『世の中に絶えて桜の無かりせば春の心は長閑けからまし
散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世に何か久しかるべき
『伊勢物語』第八十二段
番場から道を進んで永吉地区に入る。ここは私にはちょっと一味違うところだ。
永吉地区は里山だと友達は言うが私は違う。なぜか心が落ち着く場所。
大げさに言えば母の胎内に戻ったかの如く安堵感に包まれる。
居るべきところに帰ったような気持ちになる。大好きな地域だ。
家々が手入れされていて地域全体が清潔感がある。
そしてここにも遺跡がある。
永吉鬼子母神遺跡 永吉花ノ台遺跡 永吉金原遺跡 永吉松ノ木台遺跡だ。
江戸期は永吉村と言われていたそうだ。志藤七ヶ郷のひとつである。
興味深い資料によると、935年ごろ平将門は朝廷に反乱を起こし、奈良の大仏のある方向に、
自らの都を構えたところが、永吉にある浜野ゴルフの西、吉野谷バス停付近だということで、
この付近には「将門道」「将門井戸」「古銅観音」「舞台谷」などの名が残っているそうだ。
ぜひ探していきたい。
私は、崇徳天皇と平将門に前から興味があり、墓地に何回も行っている。
瀬又は桜と鯉のぼりが有名だが、ここも興味ある土地だ。
瀬又には「貝層」と呼ばれている新生第4期の化石が多く産出されていて
市原市瀬又から高倉にかけての村田川流域は「瀬又の貝層」と呼ばれる
地学的に貴重な化石産地である。
面白い。
何時に時代か? まだ貼っている!
立派な御宅
藁壁?