よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

ただそこにある現金こそ、今そこにある危機

2020年07月07日 | 日本経済を読む
資金循環統計 3
 
 
 家計にとっての「貯蓄」は金融機関の「負債」となる。金融機関はそれを貸し出して「利ざや」を抜く。借り手がいてこその貯蓄である。日本全体では「貯蓄」とその「借り手」はどうなっているのだろうか。海外投資は一国経済にとっては資金流出だからマイナス側にカウントされる。

 今や「借り手」は政府だけである。その政府が「財政再建」を進めたらどのようなことが起きるのだろうか?あるいは起きているのか?ここまで読んでこられた慧眼の読者ならお分かりのように

貧しくなる

のである。
 一国経済全体で「豊か」とは貯蓄のことではないのだ。それは過剰な貯蓄に過ぎない。

 グラフで2005年を境に企業が資金不足から資金余剰へと転化している。
なぜだろうか?

 次のグラフは、企業の借入金の推移だ。



 ピーク時1997年の570兆3000億円から2005年の368兆2000億円へと202兆1000億円減っている。一年当たり25兆2625億円減らしたことになる。返済の原資は①破産でチャラ、②資産売却、③費用圧縮だ。費用圧縮の最大の対象が賃金だったことはお分かりのとおりである。これだけの資金が市場から抜かれていった。結果はGDPに現われる。

 1997年のGDPは527兆7128億円、2005年は513兆7370億円である。
日本社会は企業の借入金返済のために生活を削り、貧しくなったわけである。
そして今また財政再建の掛け声で政府の借入金返済を始め、国民生活を犠牲にしているのだ。

 繰り返すが、
 一国経済全体で「豊か」とは貯蓄(純金融資産)のことではないのだ。それは過剰な貯蓄に過ぎない。

 過剰な貯蓄をケインズは流動性選好と呼んだが、マルクスは「物神崇拝」と呼んだ。
ケインズは学者的に上品だが、マルクスは「きれいな石をたくさん並べて喜んでいるだけ」と言ったのだ。

 次回からケインズに戻る。いよいよ第3編である。

 

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