福島浪江町の友人
とあの当時 大学のサークルで「原文で奥の細道」でともに学んでいた。
彼女は浪江町から仙台へ避難して住んでいた。許可の出た日は浪江の家へ状態を
見に帰っていた。
「家には猪が走っていた。」「私もう仙台に住む」当時深く考えもせず「もう仙台でくらせば」といった。心は違っていただろうに。
そして年月が過ぎた。良くなった浪江でいるのかな。
あの時避難した公共施設でテレビに映った原発の映像にもうこれで駄目だな
と観念した。
月日は過ぎても災害への怖さはすみついている。
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