八月九日に行われた与野党幹事長会談(写真は、8月10日付『讀賣新聞』第3面から転写)で、井上(公明党)・石原(自民党)・岡田(民主党)の三党幹事長は、空き缶(菅)首相退陣三条件(2011年度第2次補正予算=成立・特例公債法案・再生可能エネルギー特別措置法案)のうち最大の難関だった特例公債法案の成立で合意し、「カン総理ついにカン念」の態勢は整ったが、カン心の本人からの退陣表明の確約はないままだった。しかし、カン総理は九日夜の記者会見で、「退陣条件が整った場合に辞任するのかとの記者団の質問に『自分が言ったことについてはちゃんと責任を持つ』と答えた」(8月10日付『釧路新聞』第5面)というから、岡田幹事長が三党合意を伝えた時点で退陣を決意していたのかも知れない。 七月十三日の「脱原発会見」以後、大胆な発言で「脱原発」に執念を燃やしてきたカンだが、十五日にはそれが単なる個人的発想であることが露見し、国民の信を得ることができなかった。時事通信社が8月5~8日に実施した世論調査(グラフは、8月13日付・同新聞・第5面から転写)でも脱原発依存が国民に支持されていないという結果が出、内閣支持率上昇は幻に終わった。
求心力を失ったカンが「脱原発」から「減原発」にトーンダウンすることは目に見えていた。五月六日の浜岡原発運転停止要請の強気はもはやない。八月九日の長崎原爆死没者追悼式典に出席し、面会した被爆者に「脱原発、反原発、縮原発といろいろな表現があるが、内閣が言っているのは依存度を下げるということ」(8月12日付『朝日新聞』第4面)と発言し、カンは真の意味の「空き缶」の正体を曝したといえる。
八月十日の衆院財務金融委員会での「退陣明言」(明言後の写真は、8月11日付『北海道新聞』第3面から転写)は、これまでの政治的流れの当然の帰結で、遅きに失したカンは否めないが、総理の面子を保って退くギリギリの区切り目だった。
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