よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

66:第21章 物価の理論:貨幣数量説の権化たるリフレ派を根底から批判する

2021年02月01日 | 一般理論を読む
貨幣供給はデフレ問題を解決するのか?

 物価は需給バランスで決まる、というのは当たり前のようだが何も言っていないに等しい。
 さらに「失業のあるかぎり雇用は貨幣量と同じ割合で変化するが、完全雇用に到達すると、こんどは物価が貨幣量と同じ割合で変化する(命題Ⅰ)」と主張すると、無意味な内容が誤った内容に変わる。つまりここでケインズが展開しているのはリフレ派批判である。

 一般理論の有効需要の原理では、収穫逓減と限界消費性向の低下から需給の均衡点が求められる。そのときまでは価格は上がっている可能性が高いが、かといって価格が上昇しなくとも有効需要の原理は成り立つ。一般理論においては有効需要が需給バランスを決定するのであって価格ではないからである。「完全雇用に必要とされる水準以下への有効需要の収縮は物価とともに雇用を低下させるのに対し、この水準を超える有効需要の拡大は物価に影響を及ぼす」のである。

リフレ派の根底にあるもの

 実質ベースで経済を考えている限り、いわゆる限界効用によって需給バランスが保たれるから需給バランスを調整するのが「価格」ということになる。不足していれば、その財・サービスの価格は上がり、過剰であれば下がるというわけだ。これを価格メカニズムと名づけ、価格メカニズムを阻害している「規制」を破壊すれば、自由放任のユートピアが戻ってくるというわけなのだ。

命題Ⅰ:失業のあるかぎり雇用は貨幣量と同じ割合で変化するが、完全雇用に到達すると、こんどは物価が貨幣量と同じ割合で変化する

ケインズは、次の五つの前提Aが否定できれば命題Ⅰは成立するとしている。

前提A
  • 有効需要は貨幣量と全く同じ割合では変化しない。
  • 資源は同質的でなく、そのため雇用が次第に増加するにつれて、収穫は一定ではなく、逓減的となる。
  • 資源は互いに交換可能ではなく、そのためある商品の供給が非弾力的な状態に至っても、他の商品を生産するために利用可能な資源にはまだ未雇用のものがある。
  • 完全雇用に到達する以前に、賃金単位は上昇する傾きをもつ。
  • 限界費用を構成する〔生産〕要素の報酬はすべてが同一割合で変化するわけではい。

 この「否定できれば」と言うのが、難読の原因なので命題Ⅰが成立する条件に書き直すと

前提B
  • 有効需要は貨幣量と全く同じ割合で変化する。
  • 資源は同質的であり、そのため雇用が次第に増加しても、収穫は一定である。
  • 資源は互いに交換可能であり、そのためある商品の供給が非弾力的な状態に至ると同時に、他の商品を生産の生産も非弾力的となる。
  • 完全雇用に到達するまで、賃金単位は上昇しない。
  • 限界費用を構成する〔生産〕要素の報酬はすべてが同一割合で変化する。

 この前提は、どれ一つとっても成立しないのは自明であろう。自明であるが貨幣理論さらに言えば流動性選好の概念を持たない新古典派・現代正統派はあえて目をつむるわけである。

 リフレ派は貨幣数量説に立つので貨幣理論がないのだ。

ケインズの解はどのようなものか? 実質金利ゼロの世界

 ケインズは前提Aの下で経済体系を分析しているわけだが、前提Bの世界のように単純ではない。いったいどのように分析を進めていくのだろうか?

それら(*前提Aの五つの条件)を一つ一つ順番に吟味していくことにしよう。もっともこのような手順を踏むからといって、それらが厳密な意味で独立だと考えてもらっては困る。たとえば、有効需要増加の効果が産出量の増加と物価上昇とのあいだに分割される割合は貨幣量が有効需要量とどのような形で関係をもつかに影響を与えるかもしれない。あるいはまた相異なる要素の報酬がどのような割合で変化するか、その違いによって、貨幣量と有効需要量との関係に影響が及ぶこともあろう。われわれの分析の目的は間違いのない答えを出す機械ないし機械的操作方法を提供することではなく、特定の問題を考え抜くための組織的、系統的な方法を獲得することである。そして、複雑化要因を一つ一つ孤立させることによって暫定的な結論に到達したら、こんどはふたたびおのれに返って考えをめぐらし、それら要因間の相互作用をよくよく考えてみなければならない。これが経済学的思考というものである。われわれの形式的な思考原理(やはりこれがないと森の中をさ迷ってしまう)を適用しようとすればこれ以外に途はなく、他のいかなるやり方もわれわれの進むべき道を誤らせるだろう。経済分析を記号を用いて組織的に形式化する疑似数学的方法、本章の第6節で定式化されるような方法がもつ大きな欠陥は、それらが関連する要因相互の完全な独立性をはっきりと仮定し、この仮定がないとこれらの方法のもつ説得力と権威とがすべて損なわれてしまうところにある。これに対して、機械的操作を行うのではなく、いついかなるときにる自分は何をやっているのか、その言葉は何を意味しているのかを心得ている日常言語においては、留保、修正、調整の余地を、後々その必要が生じたときのために「頭の片隅に」残しておくことができる。しかるに、込み入った偏微分を、その値がすべてゼロとされている代数の幾ページかの「紙背」に残しておくことは不可能である。最近の「数理」経済学の大半は、それらが依拠する、出発点におかれた諸仮定と同様単なる絵空事にすぎず、その著者が仰々しくも無益な記号の迷路の中で現実世界の複雑さと相互依存とを見失ってしまうのも無理からぬことである。

 ケインズの数理経済学批判は今もそっくり当てはまる。経済学が「大人」の学問だというのもお分かりいただけよう。

 ここから第4節では五つの条件の吟味に移っていくわけだが、その手法は直接読んでいただくことにするが、今まで一般理論の叙述に親しんでこられた読者には自明の論理展開である。

 要は、ケインズは物価は従属変数だからケインズの物価理論は一般理論を敷衍して様々なケースを考えろ、ということにある。

 一貫して叙述に通底しているのは、マルクスの労働価値説のような本質論的把握ではないが、使用費用以外の諸費用は賃金単位にかかっているということである。この使用費用を除くところがケインズとマルクスの唯一かつ最大の違いかもしれない。それはまた資本主義の発展段階と照応したものでもある。

 最後に国民所得と貨幣量の間には安定した関係が長期に続くとしたうえで、国民所得と貨幣量との長期的な関係は流動性選好に依存している。そして物価が長期的に見て安定的になるか不安定的になるかは、賃金単位(もっと正確に言えば費用単位)が生産体系の能率の上昇に比してどの程度の上昇傾向をもつかに依存している。と結論付けている。

 つまり物価上昇には生産性上昇を上回る賃金の上昇が必要ということになる。が、このような賃金上昇が「全般的に」起きるには何が必要なのだろうか?一般理論の答えは「生産性の上昇を上回る需要の増大」ということになる。現代では当時では想像すらできなかった「リカード的回路」が存在するがそれは後程。
*リカード的回路の復活:雑に言えば労働者の貧困化による人口減少を通して賃金が上昇を始めるというもの。どこかで詳述したい。

 また、長期にわたる収穫逓減のもとでは、完全雇用を達成するための利子率は、多分富の所有者が受け入れないような低い利子率でなければならないだろう、としている。

マイナス金利はありえない?

 現在マイナス金利ではないか?と思ったあなた。市中の金利は1.5%前後である。

 政府は債務にいくら利払いをしているだろうか?
 なぜ金融機関の貸出金利には下限があるのだろうか?
 金利は、銀行の調達金利+銀行の経費+企業の貸し倒れリスク+銀行の利益に分解できるのでは?

 調達金利がゼロになっても日銀当座預金金利がマイナスになっても金利がそれなりの正の値を取らねばならないのがおわかりいただけよう。現代において金融機関が原理的に経営危機になることも。

 


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