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雇用者・賃金総額・一人当り賃金
賃金総額は国民経済計算から、 雇用者総数は労働力調査から取っている。1997年を100として時系列の比較を行った。
少子高齢化・人口減少社会と言われるが、雇用者の総数は増えている。
2013年あたりから、賃金の総額も、 一人当たり賃金も増えている。
ただし、賃金総額はようやく1997年の水準に回復しているが、一人当たり賃金の水準はいまだに89%と1997年の水準に遠く及ばない。グラフの傾きから見て取れるように一人当たり賃金の伸びより雇用者総数の伸びの方が大きいからである。
一人当たり賃金の伸びを、単純に延長しても1997年の水準を回復するには20年以上かかりそうだ。1997年と変わらない賃金の総額を、より多くの人で「分け合ってきた」という見方もできる。
一国の一人当たり賃金水準が低いことを歓迎する人はいまい。もしいるとすれば「国際競争力」至上主義者であろう。(実はかなりこういう人々はいるのだが・・・)
この25年間日本経済が経験してきたことは、見方によっては、「成長の放棄」と「貧困の分かち合い」と言っても過言ではない。これは一部の論者が主張し未来図として描いている姿だが、筆者は断固として拒否したい。結果としてこうなっても多くの人々が不幸になっているのに、目的にしてはもっと悲惨な未来が待っているのではないか。
「国際競争力」至上主義者と「反成長・分かち合い」論者が両端で合唱しているのが現代日本なのだ。これでは未来は暗黒と言うしかあるまい。
ここで余計なことを書くと・・・
グラフの2002年、2003年あたりに注目していただきたい。雇用者数は変わらず、一人当たり賃金が減って賃金総額も減っている。家計所得が低下し、苦しくなって家計の補助として仕事に出ようとしても職はなく、ただただ貧しくなっていったのである。こういう絶望的な暗黒の時代に人々が熱く支持したのは小泉「改革」政権であった。このとき、かの竹中氏も表舞台に登場する。
世相が暗くなった時に人々が正しい選択をするとは限らない。むしろ誤ることの方が多いのだろう。さもありなん。
賃金総額の増加の主因は女性の賃金
国税庁は民間給与実態調査を作成公表している。
国税庁は源泉徴収で賃金を把握しているから、手法は標本調査だがこれ以上精確な統計はあるまい。
この民間給与実態調査から男女の賃金格差を調べてみたのが以下のグラフだ。単位は千円、数字は年収である。
30歳代後半では女性の年収が291.2万円⇒312.7万円と上昇しており、男性の年収は589.1万円から528.8万円と下降している。男性の賃金が全ての年代で低下しているのに対して、女性の賃金はほぼ全ての年代にわたって上昇している。
一人当たり賃金増加の主因は女性の賃金上昇だといって間違いないだろう。
しかし今なお女性の賃金は「賃金カーブ」を形成してはいない。
さらに、仮定の話をするとこの統計に表れる30歳代後半の男女が同一世帯であった場合は、以下のような計算となる。
1997年:女性291.2万円+男性589.1万円=合計880.3万円
2019年:女性 312.7万円+男性 528.8万円=合計 841.5万円
この数字自体には何の意味もないが、家計調査で見た世帯の所得は減少しており、可処分所得はさらに減少しているという結果と整合的である。共働きでも生活は苦しくなっているのだ。
男女の賃金格差はどうなったか?
このグラフは、20-24歳では女性の賃金は1997年には男性の84%だったのが2019年には89%になっていることを意味している。19歳以下を除く全年齢で大幅に改善していると言っていいだろう。
前項で見たように女性の賃金も上昇しているが男性の賃金が下降したことも相まって男女の賃金格差が縮小しているのである。
- 1人当たり賃金は1997年水準の89%に過ぎない。
- 男女の賃金格差は縮小している。
この二つの条件の当然の結果として
男性賃金の大幅な低下と女性賃金の小幅な上昇、世帯年収の低下ということが起きている。
「一般理論を読む」で検討した通り、総需要は賃金に依存せず、賃金が総需要に依存する。総需要が停滞しているときにそれ以上に賃金総額が増えるわけはない。
それでも未来は暗黒ではない、と信じたい人へ
夢想、妄想の類だが次のような計算が成り立つ。
日本の総人口:1億2610万人
日本のGDP:540兆円、その1%:5兆4千億円
5兆4千億円÷1億2610万人÷12か月=3569円
日本人全員が月3,569円余計に消費すれば1%の経済成長は達成できる。4人家族なら月14,274円という計算となる。計算上は達成できそうな数字だ。
しかし、これまで国民経済計算の家計で見てきたように、所得は減り、可処分所得はさらに減っている。賃金も、男性の賃金は下がり続け、女性の賃金はいまだに低水準である。一般理論が教えるように、人は期待によって行動するとしたら、未来を過去の延長として予測するものなら、ますます財布の紐は固くなると考えざるを得ない。
希望はどこにあるのか。「成長の放棄と貧困の分かち合い」の先にないことは明らかである。
真の希望を見つけ出すまでもう少し国民経済計算の分析にお付き合い願いたい。こうなった原因は日本のこの25年間の中にあり、それは国民経済計算にはっきり表れているからである。
次回から企業の分析に移るが、分析はあっさりしたものになる。企業がマクロ経済を動かしているのではなくて、マクロ経済の諸条件が企業を動かしているからである。なぜ企業は投資できないのか?という問題の立て方となる。