのか悲しくなる。息子は土木作業員を
していたそうだが、母親も生きているとき悲しい思いをしていたのかな。
誰だって 母一人、息子一人の生活を想像する。虚しいよね。
事件2
震災後姉を山中に置いてきぼりにした男、無知であり、残された
姉を思うとやるせなく、悲しい。
どんなことが起きても何とかなる、死にゃせんが信条でいたけどね。今はね?
あったかい家庭 これ理想ではあるけれど一生はない。
環境は日々変わるから。
芭蕉は人生は旅という生き方と認識している。(「月日は百代の過客にして・・・」)と。
自然に接している時が一番気持色が豊富になる。
秋保は何度行っても発見がある。
露天風呂に入る
芋煮会?
ここは東北大片平キャンパス内放送大学の校舎のそばです。
特筆すべきはこの正面木の後ろに見える古い古い建物、よく東日本大震災で壊れ
ず残ったものと感動しました。
この2階に『阿Q正伝』の文豪魯迅が1904年(明治37)秋下宿していた建物です。
あの徹底した反日教育した江沢民も大学内の魯迅が学んだ階段教室を訪問
している。
寂しさに宿を立ち出でてながむればいづこも同じ秋の夕暮れ (良暹法師)
山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり (春道列樹)
日本人は秋には情緒的になりますがこの句は心を癒してくれます。