あふさきるさの日常

旅の画像やらいろいろ

市原市潤井戸のまち

2017年05月28日 | 日記

潤井戸には景観建造物
がありゆっくり見たいが、狭い道路には大型ダンプ車が
バンバン通リ落ち着いた雰囲気で町を探索できない。
それを思うともう一度建物を見たいという気持ちが無くなる。

 参考文献:「市原郡誌」復刻版 千秋社 1989年発行『地名のルーツ』によると

現在の潤井戸地区の南部、帝京平成大学の敷地近くに

水神谷という字名が残っています。かつてここにこんこんと湧き出る澄んだ泉があり、

その水は四方の田畑と人々を潤して、どんなにひどい日照り旱魃の時にも枯れるこ

とがなかったといいます。この泉にちなんで「潤井戸」という地名が生まれました。

水神を祀ったほこらは朽ちてなくなってしまいましたが、明治に入って泉のほとりに

碑が立てられました。碑文に「源泉湧混々。南山碍崕谷間。玄冥布作厥徳。

隻渠流不殫。永潤潤井戸。民生頼以安。」
とあります。

と書かれている。 興味深い。

市津町とは、千葉県市原郡にかつて存在した町である。

昭和30年 湿津村と市東村が合併して市津村が発足。
昭和36年 市津村が市津町となる。
昭和38年 市原町、五井町、姉崎町、三和町、市津町が合併市原市が発足。
        市津町の一部(板倉)が山武町土気町(現千葉市緑区)に編入。
昭和38年 
市原郡市津町 市原市新設のため消失。
昭和42年 南総町、加茂村が市原市に編入、同日市原郡消失。

合併後

市津地区として潤井戸、久々津、潤井戸工業団地、潤井戸団地、潤井戸
みどり台など存在する。

これらの資料は面白い。

 

これも景観建造物

 

 

 

市津郵便局

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市原市ちはら台潤井戸 白旗神社

2017年05月23日 | 日記

白旗神社

志津郵便局の傍にある。

神社の前の深く情緒を感じさせる御宅

市原市景観建造物の山本邸では。ならば明治37年ごろの建設とのこと。

何ともモダンで素敵な御宅

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市原市永吉地区

2017年05月22日 | 日記

桔梗不咲伝説のある永吉地区 風景

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市原ちはら台永吉平野神社

2017年05月03日 | 日記

平野神社

永吉には将門にまつわるもう一つのお話が伝わっている。

愛妾桔梗の前は、藤原秀郷の妹で、この兄に密告して将門は滅び、
桔梗の前はここ永吉に逃げて自刃し、その墓は今浜野ゴルフ場の中だったの
だが壊されて、この神社に村人が塚を作り「桔梗の前墳墓」として葬ったという
ことだ。でこの地には桔梗不咲伝説がある。

江戸期は永吉村と言われた。

面白い資料 

 昭和七年十二月  日に 姉﨑尋常高等小學校國史科研究部

桔梗前墳墓               市東村
市東村の永吉區に桔梗前墳墓と稱する古塚があります
桔梗の前とは將門の愛妾の名まへです。
それは或る時の戦でした。何時も強い將門も其の日の戰は非常に激しかつたと
見へ將門戦死の報が桔梗の前に注進されました。貞節な桔梗の前は比の注進に
接しますと、敵に捕へられて縄目の恥辱を見んよりはと、夫將門に殉じ自刃し
て果てたのです。
時は初秋の郊桔梗の花があたり一面紫色の美くしくも、やさしい姿を見せてゐました。
今や正に自刃せんとする桔梗の前は美くしい口唇を開いて申しました。
  野に咲ける花よ、汝と我とは同じ桔梗ぞ、然るに我は
  今此所にて果てむとす。汝等は誰が為に花をば開く、
  希くは我が後生を弔はむ為、秋來る共花をば開かせな。
と事實附近の桔梗は花を開かないのです。里人は笑はぬ桔梗と申してゐます。

http://www.ne.jp/asahi/anesaki/ichihara/siryou/kyoudosi/kyoudosi.htm#dai3_2 
                       

本当に永吉地区は風情がある。

半鐘がある。驚いた!

桔梗前墳墓

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