よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

第三章 有効需要の原理 筆者訳の解説 ①

2023年06月26日 | 一般理論を読む
第三章 有効需要の原理 第二節 筆者訳

雇用が増えると実質総所得も増える。実質総所得が増えれば総消費も増えるが、所得が増えたほどには増えない。これは我々の社会の心理である。だから増大した雇用を消費需要の増大を満たすために全部振り向けるとすると使用者は損失を被ることになる(*1)。ある雇用量のもとで社会の消費量を超えた分を吸収するだけの十分な投資がなければ雇用量は維持できない。この投資量がなければ使用者が今の雇用量を維持できるだけの売り上げを確保できない。消費性向が決まれば、均衡雇用水準(使用者が雇用量を拡大も縮小しようとしない水準)は当期の投資量にかかっている。当期の投資量は投資誘因にかかっている。後に詳述するが、投資誘因は資本の限界効率表と様々な満期とリスクをともなう貸付金利の複合体の関係(*2)にかかっている。




 
*1
左図:X軸は雇用量、Y軸はそれに対応した所得を表す。個人も社会も所得が上がるほど所得から消費に回す割合(消費性向)は減る。これは一般理論の前提である。この前提が崩れれば一般理論は成立しないが、今まで誰も崩せなかった。
右図:貯蓄が全て投資に回るような社会では所得①が実現できる。しかし投資が少なければ所得①より小さな所得②しか実現できない。所得①をめざして雇用量を増やすと≪所得①―所得②≫が損失となる。

*2
投資量は資本の限界効率と利子率で決まる。資本の限界効率とは聞きなれない用語だ。投下資本がある期間にいくら利潤を稼ぐかという期待値のことである。資本設備が巨大になるほど投下資本額は巨大になり回収に時間がかかる。その期待値と利子率のかねあいで投資額が決まる、と言っている。貯蓄が全て投資に回るという保証は経済体系のどこにも組み込まれていない。

限界とは:このグラフで言えばXの値が1単位増えたときのYの値を指す。⊿Xに対する⊿消費が限界消費。それを⊿Yで割ったものが限界消費性向だ。

限界消費性向低下の原因は二つある。①社会が豊かになるとともに消費性向は減っていく。②所得格差が広がって行けば消費性向はさらに減る。所得格差は経済成長を鈍化させ、資本の限界効率に対する長期期待を減衰させる。


こうして消費性向と新規投資の割合(訳注:所得の増加分から投資に向けられる割合)から唯一の均衡雇用水準が導き出される。なぜなら他の水準では産出量の総供給価格と総需要価格が一致しないからだ。この水準は完全雇用量を超えることはできない。すなわち実質賃金は労働の限界不効用よりも小さくなることはありえないということである(*3)。しかし原理的に均衡雇用水準が完全雇用に一致すると期待する理由はない。完全雇用を伴う有効需要というのは特別な場合で、消費性向と投資誘因が互いに特別な関係を持つ場合にのみ実現できるからだ。古典派理論の仮定に関連するこの特別な関係は、ある意味では最適な関係である。しかしそれは次のような場合にのみ存在しうる。偶然であろうと計画的であろうと、当期の投資需要が完全雇用時に社会が消費しようとする量を超える産出量の総供給価格と一致する場合だ(*4)。

*3
均衡雇用水準(使用者が雇用量を拡大も縮小しようとしない水準)は完全雇用水準に達しない。貯蓄=投資という所得①の水準が続けば、いつかは完全雇用が達成されるだろうがその前に均衡雇用水準に達してしまう。これは限界消費性向の低下から起きる事態である。
完全雇用水準に達していない以上、実質賃金は労働の限界不効用を上回っている。これは古典派の論理をそのまま援用したものである。不完全雇用なのだから、まだ労働を提供しようとする労働者はおり、賃金が古典派の想定する失業の原因(実質賃金が労働の限界不効用を下回る)ではないと言っているだけ。実質賃金が労働の限界不効用を下回れば労働者は労働を提供しようとしない、というのが古典派の雇用理論。ゆえに非自発的失業は存在しえない。
*4
貯蓄=投資という特別な場合だけ完全雇用は達成される。ここで注目したいのは「偶然であろうと計画的であろうと」というフレーズだ。世界恐慌の真っ只中でのソ連の第一次五カ年計画のことが念頭にあるのは明らかである。一般理論を著した動機でもある。

  「実質総所得が増えれば総消費も増えるが、所得が増えたほどには増えない。これは我々の社会の心理である。」これを限界消費性向低下の法則と名付けよう。一般理論の鍵となる法則だ。

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