タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪ 王子製紙釧路工場(2) ≫

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 王子製紙釧路工場は、平成8年10月に本州製紙が王子製紙に合併されるまで、本州製紙釧路工場としてダンボール紙を生産していた。操業開始は昭和35年10月。工場建設時には、ただ同然の大楽毛原野が売買の対象となり、目腐れ金を手にした小土地成金の羽振りがよかったが、いっときの徒花で終わった。
 私は、昭和45年に転職して大楽毛に3年住んだが、その頃が、工場の最盛期ではなかったかと思う。大楽毛の街には、工場からの煤煙の悪臭が常時漂い、排水路には、異臭が鼻を突く黒褐色の排水が流れ、そのまま海に垂れ流されていた。そのため、星が浦から大楽毛にかけて、海水は数キロ沖まで変色し、いわゆるヘドロと呼ばれる低質汚染が進んでいたことは明らかだった。しかし、製紙工場は、北洋漁業・太平洋炭鉱と並んで、釧路市の財政を支える基幹産業だったので、環境汚染を指摘する人はいなかった、いや、いても口を閉ざした。昭和33年5月の本州製紙江戸川工場による暴力沙汰を忘れてはならない。製紙業界の本音は、今も、そのときとなにも変わってはいない。
 昭和46年12月に長男が生まれ、大楽毛の大気汚染に不安を抱いていたところに、二度目の転職の機会が訪れ、私は一も二もなく応諾し、とりあえず鳥取北五丁目に、それから武佐三丁目に引っ越した。あの煤煙の匂いから解放され、わが家は、子供たちの幼少年期をここで過ごしたことを幸運に思う。

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