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前回、以下のように書いた。
次回から企業の分析に移るが、分析はあっさりしたものになる。企業がマクロ経済を動かしているのではなくて、マクロ経済の諸条件が企業を動かしているからである。企業に投資をためらわせるマクロ経済の諸条件は何か?という問題の立て方となる。
企業を貸借対照表と損益計算書の二つから分析しようといういうのが今回の趣旨である。貸借対照表は国民経済計算から損益計算書は法人企業統計から取っている。
分析の視点は以下の二点だ。
① 不良債権処理は企業にどのような影響を及ぼしたのか?
不良債権処理はマクロ経済に甚大な影響を及ぼした。それは人々のマインドを変え、ケインズの言うアニマルスピリットを極限まで委縮させた。民間の債務処理が終わった後、政府は公的債務の処理に乗り出している。政府部門は次に取り上げるが、企業の債務処理が終わったら今度は政府の債務処理である。この二つの債務の性格はまったく違うが、マクロ経済に及ぼす金融面での影響はまったく同じである。資金が市場から引き上げられ経済が停滞していく。時期としてはこの25年間の最初の三分の一くらいだ。
② 利益の源はどのように変化したのか?
時期としては25年間の後半に当たるが、構造的な問題としては戦後日本経済(戦後日本資本主義)の発展段階の議論ともなる。官民の二つの債務処理が段階の変容を加速したのは間違いないが、それがなくても日本資本主義は新たな段階に入っていただろう。射程の長い議論にならざるを得ないが詳しくは巻末に展開する予定である。
実はこの議論が全くと言っていいほど行われていないのが最大の問題である。停滞から脱出するための鍵となる議論である。
① 不良債権処理は企業にどのような影響を及ぼしたのか?
国民経済計算には、企業部門全体の貸借対照表が年度ごとに集計されている。
まずは三つのグラフをご覧いただきたい。単位は全て兆円。集計対象は法人全体である。
筆者はマクロ経済の推移をこれほど見事に表すグラフは他にないと思っているが、世の中は国民経済計算など見向きもしない。残念なことである。
順にみていこう。
借入の推移
借入(有利子負債)は1997から2004年の7年間で194兆8千億「処理」されている。一年あたり27兆8千億円処理されたことになるが、当時のGDPは今と変わらず、GDPの5%に当たる資金が、毎年、市場から引き上げられたことになる。引き上げられたというのは、債務の弁済を受けても、不良債権処理が進行している中で新たな投資先を見出すのは極めて困難だろうから、資金は単に行き場をなくしてしまうからである。連載五回目「お金の沼、金融資産の海に溺れる日本 1 」で書いたような事態はここから始まった。
家計部門の貯蓄は、企業部門の投資の源泉となる。何回も書いてきたが貯蓄は借りてくれる人がいてこそ意味がある。その借り手が借金の返済を始めてしまい、家計部門は将来不安から貯蓄性向を強める。益々投資先はなくなるという悪循環がこの時に始まった。
不良債権処理というのは始めると止まらなくなる。総需要が減少していく中では土地転がしのための債務のみならず、他の債務まで次々と「不良化」していくからである。
当時の政策担当者を責めるつもりはない。世の中が「不良債権処理」の先に待っているものを見通さず犯人探しに夢中になっただけである。
リンク先は政策担当者の証言として非常に興味深いのでご覧ください。
「平成とは何だったのか」(6) 五味廣文・元金融庁長官 2018.7.2
筆者が勤務していた企業は1997年に倒産した。法的破産手続きの過程で債務は完済したが、そのまま事業を継続することはできず、別の場所での再建となった。その過程で雇用も賃金も大幅に減少したが、そのようなことが全国津々浦々で起きていたのである。
現金・預金の推移
企業部門の現金は2008年から積み上がり始めた。2007年は不良債権処理が終了し久々に景気の先行きが明るくなった年だった。翌年米国サブプライムローンの破綻に始まったリーマン危機が起きる。債務処理は終わり賃金水準も低下し、しかもリーマン危機によって投資先がなくなってしまう。現金預金が積み上がるしかない。不良債権処理も資金の引き上げだったが、今度は現金預金の増加という資金の引き上げとなったのである。どちらにせよ資本の投資先を潰していった結果である。
投資不足は岩盤規制の結果だという謬見が一般的なものとなっているが、このような議論は民間⇒政府と総需要抑制策を取り続けて来ていることを見逃している。規制があるから投資先がないのではなく、そもそも債務処理という資金の引上げを続けたから総需要が抑制され投資先がなくなったのである。総需要が伸びない中で供給サイドをいくらいじっても需要が生まれるはずはない。
総資産の推移
総資産は、現金預金に遅れて2012年から増加している。年間79兆3千億円ずつ積み上がっている計算になる。何がここまで純資産を増やしたのだろうか?これを解き明かすのが次のグラフだ。
非金融資産とは生産設備と土地のことである。金融資産増加の半分近くは株式である。企業が株の持ち合いないしは支配下企業の株を所有しているために197兆円の株式が金融資産となっている。GPIFや日銀が株価を釣り上げているのではないか、という議論があるが、日本企業全体の純資産は524兆円、負債としての株の総額は511兆円であるから、(何が適正株価は誰にもわからないが)総じて問題のある数字ではない。また資産としての株式は、企業全体にとっては負債でもあるから、ここの議論では触れる必要はない。
そんなことより問題は「その他金融資産」である。
その他金融資産は文字通り「その他」で売掛金等も含まれるが、次のグラフで見るように大きく増えている。通常の企業行動で売掛金等が増えるわけはないから、要は「対外投資」である。これは他の統計からも確認できるがここでは詳述しない。
対外投資の急速な伸びは企業の利益の源泉を大きく変貌させた。
② 利益の源はどのように変化したのか?
①は国民経済計算の議論だったが、ここは法人企業統計の議論となる。
法人企業統計には、企業部門の産業別・規模別に貸借対照表・損益計算書が年度ごとに集計されている。
以下のグラフは2020年度の資本金十億円以上の製造業の営業利益率・経常利益率を追ったものである。
慧眼な読者はお気づきだと思うが、1960年から2020年は三つの時代に分かれる。
- 1960-1986年:営業利益>経常利益
- 1986-2003年:営業利益=経常利益
- 2003年- :営業利益<経常利益
ここで確認しておくと経常利益とは営業利益から財務活動による資金の出入りを加減したものである。
- 1986年まで企業は借入を起こし設備投資を行い、その返済を行っていた。だから営業利益>経常利益となっている。財務活動によるキャッシュフローはマイナスだったということで、企業全体としては資金を吸収する主体であった。
- 1986年―2003年の間はプラスマイナスゼロである。
- 2003年以降、経常利益が営業利益を上回りだし、2020年度では営業利益と同じくらいの額を財務活動で稼ぎ出している。これは先ほど見た海外投資の収益である。
資本金10億円以上の製造業でも(だからこそ?)本業と同じくらいの利益を「財務活動」で得ているということになる。
一国の資本主義の発展段階として、高度に発達した製造技術を得た国はその技術と資本を海外に移転することになる。移転先の資産は「その他金融資産」となり、そこからの収益は経常利益となる。このこと自体は問題にする性質のものではないし、阻止しようとしたところで止まるものでもない。そのこと自体は「善きこと」でも「悪しきこと」でもない。
企業活動がマクロ経済を動かしているのではなく、マクロ経済の諸条件が企業行動を動かしているのだから。
企業は生産と分配の組織から富裕層の投資先に変化した
問題は、海外投資の収益はその性質上、広く分配されることはないというところにある。格差拡大の大きな原因となるのだ。
企業は社会生活が必要とする財とサービスを提供し、広く社会に分配する。利益追求の経済単位が財とサービスを生産し分配しているのである。しかし経常利益を稼ぎだすのは、一国経済から見れば財務活動であり、生産と分配には寄与しない。それどころか投資先の国から見れば資金の流出である。
海外資産の収益は、広く国民に還元されることはない。賃金に反映されることもない。金融資産の保有者に分配されるという性質のものである。雑に決めつければこれが金融資本主義化である。
企業の最大目標は持続可能性である。経営学の教科書の1ページ目に出てくるはずだ。Going Concern:継続企業の前提、と。企業会計は次年度も継続することを前提としている。しかし投資家にとっての企業はこの前提を有さない。投資を回収すればあとは知ったこととではない。株をやる人なら「やばい」と思ったら手仕舞いにして損を最小限にして売ってしまおうとするだろう。金融資本主義に必ず付いて回る問題だ。
そう、定義は曖昧だが、日本は金融資本主義の段階に到達しているのである。発展段階説については以下のリンクを参照されたい。
いずれにせよ、国内の総需要が動かないことにこそ問題がある。それは「貯蓄の対応物は何か」と問題を立てられない人々に原因があり、とりわけ経済学者とかエコノミストとか自称する人々にこそ責任があるだろう。
14:第3章 なぜ完全雇用は達成できないのか?あるいは、なぜ貯蓄は社会を貧しくするのか?
で、検討したように、現代資本主義の問題は供給側(企業部門)ではなく需要側にある。