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都知事選真只中
蓮舫候補は「小池知事は光の当たるところにさらに光を当てる政治。私は光の当たらないところに光を当てる政治」と主張している。おっしゃる通りだ。
記者会見も拝見したが、反応を見ていて気が付いたことが二つある。
〇経済政策が見当たらないという質問
〇高齢者問題に言及が薄いという感想
である。
「経済政策」とは・・・
質問者の頭にある「経済政策」とは企業誘致、特区構想、規制緩和といった新自由主義的政策(サプライサイダー)が念頭にあるのかもしれない。「企業を強く」のようなあいまいなことかもしれない。確かにそういったものは公約にも会見でも出てこなかった。
このような新自由主義的政策は、一国がまだまだ資金不足であり、資本主義の荒々しい青年期には必要かもしれない。しかし、成熟期を迎え、慢性的な資金余剰を抱えている国の採るべき政策ではない。
蓮舫候補は若者の手取りを増やすとして都庁職員の正規化を打ち出しているが、このような政策こそ国や都が採るべき「経済政策」である。
高齢者問題
少子高齢化問題と言われるが、高齢化とは長寿化のことであって寿ぐべきことであっても否定的な事象ではない。中には「高齢者が若者の取り分を食いつぶしている」等の議論もあるが真っ赤な嘘である。この二十年で一番成長した産業が高齢化に伴う保健福祉産業であることを見ても明らかである。この分野への資金投入がまだまだ足りないことこそ問題なのである。
問題は貯蓄・投資バランスを見ることもなく日本経済を慢性的な需要不足に陥らせ、成長の機会を潰してきた財政政策にある。一国レベルで見た「緊縮政策」にこそ問題がある。(*)
*政府が赤字だから緊縮ではないという議論があるが、一国全体(家計・企業・政府)でみて資金を余らせているのだから、政府の赤字が足らず、その分緊縮になっている。
少子化問題とは、若者の相対的貧困問題のことである。解決策の前提には有効需要水準の引き上げしかない。昔は教科書に書いてあったが、そんな教科書は今や古本屋にも置いていない。
よく言われる「財源はどうするんだ」問題
ごく一部だが「税は財源ではない」と主張する人々がいる。MMTの亜流だ。政府が国債を発行して中央銀行がそれを引き受けて紙幣(中央銀行券)を発行すればいいといった議論である。これは資金余剰が続く時代には当たっていなくもない議論なので始末が悪い。
その昔、P・クルーグマンがこんな冗談を書いていた。
「政府が1兆ドルの金貨を発行し連邦銀行に預けてドル紙幣を引き出す。デフレの大概の問題はこれで解決する。財源問題など気にする必要はない」通貨のうち、硬貨は政府が発行できるが、紙幣(中央銀行券)は中央銀行しか発行できないからこういう議論も成り立つ。
これを日本に当てはめると、政府が1兆円金貨(金含有量は5グラムでも10グラムでもなんでもいい。なんならメッキでもいい)を150枚発行すれば税も社会保険料も徴収する必要はない、ということになる。
一国の資産-負債状況(貸借対照表)をみれば900兆円程度の資産超過になっているから、数年は持つかもしれない。現実には発表された瞬間から円を売り浴びせられて撤回に追い込まれるだろう。
さらに供給能力にも制限があるから極端なインフレに陥る可能性もある。かつて戦費のために戦時国債で通貨を膨らませる一方で、供給能力の基である生産設備を灰燼に帰した戦後のようなインフレになるということだ。その際は預金封鎖・新円切り替えという強硬手段に出るしかないし、その時は戒厳令を敷かざるを得ない。戦後は占領軍の圧倒的軍事力があったから強行できたのである。
国債によるファイナンス(財源手当て)は。各年の資金余剰の額と供給能力の制約を受けるのだ。古事記にもそう書いてある。ところが、少なくとも毎年の資金余剰は政府が吸収し支出に回さなければならない。
この二つを見極め貯蓄と投資のバランスを取っていくというのが先進国の金融・財政政策、すなわち日銀と政府それぞれの役割分担である。
都知事選の話からずいぶん脱線したが政府(地方自治体も含む)の役割は民間の余剰資金を吸収し、民間の営利の論理では展開できない事業に資金を投入することである。
そのことで有効需要の水準は上がり企業の経営環境も好転する。これ以上の経済政策はない。資金余剰が常態化している成熟した資本主義国では。