よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

1-03:こんな・・・でも・・・ 古典派・現代正統派の典型的主張

2021年10月03日 | 日本経済分析
財務省の「指導理論」?

 以下に掲げるのは財務省の広報誌ファイナンス2019年10月号に掲載された書評である。小黒氏が荒巻氏の「日本経済長期低迷の構造 30年にわたる苦闘とその教訓」を論じておられる。お二人とも元大蔵官僚⇒経済学者だ。キャリアと掲載誌からみて、財務省の指導理論(もしそのようなものがあったとしたら)である。

 なかなか味わい深いので、まずは全文をご検討いただきたい。典型的な供給側経済学の主張として紹介する意味があると思う。ちなみに筆者はこの本を読んでいない(余計なことを書くと「読む気もしない」)。あくまでこの書評に対する論評であることをおことわりしておく。下線・太字は筆者が付けている。


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ファイナンス 2019 Oct.
荒巻 健二 著
日本経済長期低迷の構造 30年にわたる苦闘とその教訓
東京大学出版会 2019年4月 定価 本体5,400円+税

評者
小黒 一正

 2019 年10 月に消費税率は10%に引き上げられる予定だが、新たな財政再建の道筋は見えない。日本経済が抱えている大きな問題は3つある。第1は人口少・少子高齢化の問題、第2は低成長の問題であり、第3は貧困化の問題である。
 これらは、年金・医療・介護などの社会保障給付費の膨張や、税収や社会保険料収入の減少、高齢者を中心とする生活保護世帯の増加といった形で、財政や社会保障に甚大な影響を及ぼす。財政再建には、歳出削減・増税などが必要だが、痛みを伴う改革を政治的に実行可能とするためには、低成長からの脱却も重要な課題の一つである。
 中国やインドといった新興国が台頭し、グローバル経済での競争が激化する中、日本経済も「高品質・低価格の競争」から「高付加価値の競争」に転換する必要性を強調する有識者も多いが、現在のところ、低成長からなかなか脱却できずに喘いでいる。
 このような状況の中、本書では、1980年代のバブル形成から90年代初頭のその崩壊、90年代後半の金融危機そしてデフレの発生といった長期にわたる日本経済の苦闘をとりあげ、そのメカニズムの解明に努めている。
 具体的には、第1 章では「バブルの形成とその背景」、第2 章では「バブルの崩壊と長期低迷の開始」、第3 章では「金融危機の衝撃と企業行動の変貌」、第4章では「デフレと金融政策」、第5 章では「デフレと企業行動のメカニズム」、第6 章では「アベノミクスと日本経済の課題」をテーマに分析や考察を行っている。
 日本経済の停滞を説明する仮説としては、(1)「供給サイド要因説」(生産性上昇率の低下、人口動態など供給側の問題が長期停滞の背景にあるとするもの)、(2)「需要サイド要因説」(財政政策や金融政策の不徹底が長期低迷やデフレをもたらしたとするもの)、(3)「金融セクター要因説」(不良債権問題による貸し渋りが経済低迷を生み出したとするもの)などがあるが、本書では、300ページ超にも及ぶ各仮説の検証や考察の結果として、80年代以降の日本経済の変調の中心には企業行動があり、その本質は企業の低収益資産の蓄積であったことを明らかにしている。すなわち、長期低迷・デフレ期の大半にわたり「日本経済は需要不足ではなく、(持続可能な需要水準と比べた)供給力の過剰に悩んでいた」のであり、「過剰な資産の処理こそが求められていた対応であった」と指摘し、さらに2000年代半ばにそれが解消された後も、長期にわたった低成長の現実がもたらした低成長予想が企業行動を委縮させているとする。
 では、低成長の主因となった低収益資産の蓄積が進行した理由は何か。経済学は時間・情報・ヒト・モノ・カネ等の有限資源に関する最適な資源配分などを探求する学問だが、経済成長や企業経営という視点で最も重要なものは、生産要素である物的資本や人的資源を含め、何に投資し、何を生産するかという「企業戦略」であろう。
 非効率なものに投資し、低収益資産を蓄積していては、資本からの収益や賃金が上昇しないのは当然である。これは現在の日本経済にも通じる問題であろう。その意味で、労働市場改革を進め、正規・非正規や年齢・性別などに基づく合理的な根拠のない格差を是正し、人的資源の使い方の変化を促すことが重要だという本書の指摘は正しい。労働市場改革のほか、格差是正のもう一つの原動力になるのは、労働供給の減少である。労働供給の減少が賃金上昇を通じて非効率な企業を淘汰する市場メカニズムも重要であるからだが、それならば、低賃金の外国人労働者の受入れ拡大が非効率な組織の温存に繋がる可能性もあるという視点も重要であろう。
 なお、本書は日本経済の長期低迷のメカニズムの解明と問題の識別に力点が置かれており、「今後どうすべきかについては余り触れることはできなかった」との記述があるが、同書の「あとがき」に、日本が目指すべき方向性に関する氏の記載があるので、こちらも一読をお薦めしたい。
 いずれにせよ、本書は氏の大蔵省(現財務省)での長年にわたる行政経験で培った鋭い知見のほか、その後の東大での研究成果の集大成ともいうべきものであり、財政再建や成長戦略といった今後の政策形成に関わる検討や議論で重要な示唆を与えてくれるものと確信する。

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 読むとため息しか出ないが少し論評を加える。念のため書いておくが、お二人の知性や品格を一瞬たりとも疑ったことはない。

中国やインドといった新興国が台頭し、グローバル経済での競争が激化する中、日本経済も「高品質・低価格の競争」から「高付加価値の競争」に転換する必要性を強調する有識者も多い
 「多い」どころか、こういう「有識者」ばかりだが、これについては次回取り上げるが、「供給は自らの需要を創り出すことはできず、逆に需要(有効需要)の制限を受ける」ことがわかっていないのだ。だいたい「競争」って何?
  

日本経済は需要不足ではなく、(持続可能な需要水準と比べた)供給力の過剰に悩んでいた」のであり、「過剰な資産の処理こそが求められていた対応であった」
 「需要不足ではなく供給過剰」「供給過剰ではなく需要不足」この二つの違いを教えていただきたいものだ。
   1999年版「経済白書」は雇用、設備、債務の3つの過剰を指摘し、日本経済はその解消に邁進した。
 過剰債務を強行的に減らせば雇用と設備(資産の一部)はそれに伴って削減される。債務の削減とは債権者から見れば資金の回収であり、広い意味での貯蓄である。雇用と設備が削減される中で企業から回収された資金はどこに行くのか。雇用と設備が削減されているから賃金にも設備投資にも回りようがない。行き場がないのである。考えてみれば当然なことだ。
 日本は官民挙げてバブル潰し、「不良債権処理」を強行した。そして今に至る長期停滞の基礎を作ったのである。これは国民経済計算の投資を扱うときに再度触れる。

 通読して見えてくるのは、供給側にしか目がいかない経済理論だということだ。新自由主義特有の物言いは抑えているが、まさに古典派・現代正統派の典型である。


経済学は時間・情報・ヒト・モノ・カネ等の有限資源に関する最適な資源配分などを探求する学問
だとしているが、前項で引用したケインズの所論の通りであり、あまりにも当たっているので頭が呆然とするほどである。下記引用の下線部を読んでいただきたい。「その暗黙の前提が現実の世界とかけ離れているのだ。彼らは、古典派・現代正統派とケインズ経済理論の違いを学んだことはないのであろう。

通説となっている古典派理論は、その分析に論理的欠陥があるというより、その暗黙の前提が現実の世界とかけ離れているところに間違いがある。その結果、古典派理論は現実の世界の経済問題を解決することができないのである。しかし本書で提唱するような中央政府によるコントロールが導入されて完全雇用水準に一致する産出量が達成されたら、そこから先は古典派理論が通用するようになるのである。民間部門の営利追求動機が、何を生産するか、どのような生産要素が生産と結合されるか、最終生産物がどのように分配されるかを決定していく過程を分析する古典派の理論的枠組みは、総産出量が所与の場合、その総産出量の枠内では立派に通用する。 byケインズ
(一般理論第24章、本ブログ「80:逐条解説:第24章 一般理論から導き出される社会哲学上の結論 第3節」)



非効率なものに投資し、低収益資産を蓄積していては、資本からの収益や賃金が上昇しないのは当然である。
 個別企業にとってはそうだろうが、マクロ経済学の対象として一国全体を見た場合もそうだろうか?公共的非営利部門への投資はどう考えたらいいのだろうか? 一国全体の総需要・総供給、総投資それぞれの決定要因はなんだろうか?

 古典派・現代正統派はこの決定要因には思いが及ばない。投資の決定要因は企業行動だというが、それは言い換えているだけだ。

 個別企業の生産性が上がらないので企業分析をする⇒不採算部門を洗い出しリストラする。それは個別企業の経営分析ならいいし、コンサルの類なら当然だが、マクロ経済学者がこんなことを主張する意味が分からない。

 問題は、一国全体の総需要・総供給、総投資それぞれの決定要因である。

 個別の企業や家計が適用すべき行動基準を経済全体に適用できると一般の人が考えるのはまだいい。しかし、経済学者を名乗る人にそんなことが許されるわけがないではないか?

 んーーーーっ。キャーッ!


見出しの・・・には各自思いついた言葉を入れてください。

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