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これまで家計部門、企業部門を分析してきた。
家計部門について
家計部門は、ケインズの悪魔の恒等式に従って、マクロ経済での貯蓄の分だけ貧しくなりつつある。所得が減り続けているため、家計消費はこれ以上伸びる余地は無くなり、かつ全体としてみれば容易に減少するという特徴を備えるようになっている。これを「家計消費の上方硬直性」と名付けた。
26:第7章 貯蓄と投資の意味―続論 ケインズの悪魔の恒等式
企業部門について
企業部門の投資水準は、いまだに1997年に届いていない。総需要が伸びない中で投資のしようがない、というのが企業部門の実情であろう。投資は国内での設備投資ではなく、海外投資となり、その結果企業には大きな経常利益が入ってくるようになった。経常利益の源泉である海外投資からの収益は国民の手には届かず格差拡大の原因となっている。このままいけば、ますます格差を拡大させる大きな要因となっていくだろう。さらに投資先の国から見れば資金の海外流出であってその国民を貧困に陥れる作用をも持っている。国際的格差拡大の要因である。
これは全て、貯蓄>投資という先進資本主義国共通の問題である。財の生産性が上がれば一国で消費しきれない財が生まれる。このことは「進歩」の証であって否定するとかしないとかいう性質の問題ではない。問題は資本制生産様式の下では、生産性の向上によって先進国では雇用が減っていくという結果となるところにある。
家計部門の消費や企業部門の投資には当面期待できないときこそ政府部門の出番となるが、当事者やその取り巻きはそういう風には考えたくないようだ。
政府は小さいほどいいのか? また、小さくすることはできるのか?
「行革会議の中間報告について,1997」という資料を参照する。後から見れば、「危機の時ほど、人々はいかに合理的判断が出来ないのか」という見本のようなものである。この資料が言っているのは、「景気が悪い、経済停滞が続く⇒我々は苦労しているんだから政府は無駄遣いを止めろ」というだけの、たったそれだけの素朴なことだ。政策担当者は苦々しく思ってもそれが民主主義というものかもしれない。
行革会議の中間報告について(1997年5月1日)
リンク先:
引用:(1)国の行政が本来果たすべき役割
- 本来果たすべき役割(国家の存立に直接関わる政策の立案、全国統一の基本ルールの制定、全国的規模・視点が必要な施策・事業など)に純化。
他にもいろいろ書いているが、精読すると血圧が上がるのは必至なのでお薦めはできない。
ちなみにメンバーは以下を参照されたい。
https://www.kantei.go.jp/jp/gyokaku/1203dai1.html
必要最小限のことを最大の効率をもって行うことが政府の役割なのだろうか?
コロナ禍での「不要・不急」論を見ていると、必要最小限のことを最大の効率をもって行うことが社会の最大の目的であると考えている人がいかに多いかということに驚いたが、今も政府に関する議論はこの延長上にある。この人たちの唯一の目標は貨幣の蓄財なのであろうか?
当たり前だが、政府には収入と支出がある。現代では収入も支出も巨額に上る。「大きな政府」を気に入らない人は多いようだが、こういう人は、これまで見てきたように、家計部門の消費や企業部門の投資には当面期待できないときに政府の果たすべき役割はいかなるものなのか?とは問題が立てられないのである。
しかし、行革会議の提言も効無く、日本はますます混迷停滞を深めていく。行革会議のメンバーには経済学者が一人もいない、それではいけないと思ったのかどうか知らないが、この橋本行革に続く小泉行革に呼ばれたのが、かの竹中先生だった。行政だけいじっても解決しない。社会そのものの構造を改革しないといけないのだ、というご託宣が下されたのである。最悪だった。もっと最悪(最悪のもっとって何だよ)なのは、国民の多くが喝采を送り、機を見るに敏な人々が追従し始めたことである。
国民経済計算上で重要な政府の役割
国民経済計算で政府といえば「一般政府」のことである。この「一般」は「特殊・特定ではなく一般」という意味で、中央政府・地方政府・社会保障基金を連結したものである。
この一般政府の総支出は2019年度で118兆円に上る。まさに巨額である。
次回から、この総支出の中身を分析するとともに、収入についても適宜見ていくつもりである。
最後に付言しておくと、家計部門・企業部門が資金を余らせている限り(限りなくゼロに近い低金利が続く限り)、支出のための資金調達は税であろうと社会保険料であろうと公債であろうと関係はない。いずれも一国全体での巨額の余剰資金を吸収する手段としては同じである。
次回から政府部門の分析に入るが、どう書いても難解・晦渋にならざるを得ない。ほとんどの人が(経済学者も含めて)敬遠するのは当然ではあるのだが・・・まずは国家予算の報道の仕方が嘘だらけであるところから始めたい。