これからも毎年3月11日は死ぬまで忘れられません。
ただただ「怖いよ、怖いよ」とテーブルの下で「まだ、まだ」と揺れる
家で一人どうなるのかの不安に必死に耐えていた。
携帯にかかる子供からの電話も充電がままならず「大丈夫」としか
言えなかった。「避難所へ行くからと」と安心させた。そしてひと月
近く風呂も入れず、ベビーバスを利用してしのいだ。
この日から一人暮らしの不安さを痛感し、近所の人々との交流が
一番大切なことだと心から思い、集会や寄合を避けず、進んで参
加した。遠くの友達よりもいざとなったら近所の人たちだ。
家をなくした娘。
そして今私たちは東北を離れた。
しかし、今住んでいるこの地域にはあまりにも危機、防災感覚の
希薄な人々が多い。
当然ありうる「防災マニュアル」も決めてない。
決して他人ごとではなく今の日本ではどこでも起り得る。
せめて地盤の固いところ、水の流れに遠いところ。私たちの最低
条件として住まいを求めた。
しかしこの日は落ち込む。故郷はない。今住むところが故郷。
テレビでは「美談」的に演出している局もあるが実際は復興に
ほど遠い。
マニュアルを作り部屋に置いている。