なんか3月は長かった。
テレビ見ていつになったらと、思う。
なんかどうにもならない現状。こんな理不尽な戦争。
新義真言宗常徳院 市原市山木
ご本尊の不動明王立像が御安置
境内には観世音菩薩堂、出羽三山記念碑、白旗大明神があり、観世音菩薩堂に市原市指定有形文化財の木道聖観音普賢坐像が安置されていて本草は鎌倉地方を中心とした宗風様式の作風を受け継いでいて南北朝時代の作品とされ文化史上大切な作品だとのことです。
もう見ることは無理と思って知らない道を行く途中南無遍照金剛の石碑がふと目に入り横を向くと石段、まさかと。そしてやった!見つけた!と嬉しかった。山木の知らない道を歩く事4回目、土地の人に聞いても誰も知らない。関心がないのだね。でもこんな貴重なのに。
墓地もなく素朴で近隣の昔から行事のための集い場所なのか静か、しばらく座って鳥と会話。
山木のこの辺りはは新しい住宅地ではないので昔からの大きな屋敷が多く郷愁を誘う。
辰巳を超えて歩くのがちょいと大変。今日も22,000歩。帰りはさすがに労災までバスに乗る。
でもまた来るよ。
途中大邁で
大邁の釣り堀 いつも人が多い
日の経つのが早い
でも今まだ1万以上の人々が見つからない この現代に。
今のソの人も人間の命をなんて考えているのか
でも自己の命は失うのが惜しいんだろな。亡くなった祖母が昔満州にいてて敗戦の折
引き上げの際ソ連兵に見つかるのが一番怖かったと言っていた。そういう国民性。
私は震災の備えての備品は経験上、備えている。instant食品、水は15箱。携帯トイレ
電池大量、一人ひとり懐中電池、充電器、枕元に置いている、あの日逃げるとき何が一
番温かい上着かと考えた。
靴。書類常用薬品一応リュックに入れて枕元。
ミニプロパン。あの時ガスがプロパンの家庭の人は総菜をスーパーで買っていた。
いいなと思った。食料品も一応。馬鹿かと思うだろうけどなってみないとわからない。
今日も2万歩のぶらぶら歩きです
「無名の古墳」を探し歩いたが駄目だった。
とはいえこれが最大のボケっとタイムだ。
最近テレビを見たくない。目を外したくなる。ネットフリックスに変えてももうマンネリ。悲しいね。