よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

00:ケインズを読む;一般理論 序文冒頭部分

2021年08月18日 | 一般理論を読む
雇用・利子および貨幣の一般理論 の序文を紹介する。筆者訳である。

なぜ今になって序文を紹介するのか。
①最初に紹介すると、誰も読まなくなる?から。
②本書の性格を雄弁に語るから
である。

ケインズは、古典派理論はその枠内では正しいが、そもそも前提が大間違いだと言う。しかも古典派はその理論の前提を明らかにしていない。

一部修正では済まない、根本的な変革を求めている。
そして変革の暁には経済理論はその影響力を取り戻すだろう、と。

序文
 本書は主として我が仲間である経済学者諸氏に向けて書かれている。私は経済学者以外の諸氏にも理解されることを希望する。
 しかし、本書の主たる目的は理論上の困難な問題を扱うことであって、この理論を実践に移すことは、ただ副次的に扱われるに過ぎない。正統派経済学の間違いは、注意深く構築された論理的一貫性をもつ上部構造ではなく、理論の前提が明確さも一般性も持っていないことである。
 だから、高度に抽象的な議論と大いに論争を巻き起こすこと以外に経済学者たちに基本的な仮定を批判的に再検討するよう説得することはできない。大論争はしないで済ますことができるならそれに越したことはない。しかし私はそれを重要なことだと考えてきた。
 論争は私の観点を説明するばかりではなく、一般理論が主流派の理論からいかなる点で分離しているかをも示すものでもある。私が、本書で古典派理論と呼んでいる理論に強く執着している人々は、私の理論は全くの誤りだという信念と、この理論には何の新味もないという信念の間を揺れ動くだろう。そのどちらが正しいのか、あるいは三番目の選択肢があるのかを決めるのは第三者である。論争的な一節はその答えのための素材を提供することを目指している。そして、もし区別を鮮明にするためとしても、論争それ自身が激烈すぎるとしたら許しを請わなければならない。私自身、長年にわたって今私が攻撃している理論に確信を持ってきたし、その強みを無視しているわけでもない。

 論点の重大性は誇張し過ぎることはない。しかし、もし私の説明が正しければ、私が最初に説得しなければならないのは我が仲間である経済学者であって一般の人々ではない。議論のこの段階では、討論への参加は大歓迎だが、経済学者の間の深刻な意見の対立に決着を付けようとするある経済学者の試みの聞き役でいてもらわなければならない。この対立のおかげで現代では経済学理論の現実への影響力はほとんど破壊されており、対立が解消しない限り経済学理論は今後も影響力を行使しえないだろう。

 要は、一般理論が勝利しない限り経済学の理論は実効性を持ち得ないだろう、と「不遜」なことを言っているのだ。

 その背景には、扉写真で掲げたような「大恐慌」の悲惨さがある。

 現代において当時よりも経済理論の混乱は増しているようである。しかも一般理論は取り上げられもしていない。これでは混乱は永遠に終わることはない。

というのは経済学や政治哲学の分野では25歳から30歳を過ぎた後では新しい理論を受け入れるのは難しいからである。

とケインズは書いていた。ケインズ反革命から40年、現役の経済学者の大半はケインズ反革命の使徒なのである。

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