今の段階では分かりやすいとは言えなくても、次章以降で展開される雇用理論をここで簡潔に要約しておくことは読者の助けとなるだろう。用語は後に厳密に定義するつもりである。この要約では貨幣賃金や他の要素費用は雇用された労働一単位当たり不変としておく。この単純化された前提は分かりやすさを考えてのもので後ほど外すことになる。が、貨幣賃金や他の要素費用が変化しようとしまいと、議論の根本的性格にとっては同じことである。
一般理論の概略は以下のようなものだ。
雇用が増えると実質総所得も増える。実質総所得が増えれば総消費も増えるが、所得が増えたほどには増えない。これは我々の社会の心理である。だから増大した雇用を消費需要の増大を満たすために全部振り向けるとすると使用者は損失を被ることになる。ある雇用量のもとで社会の消費量を超えた分を吸収するだけの十分な投資がなければ雇用量は維持できない。この投資量がなければ使用者が今の雇用量を維持できるだけの売り上げを確保できない。消費性向が決まれば、均衡雇用水準(使用者が雇用量を拡大も縮小しようとしない水準)は当期の投資量にかかっている。当期の投資量は投資誘因にかかっている。後に詳述するが、投資誘因は資本の限界効率表と様々な満期とリスクをともなう貸付金利の複合体の関係にかかっている。
こうして消費性向と新規投資の割合(訳注:総所得から投資に向けられる割合)から唯一の均衡雇用水準が導き出される。なぜなら他の水準では産出量の総供給価格と総需要価格が一致しないからだ。この水準は完全雇用量を超えることはできない。すなわち実質賃金は労働の限界不効用よりも小さくなることはありえないということである。しかし原理的に均衡雇用水準が完全雇用に一致すると期待する理由はない。完全雇用を伴う有効需要というのは特別な場合で、消費性向と投資誘因が互いに特別な関係を持つ場合にのみ実現できるからだ。古典派理論の仮定に関連するこの特別な関係はある意味では最適な関係である。しかしそれは次のような場合にのみ存在しうる。偶然であろうと計画的であろうと、当期の投資需要が完全雇用時に社会が消費しようとする量を超える産出量の総供給価格と一致する場合だ。
この理論は次の命題に要約できる。
- 技術、資源、費用が一定のとき、名目所得も実質所得も雇用量Nによって決定される。
- 社会の所得と、そこから消費に回されると期待できる額(D1)の関係は社会の心理的特性によって決まる。これを消費性向と呼ぶ。消費性向に変化がない限り、消費は総所得水準によって、すなわち雇用量Nの水準によって決定される。
- 企業者が雇用しようとする雇用量Nは、社会が消費に回すと期待される額(D1)と新規投資に回されると期待される額(D2)の二つの量の和(D)によって決定される。
- ゆえにD1 + D2 = D = φ(N)となりDは雇用量Nの関数として表すことができ、これは総供給関数となる。(2)で見たようにD1は消費性向によって決定される雇用量Nの関数だからχ(N)と表すことができる。するとD2はφ(N) − χ(N) = D2となる。
- したがって均衡雇用量は①総供給関数(訳注:の形)、②消費性向、③投資額D2によって決定される。これが一般理論の核心だ。
- あらゆる雇用量Nに対して賃金材産業の限界生産性が存在し、これが実質賃金を決定する。ゆえに(5)の命題は以下の条件に服する。雇用量は実質賃金を労働の不効用と等しくなるまで下げるような値を超えることはできない。これはDの全ての変化が貨幣賃金一定という仮定と両立するわけではないことを意味する。我々の理論を完全に叙述するにはこの仮定を破棄することが根本的な問題となる。
- 古典派理論ではあらゆるNに対してD = φ(N)が成立するのだから、Nが最大値を超えない限りあらゆる値のNに対して中立均衡状態が成立する。だから企業者同士の競争は雇用量をその最大限まで押し上げるだろう。古典派理論においては、この時点においてのみ安定均衡状態が成立する。
- 雇用が増えればD1も増えるがDほどには増えない。というのは所得が増えれば消費も増えることは増えるだろうが所得が増えたようには増えないからだ。現実の問題を解くカギはこの心理法則になる。ここから導かれることは、雇用量が増えるほどその雇用量に対応した産出量の総供給価格(Z)と企業者が消費者の支出として戻って来ると期待できる総額(D1)とのギャップがますます大きくなるだろうということだ。かくして消費性向に変化がないとしたら同時にD2がZとD1の増大するギャップを埋めるだけ増えない限り雇用量は増えることはできない。雇用が増えたときはいつでもD2が拡大するZとD1のギャップを埋めるだけ十分に増えるという何らかの力が働いているという古典派理論の特殊な仮定を前提にしない限り、経済体系は完全雇用に至る前に雇用量Nの安定均衡点を見いだす。すなわち総需要関数と総供給関数の交点によってもたらされる雇用水準である。
ある実質賃金の下で使用可能な労働供給が雇用の最大値を示しているような場合を除いて、雇用量は実質賃金で測った労働の限界不効用で決定されるわけではない。消費性向と新規投資割合の双方が雇用量とその雇用量と一対一に結びついた実質賃金を決めており他の回路は存在しない。消費性向と新規投資率が低く有効需要が不足した場合には、現実の実質賃金のもとで利用可能な労働供給を実際の雇用水準は下回ってしまうだろう。そして均衡実質賃金は均衡雇用水準の限界不効用を上回るだろう。
この分析は飽食の真っ只中での貧困というパラドックスに説明を与える。単に有効需要が不足しているというだけのことで、完全雇用に達する以前に雇用の増加は停止するだろうし、大概そうなってしまう。有効需要の不足は、労働の限界生産物が労働の限界不効用を上回っているにもかかわらず生産の進行を抑制するだろう。
それに加えて、社会が豊かになるほど、現実の生産と潜在的生産能力とのギャップはますます大きくなるだろう。その結果、経済システムの欠陥は、ますます露わにますます耐え難いものとなっている。貧しい社会は産出量の大部分を消費する傾向にあるから、ほんのささやかな投資でも完全雇用達成には充分であろう。ところが豊かな社会では、富裕層の貯蓄性向と貧困層の雇用を両立させようとするなら貧しい社会より膨大な投資機会を見つけなければならないことになる。潜在的には豊かな社会であっても投資誘因が弱ければ、潜在的豊かさにもかかわらず、有効需要の原理の作用によって現実の産出量を押し下げるであろう。潜在的な豊かさにもかかわらず消費を上回る余剰は弱い投資誘因に見あうまで減少してしまう。
より悪いことがある。豊かな社会では限界消費性向が弱いばかりではなく、既に巨大な資本蓄積が進んでいる。利子率が十分に急速に下がらない限り更なる投資機会は魅力的なものとはならない。利子率理論と利子率がなぜ適切な水準まで自動的に下がらない理由を考察することになるがこれについては第4編で扱うことになる。
消費性向と資本の限界効率の分析と利子率理論は、我々の現在の知識に存在する三つの主要な隙間であり、その隙間を閉ざす必要がある。これが成し遂げられれば、物価の問題は我々の一般理論については補足的問題としてそれにふさわしい地位を占めることになるだろう。我々は、しかし、貨幣は利子率理論では本質的役割を果たしており、貨幣が他のものと区別される特殊な性格の究明に努めるつもりである
*次回以降、各節ごとに解説を加えていくつもりだ。乞御期待。